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大阪府吹田市 旧西尾家住宅
Kyu Nishioke,Suita city,Osaka pref.

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 Nature
 
 
 Water
 
 
 Flower
 
 Culture
 
武田五一設計の離れ内装が特に良い。
 Facility
 
 Food
 


吹田市内元町2-15-11 旧西尾家住宅 主屋 重文 近代/住居 明治 明治28(1895) "玄関部、居住部、計量部屋部からなる 玄関部 木造、建築面積72.22u、桟瓦葺、北面居住部に接続 居住部 木造、建築面積285.61u、一部二階建、桟瓦葺、渡廊下・浴室棟・客便所棟附属
計量部屋部 木造、建築面積140.86u、桟瓦葺、西面居住部に接続" 20091208
吹田市内元町2-15-11 旧西尾家住宅 積翠庵 重文 近代/住居 明治 明治26(1893) 木造、建築面積44.69u、桟瓦葺一部銅板葺 20091208
吹田市内元町2-15-11 旧西尾家住宅 離れ西棟 重文 近代/住居 大正 大正15(1926) 木造、建築面積171.22u、桟瓦葺一部銅板葺 20091208
吹田市内元町2-15-11 旧西尾家住宅 離れ東棟 重文 近代/住居 大正 大正15(1926) 木造、建築面積92.91u、桟瓦葺、表門・渡廊下附属 20091208
吹田市内元町2-15-11 旧西尾家住宅 戌亥土蔵 重文 近代/住居 明治 明治26(1893) 土蔵造、建築面積63.24u、二階建、本瓦葺 20091208
吹田市内元町2-15-11 旧西尾家住宅 戌亥角土蔵 重文 近代/住居 明治 明治35(1902) 土蔵造、建築面積22.05u、二階建、桟瓦葺、蔵前附属 20091208
吹田市内元町2-15-11 旧西尾家住宅 米蔵 重文 近代/住居 江戸末期 江戸末期 土蔵造、建築面積39.99u、本瓦葺 20091208

Feb.16,2018 中山辰夫


大阪府吹田市内本町2−15−11

建物:国重要文化財指定 庭園:国名勝指定

西尾家住宅は明治中期に建てられ、その後何度かの増築を経て現在の姿となった。
西尾家の第11代與右衛門義政と第12代義雄によって明治から大正にかけて建築整備されたのが現在ある建物や露地庭園である。
 
江戸時代初めに武家から帰農して、皇室に米を納める吹田仙洞御料の庄屋を代々務めた家柄で、江戸時代には多くの文人が訪れ、明治以降も財界人や文化人と盛んに交流がおこなわれた。しかし、14代当主が亡くなり、この住宅も相続税として国に物納された。
西尾家に伝わる風格ある主屋、武田五一設計による和洋折衷の離れ、薮内家指導による茶室や茶庭などが一体となった住宅で、建築物・近代建築史、庭園史、文化史上重要とされている。

旧西尾家住宅は住宅街の中にあって高い塀に囲まれ一際広大な屋敷構えをした家で、周囲を道路に囲まれほぼ正方形をした敷地は約1400坪。
           
敷地内には長屋門、二階建の主屋、離れ、茶室、東屋、それに3棟の土蔵がある。そのほかに温室などがある。

西尾家は江戸時代吹田村の仙洞御料の庄屋を7代勤め、御料を管理、運営し、皇室へ年貢米の供出は淀川から伏見を経て京に米を届けた。

西尾家10代西尾與右衛門は、謡曲・小鼓・俳句を嗜み、茶道は薮内家九代家元・竹露に師事、11代與右衛門も薮内家11代・竹翆に師事するなど当代一級の数寄者で京阪神間の政財界人と広い交流を持っていた。12代目は植物学を牧野富太郎に学び、夭折の天才音楽家・貴市康一の母は西尾家の出身、関西建築家の重鎮・武田五一の妻も西尾家と遠縁関係にあり、いずれもがこれから見学する中に登場し、関りを持っている。
建物は現在吹田市が管理し平成17年10月から同住宅を「吹田文化創造交流館」として一般に公開している。

