大阪府吹田市 紫金山公園
(Shikinzan Park, Suita City, Osaka Pref.)
Category
|
Rating
|
Comment
|
General
|
|
埋蔵遺跡と花の丘陵公園 |
Nature
|
|
|
Water |
|
|
Flower |
|
コバノミツバツツジ |
Culture |
|
遺跡が豊富 |
Facility |
|
|
Food |
|
April 7, 2018 野崎順次
source movie(事務局用)
大阪府吹田市岸部北4丁目
この公園には、国の史跡「吉志部瓦窯跡(きしべがようせき)」ほか、歴史的な資産が存在しています。また、かつて満開のツツジが山を赤紫色に染めた様子が名前の由来とされる「紫金山」を後世に残そうと、市民による里山保全活動が行われている場所でもあります。 古くから岸部の田畑を潤していた釈迦が池も含め、歴史、自然をテーマとした整備計画「吹風土記の丘・紫金山公園基本計画」が市民参画により策定された総合公園です。
(吹田市ウェブサイトより)
南口
国史跡 吉志部瓦窯跡(きしべがようせき)
吉志部瓦窯跡は、延暦(えんりゃく)13(794)年に桓武(かんむ)天皇が着手した平安京の造営当初の瓦を生産した瓦窯跡です。これまでの調査で丘陵の南斜面上段に登窯4基、下段に平窯9基の計13基の窯跡と平窯群の背後を走る排水溝が確認されました。窯跡は等間隔に計画的に配置されたものと考えられます。また、近年、瓦窯の南側で掘立柱建物跡、井戸跡、回転台跡、粘土採掘坑等の遺構が検出され、大規模な造瓦工房を伴ったことが判明しました。
(吹田市立博物館ウェブサイトより)
平窯10基が地下に埋蔵されている。
吉志部火葬墓(きしべかそうぼ) 平安初期
丘陵南斜面で発見された平安時代初めの火葬墓です。発見時の状況から、墓の構造は、上部幅 1.2m、深さ 1.0mの土坑(どこう)に蔵骨器(ぞうこつき)が埋納されたものと考えられ、焼土と黒色灰土がみられたといいます。蔵骨器は高さ28.0cm、胴部最大径29.4cmを測る須恵器の壺で、中に火葬骨が納められていました。飛鳥時代以降全国的に薄葬化(はくそうか)が進む中で、手厚く葬られた被葬者は、この地に関係した僧侶あるいは有力者と考えられます。
(吹田市立博物館ウェブサイトより)
平窯10基の後方を行く。
コバノミツバツツジを見ながら少し登る。
登窯4基が確認された箇所
元に戻る。
吉志部神社
創建時のことはほとんどわかっていないが、おそらくは平安時代にはあったと思われる。応仁の乱以降の戦国の時に壊滅的に焼失したが、朝鮮から渡来してきた吉志一族の末裔によって江戸時代に再建された。1610年(慶長15年)に建立された本殿は「七間社流造り」という珍しい形式で、1993年(平成5年)に重要文化財指定を受けていた。2008年、放火と見られる火災により本殿が焼失。この結果、2008年9月8日、重要文化財の指定が解除された。2011年3月には新しい本殿・拝殿が完成した。
(ウィキペディア「吉志部神社」より要約)
吹田34号須恵器窯跡 7世紀初め
五月が丘西から吉志部神社境内に移築された。
丘陵の神社寄り(左)にも吉志部瓦窯跡平窯4基が地下に埋蔵され、国史跡に含まれている。
府史跡 吉志部瓦窯跡(工房)平安初期
神社の参道を岸辺駅方面に下る。
All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中