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大阪府高槻市 芥川山城
Akutagawasanjo, Takatsuki city, Osaka

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February 15,2020 大野木康夫  source movie

所在地 大阪府高槻市大字原

芥川能勢因幡守新城にして祝の心を
うちなひき いつこかのこる 春もなし
宗長

夫婦岩・八丈畳などと称される奇岩や断崖が続く摂津峡は、摂津の耶馬溪ともいわれ、大阪府の名勝にも指定されている景勝地。
そのすぐ東側の三好山に天然の要害をもつ芥川山城跡があります。
三方を芥川に囲まれ、残る一方は断崖となっており、山そのものが難攻不落の砦となっています。
ここは、三島平野、遠くは生駒山系を臨み、眼下には、西国街道や芥川宿を見通すことができる位置にあり、かつ、亀岡へと続く間道がありました。
また、芥川を下ると水上交通の要、淀川に至る立地など、政治上・戦略上において重要な場所でもありました。
芥川山城の遺構は主郭・副郭・土塁・堀切という中世山城の要素を備えており、その様子が今も残っています。
芥川山城は、永正13年(1516)連歌師柴屋軒宗長が芥川の能勢因幡守頼則の築いた新城に祝いの気持ちを込めてつくった冒頭の句から、この時期に完成したものと考えられています。
天文2年(1533)には、細川晴元が入城し、京に移った後、芥川氏が入り、幾度かの城主の入れ替わりののち、天文16年(1547)三好長慶(ながよし)が城を支配。家臣、芥川孫十郎が城主となります。
天文22年(1553)長慶は入京を果たしました。しかし、孫十郎が謀反したため、三好山に隣接する帯仕山に陣を構え、開城させて、孫十郎を阿波へ追放して長慶が入りました。
以後、7年間、長慶は山城に在城し、その間、真上・郡家の水争いや、芥川流域の灌漑用水を整備するなど、領地支配にも力を注いだほか、著名な歌人らを招いて連歌の宴を催すなど、文芸を愛した様子もうかがえます。
この頃がこの山城の最も華やかで生き生きとした時代であったといえるでしょう。
永禄3年(1560)長慶は、飯盛城(四條畷市)に移り、息子義興が城主となりますが、永禄6年(1563)22歳の若さで没します。
讃岐石の墓石が建つその墓は、霊松寺(天神町二丁目)にあって「三好のカンカン石」とよばれています。
その後、永禄11年(1568)織田信長の側近、和田惟政(これまさ)が入城、翌年惟政は高槻城も与えられ、2城の主となりました。
惟政自身は高槻城へ入り、家臣の高山飛騨守が城主として芥川山城に入ります。以後、政治の拠点はしだいに高槻城へと移っていきます。
多くの武将が入城し、単に北摂の一山城であるということに留まらず、時に最高権力者の拠るところとなり、一時は近畿一円を勢力下とした芥川山城。
やがて、高槻城の発展とともに、歴史の表舞台から姿を消していきました。
(高槻市ホームページより)

芥川山城は高槻市の市街地を北から見下ろす三好山の山頂に築かれていました。
高槻市の中心部にあった平城の芥川城と区別するため、芥川山城と呼ばれています。
戦国時代末期の一時期、三好長慶が7年間ほど在城していました。
大規模な中世の山城で、遺構がよく残っています。

詳細図(高槻市ホームページより引用)
 


冬季は駐車場がなさそうだったので、JR高槻駅から高槻市営バスで塚脇バス停に向かいました。
バスは15分ほどの間隔で運転されています。
    


塚脇バス停にある案内図など
        

三好山遠望
  


バス停からバスの進行方向(循環系統なので一方向です。)に進み、一つ目の信号を右に曲がって行けば、城跡への道案内が要所にあります。
    


登城口への道
       


登城口の案内標識

右手の坂に行けば東曲輪群へ、まっすぐ行けば大手道へ向かいます。
  


東曲輪群へ

石垣はおそらく後世のものと思われます。
          

東曲輪群

曲輪の形が分かるように竹が切られています。
土塁の跡もよくわかります。
                        


竪土塁

獣除け柵がありますが、わかりやすいように木や竹が伐採されています。
         


堀切など
      

大堀切と土橋
            


虎口と残り石
      


東曲輪群の最高所となる曲輪とその周辺
                 


本郭へ
    


大手道との合流点付近
    

本郭への道
         


見晴らしのよい本郭南側の曲輪と、そこからの眺望
          


本郭へ上る
        


本郭

規模が大きい土塁が残っています。
                          


本郭北側の土塁
  


本郭を下りる
        


西側の田の丸跡
        


大手道へ
 


大手道を下る
   

大手石垣

芥川山城唯一の大規模石垣遺構です。
                            


大手道の急坂を下る
         


獣柵の手前の道を西へ
     


堀切と大土塁
                       


大手道に戻る
     


獣柵を越えて城山集落へ

集落付近の石垣は後世のものと思われます。
        


城山集落を抜けて登城口の分岐点へ
           


バス停に戻る
  


バス停から登城口までは10分ほど、登城口から東曲輪群の入り口までも10分ほどです。
急坂もなく、道も整備されているので、大変歩きやすい山城でした。

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