表門
       
1903(明治36年)の築、間口二間半の長屋門。「むくり」を付した桟瓦葺屋根。門から主屋の入口に石畳が続く。
長屋門は「離れ」建設時に改修された。おおらかな前庭には以前テニスコートが設けられていたと聞く。左側には納屋が並ぶ。

主屋
           
1895(明治28年)に建築され、 その後、何度かの増築を経て現在の姿になったそうである。
和風建築で数奇屋造りの主屋は桟瓦葺の入母屋屋根、本二階建の大規模な民家。北側に玄関棟、居室棟、計り部屋、南側に和室棟を有する。

避雷針は当初からのもの
 

式台と主玄関の間
     
間口二間の式台。お雛様展示の準備中で写せなかった。

母屋棟
 
母屋は300余年を経過して老朽化したので、明治28年、11代與右衛門義成の代に改築された。棟木は旧材が使われ、二階座敷なども古材が使われた。

玄関棟
 
居住棟・玄関棟・計量部屋の3棟で構成。庄屋としての伝統と格式を引継ぎながら、第11代の豊かな趣味が品よく活かされている。

計量部屋
       
玄関棟の右脇にある。15坪余りの土間で、献上米の計量や品質検査が行われた。
床はレンガ貼りで当時としては珍しく、土間打ちが普通であった。当時岸和田で作られていた煉瓦を「矢筈張り」という貼り方で用いてある。


献納蔵と飾ってあったお雛さんの写真
   
1400表の米が一時収納された。

玄関棟
三部屋続きの主客室
     
天井板は見事な桐(杢 もく)、床柱には杉の絞り丸太を建てる。

客座敷の広縁
      
もとは四尺の板縁であった。大正15年頃に居間のような畳縁に広げられ、全面カットガラスの縁側となった。武田五一の指導によるとされる。
廊下の天井には13mのスギの木の一本丸太が使われている。

主客室と次の間との境の欄間には菊の盛上げ彩色が施されている。牡蠣の貝殻を粉にニカワを混ぜて塗り上げた「置きあげ技法」が採用されている。
このような大きなものは珍しい。桂離宮の「水仙形釘隠し」と同じ釘隠しが使われている。
    

主客室には床、棚、付け書院を設ける。
        
座敷や広縁に見られる柱や長押は木柄も整い、欄間や釘隠しなどにも近代以降の和風住宅に見られる整然とした雰囲気が感じられる。床木はケヤキの一枚板。

茶室
    
明治の画家・上田耕甫が描いた富士山の襖絵

近代センスの什器類
    

主人の部屋には床、棚、書院を備える。主人の人格や教養のゆかしさが窺える。
         
上田耕甫の父耕沖が描いた花の絵の色彩が残っている。勘定の間の絵も残る。

居間 (家族の部屋)
       
戸口に「電話壱番」の札がかかる。1907(明治40年)吹田村で最初に電話を敷設したのが当家との事。現在の電話番号も0001番である。
ちなみに二番目が「アサヒビール」、三番目が吹田村ときく。 西尾家の家紋が見える。アゲハチョウに似た家紋は、西尾家の前身である三好家の家紋

台所−調理場
        
1909(明治43年)から電気を使用。羽型開閉器の配電盤が目を惹く。三個の調理台は武田五一の設計とされ、タイルが使われている。煮焚きは外。


離れ
 
1925(大正14年)長屋門の長屋部を取り壊して増築された。 第11代当主の隠居所として計画された。設計は武田五一 大工:三輪彌助 
     
建物は洋風(接客棟)・和風(居室棟)二棟を平行させ、渡廊下で結ばれている。


洋風棟:ビリヤード室

    
この部屋は白漆喰壁に腰板を張るだけの簡素な洋風の空間としている。天井材はベニヤ板の格子天井。当時ベニヤ板はまだ珍しく白ペンキを塗るだけだった。
ビリヤードは当時のものでない。


    
寄木細工。各部屋で模様を変えている。

武田五一好みの什器
    

各部屋への移動は渡り廊下
  

東棟:応接室
         
この応接室には西側の出窓の上部とサンルームを隔てる東側の窓上の欄間に素晴らしいステンドグラスが用いられている。
これも武田五一のデザインとの事。花と鳥をあしらったアール・ヌーヴォー風の質の高い意匠である。ルームの外観は和風、内部は洋風の造り。

