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大阪府太子町 二子塚古墳

(Futagozuka Tumulus, Taishi town, Osaka)

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Feb.2012 野崎順次 source movie

大阪府南河内郡太子町山田

国史跡 二子塚古墳

撮影日: 2012年2月4日

大字山田にあり、推古天皇陵の東方約200mの傾斜地をなす段丘上に位するもので、二基の方形の墳丘が西南方から東北方にわたって並列し、あたかも主軸の長さ約60mの双方墳の形式をなしている。

それぞれの墳丘に口を東南に開く横穴式石室があり、いずれも石棺が存する。

石室は長方状の箱形を呈するもので、東北方に存するものは、長さ約5メートル、幅約1.80m、高さ約1.60m、西南方のものは長さ約5.30m、幅約1.50m、高さ約1.55mを有し、壁面に漆喰の痕跡をとどめている。

石棺はそれぞれ石室のほぼ中央に存するもので、身は刳拔きの式で外法長さ約2.20m、幅約1m、高さ約0.70mを有し、一枚石よりなる蒲鉾状の蓋がこれを掩うている。

この古墳は、あたかも、双方墳の形式を示し、それぞれ雄大な石棺をもつ石室をそなえており、終末期に属する古墳として稀有の示例に属するものであり、学術上の価値が高い。

西北(推古天皇陵側)から見た全景

東南から見た全景

東北墳(石室が開口し、石棺が見える)

西南墳(石室が開口していない)

参考資料

国指定文化財等データベース

撮影日: 1979年2月11日(2012年12月にデジタル化)

方墳を2基つなぎ合わせた双方墳という珍しい形式を有しています。東西の墳丘それぞれに、ほぼ同形同大の横穴式石室があり、石室の使用石材の隙間や表面に漆喰を充填塗布しています。また蓋の縄掛突起が退化したカマボコ形を呈する家形石棺がそれぞれの石室に納められています。地元には本墳こそが本当の推古天皇と竹田皇子の合葬陵であるとする言い伝えがあります。

参考資料

太子町観光情報

 

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