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大阪府堺市西区 四ツ池遺跡

(Yotsuike Site, Nishiku, Sakai City, Osaka Pref.)

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地下に眠る弥生の大集落遺跡
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August 4, 2018 野崎順次  source movie

大阪府堺市西区浜寺船尾町・鳳北町

四ツ池遺跡

(Yotsuike Site, Nishiku, Sakai City, Osaka Pref.)

国史跡

大阪府堺市西区浜寺船尾町・鳳北町にある集落跡。大阪平野の南部、和泉丘陵から北へ突出している支丘の一つ、三方を崖と自然の河川に囲まれた船尾台地の北端に位置する。弥生時代を中心とした集落跡で、竪穴(たてあな)住居跡、掘立柱建物跡と土器、石器、木器などが出土。河内や紀伊方面との交渉を物語るものもあり、畿内(きない)にある弥生時代の遺跡として重要であるだけでなく、当時の和泉地方の状況を示す遺跡としても貴重なことから、1989年(平成1)に国の史跡に指定され、2001年(平成13)に追加指定を受けた。遺構は大まかに、3ヵ所の集落地域、2ヵ所の方形周溝墓群、2ヵ所の縄文時代遺構群に分けることができ、丘陵周辺には多数の溝や自然河川跡が認められる。集落群は遺跡の中心で、丘陵の先端に位置し、最初に弥生時代の遺構が検出された場所であり、25軒以上の竪穴住居が密集している。V字形の溝は丘陵を区画するように掘られ、溝内からは弥生時代前期の木葉文土器が出土。その他の地域でも縄文時代後期から始まり、弥生時代前期、中期を中心に平安時代にまでおよぶ遺構と遺物が検出されている。

(講談社「国指定史跡ガイド」ウェブサイトより)

現在は全てが地下に眠っている。観察できるのは、大まかな地形と史跡の広さだけである。史跡範囲の南部は浜寺中学校、四ツ池、浜寺船尾霊園であるが、北部は建物がなくよく保存されているが、大部分が柵に囲まれて立ち入り禁止である。

現地説明板と撮影歩行ルート

   

JR阪和線津久野駅から歩いて浜寺中学校の東側を北に歩くと、史跡の東北端にあたる公園がある。四ツ池遺跡の石碑がある。

           

史跡の北端を西へ歩く。西北部は柵に囲まれた草ボーボーの地帯。

      

国道26号線にあたるので、左折して南へ行く。史跡の西端沿いである。

       

大きな池がある。史跡の名前にもなった四ツ池である。その北側は浜寺船尾霊園である。池も墓地も史跡範囲内である。

            

池に沿って南に行くと、浜寺中学校との間に東に行く道がある。中学校全部が史跡範囲内である。

                     


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