暖炉・ほか−五一好みの証明や什器が見受けられる。
    

水回りにも工夫が施されている。浄化槽、洗面所、風呂、洗濯場は今も使える配慮がされる。
 

離れの洋風棟と和風棟をつなぐ渡り廊下船底天井の構造で、廊下の見通しをよくしている。竹と桜の皮付き丸太の垂木を並べている。
     

11代の夫人が和歌山の山林王の出身であることから大層な木材がふんだんに使われている。

西棟 茶室
   

西棟 座敷
            
円形の下地窓や玄関の腰掛などが特徴のある和風棟である。将棋の坂田三吉が使用した将棋セットが残る。


西尾邸庭園 名勝

西尾家11代当主與右衛門の代に主屋、茶屋と供に築造された。
茶室は茶道薮内家家元(京都)の茶席燕庵と、同じく雲脚席の写しを組み合せたもので、当主の号に因み積翆庵と名付けられた。1893(明治26年)の建築。
当時、吹田村都呂須に滞留した薮内流十代家元休々斎竹翆の指導により建てられた。露地としての庭園は明治26〜28年前後に完成したとされる。

庭園は面積約310坪、当家敷地の北西隅、主屋の南西を占め南は離れを画する塀によって仕切られる。茶室積翆庵は庭園の最北部、外塀に接している。
 

主屋玄関脇の路地門より入る
        
門を入ると4mに及ぶ長大な御影石の延段が庭内へ導く。

四腰掛
        
1906(明治39年)頃の建築。桂離宮にある卍亭(まんじ)の写しともいわれ、四脚掛と宝形屋根、は卍形に配された腰掛などはほぼ同じであるが、桟瓦葺にしてガラス窓をはめている点が異なる。椅子が卍字形に置かれたのは客人同士の目が合わないための工夫。

周辺の露地から見る主屋−八つ棟造りがよくわかる
    

茶室
   
西尾家は代々趣味豊かな文化人、10代は茶道を嗜み、薮内流9代に師事した。11代も16歳の若さで薮内流10代に入門している。
京都茶道薮内家の茶室「燕庵写し」と「雲脚写し」を、水屋を中央に介して繋ぎ一種の茶室とした。

積翆庵 (燕庵写し)
       
1893(明治26年)に建立。屋根は近年に銅板葺に改めた。
三畳台目に相伴席を付した燕庵は、信長・秀吉に仕えた古田織部の好みを色濃く伝えるもので、薮内流では皆伝を受けた人だけに写しをつくることが許された。

雲脚席
   

庭には松の木が多い。アカマツ・クロマツが風情を出している
      

ドイツ門
    
現在の門(外側) 昔は土塀だった。塀の外は水路で、田舟がここから出た。吹田は湿地帯のため塀を高くしている。

防火用水(プール)跡と温室跡
     
温室は本格的なもので、再々訪れた牧野富太郎指導のもとに造られた。地元の慈姑(くわい)を学術的に紹介したり、当主夫人の冥福を祈って新種の笹に命名をした。「吹田クワイ」はかつて大坂の名物だった。温室にはボイラーも設置されていた。


家紋―三階菱
離れの屋根上に見られる
    

二重桝の蹲踞(つくばい)
  
加賀前田家にある蹲踞の写し、桂離宮にも小さなものがあるときく。

参考

武田 五一(1872 明治5〜1938・昭和13)
備後福山藩(現・広島県福山市)出身。「関西建築界の父」とも言われる日本の建築家。
ヨーロッパ留学で影響を受けたアール・ヌーボー、セセッションなど、新しいデザインを日本に紹介した建築家とも言われる。
建築以外にも工芸や図案・テキスタイルデザインなども手掛けた。自身の作品のみならず、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科や京都帝国大学(現・京都大学)に工学部建築学科を創立し向井寛三郎など多くの後進を育成した。また、神戸高等工業学校(現・神戸大学工学部)の設立にも関与。この他「新建築」創刊も指導した。 (wikipediaより抜粋)
フランク・ロイド・ライトとも親交があり、国会議事堂建設をはじめ多くのプロジェクトに関与。法隆寺、平等院などの古建築修復にも関わりが深い。
  

参考資料≪西尾屋敷仙洞御料より引用・抜粋≫



≪追加≫

亘家住居 国登録文化財

吹田市内本町近くの国道479号線沿いに大きな旧家が目に入る。それが亘家住居である。旧西尾邸住居はその隣りである。
現在も居住されている。撮影は外観のみである。江戸時代に吹田村の庄屋を勤めておられた亘家のお住まいと聞く。
主屋・住宅離れ・米蔵・土蔵・長屋門が国登録文化財の指定対象である。

               
東西に長い不整形敷地の中央に南面して建つ。
桁行10間,梁間6間半規模の主体部の 西面に2階建の新座敷,北西方に内蔵,北東方に漬物・味噌部屋を張り出すなど複雑な 平面をもつ。茅葺西側を大和棟風のつくりとし,東面の北方を一段高くしているのが特徴 。

道路を挟んで亘家と旧西尾家
 

吹田にある別の村の庄屋屋敷は―浜屋敷として公開されている。


July 5, 2014 野崎順次 movie

大阪府吹田市内本町2−15−11
旧西尾家住宅
(Former Nishio Residence, Suita City, Osaka Pref.)

吹田市の南部に位置し、広さ4,500平方メートル余りの敷地に、仙洞御料の庄屋であったことをしのばせる屋敷を構えています。主屋は茶道藪内家の茶の湯の考え方や当主の数奇屋趣味を通わせた造りとなっており、他にも茶室や温室、数奇屋と洋風意匠を取り入れた離れがあるなど、明治から大正にかけて建築された建造物として、吹田の歴史や文化が堪能できる施設となっています。
平成21年(2009年)12月8日に国の重要文化財に指定されました。
(吹田市ウェブサイトより)

パンフレット、現地説明板、アプローチ

      

表門から主屋

              

主屋内部

                           

庭園から見た主屋

   

庭園、四腰掛、積翠庵

               

武田五一が設計した離れが好きである。離れ東棟は内装が洋室である。

                           

シブい渡り廊下

    

離れ西棟は和室である。

         

外から見た離れ西棟

     

渡り廊下と離れ東棟

      

池、防火水槽、温室基礎部

     

参考資料
旧西尾家住宅パンフレット






Aug. 2009 撮影/文:野崎順次
撮影日: 2009年8月29日

大阪府吹田市内本町2−15―11
旧西尾家住宅 (吹田文化創造交流館)

旧西尾家住宅は、仙洞御料庄屋を勤めた伝統と茶の湯の精神を感じさせる屋敷です。
数寄屋風を意識した主屋、茶道藪内家の指導になる茶室、牧野富太郎の関与が伝えられる温室、著名建築家武田五一が和洋折衷の意匠を試みた離れなど多彩な建物からなり、文化性に富む優れた建築が伝えられています。

(パンフレットより)

    

長い高い塀沿いに歩き、表門から入ると、正面に母屋棟と玄関棟、右手に納屋(カタヘイ)が見えます。
母屋に入ると右側が天井の高い計り部屋棟で、現在は受付とホールを兼ねています。
ボランティア説明員により、マンツーマンで案内して貰えます。

          

玄関棟。

    

母屋棟、大座敷。現在の主屋は、江戸時代初めに建てられた旧宅を明治28年(1895)ごろに建て替えられました。

              

大座敷の奥に作曲家貴志康一(1909-1937)誕生の間、巨大な配電盤のある台所などを見て、玄関棟から庭に廻ります。

             

庭から見る大座敷のガラス戸が印象的です。
四阿(四腰掛)から明治26年(1893)に作られた茶室「積翠庵」へ。
庭と茶室は茶堂薮内家十代休々斎と薮内節庵の指導によるそうです。

                          

防火水槽・温室跡。今は基礎部分だけが残っています。

  

離れ棟。
大正15年(1926)の上棟で、当時、関西建築界の重鎮であった武田五一が設計を行い、三輪彌助が大工として建築にあたりました。
建物は内外とも和風に造る和風(居住)棟と、外観を和風、内部を洋風とする洋風(接客)棟の二棟を東西に設けています。

                           

 

 

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