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大阪府富田林市 錦織神社

Nishikorijinja,Tondabayashi City, Osaka

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富田林市宮甲田町9-46 錦織神社 本殿 重文 近世以前/神社 室町中期 室町中期 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝三間、軒唐破風付、檜皮葺 19120208

富田林市宮甲田町9-46 錦織神社 摂社春日社本殿 重文 近世以前/神社 室町中期 室町中期 二間社流見世棚造、檜皮葺 19690620

富田林市宮甲田町9-46 錦織神社 摂社天神社本殿 重文 近世以前/神社 室町中期 室町中期 二間社流見世棚造、檜皮葺 19690620


November 1, 2025 大野木康夫 source movie


参道入口に駐車場が整備されていました。

 

参道

  

拝殿

 

1日は月次祭なので瑞垣内で参拝ができます。

     

本殿(重要文化財)

                                                                      

摂社春日社本殿(重要文化財)

             

摂社天神社本殿(重要文化財)

                

 


September 15,2014 大野木康夫 source movie

所在地 大阪府富田林市宮甲田町9-46

錦織神社には本殿がすでに重要文化財に指定されている。

その本殿左右に小規模な摂社が一棟づつある。

春日社本殿および天神社本殿と呼び兩殿とも二間社という特異な形式になり、室町時代末期の特色をもつ、本殿を中央に三殿並立の古式を保存する意味をも考慮して追加指定した。

(国指定文化財等データベースより)

錦織神社は富田林の中心街の南、国道170号沿いの宮甲田町に鎮座します。

訪れた9月15日の前週末には、テニスの錦織選手の活躍の影響でにぎわったようですが、もう落ち着いていました。

  

参道

     

瑞垣の外からの社殿

         

毎月1日と15日には唐門が開き、本殿と摂社に直接参拝できます。

  

本殿(重要文化財)

室町中期の建築

桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝三間、軒唐破風付、檜皮葺

極彩色のきれいな社殿です。

中央に建速素戔嗚命、左側に品陀別命(応神天皇)、右側に菅原道真公を祀っています。

                      

本殿細部

                            

摂社天神社本殿(重要文化財)

室町中期の建築

二間社流見世棚造、檜皮葺

本殿の向かって左側の摂社です。

右側に火産霊神(かぐつちのかみ)、左側に大國主神と恵比寿神を祀っています。

       

摂社春日社本殿(重要文化財)

室町中期の建築

二間社流見世棚造、檜皮葺

本殿の向かって右側の摂社です。

右側に熊野速玉神、左側に春日大明神を祀っています。

            


June 2012 野崎順次 source movie

大阪府富田林市宮甲田町9−46

撮影日: 2012年6月17日

主祭神は、建速素戔嗚命、品陀別命、菅原道真。

このあたりは、織物の技術を持つ人々が百済より渡来「錦部(にしごり)部」と呼ばれていたようである。創建年代は不明であるが、境内から平安時代中期の丸瓦・平瓦が発見されたので、その頃の創建と考えられる。

川西小学校の門の横に鳥居があり、長い参道が始まる。

        

天誅組 河内勢顕彰碑 竜神で紀州藩に降伏した河内勢は、水郡英太郎を除く全員が京都に送られ刑死した。

   

さらに参道を進む。

        

拝殿など

       

国重文 本殿 室町中期 正平18年(1363年)

桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝三間、軒唐破風付、檜皮葺

正面の向拝には丸みを帯びた唐破風を造り、屋根の斜面正面につけられた三角形の千鳥破風が唐破風の上に位置する。こうした屋根形式は室町時代の神社建築としては珍しく、貴重なものとされる。この建築様式は江戸時代に建築された神社に多く採用され、「錦織造り」と呼ばれ、日光東照宮にも影響を与えたといわれている。

      

細部 左側面

  

細部 向拝柱上部

            

細部 内法長押

        

正面下部

   

細部 右側面

  

国重文 摂社天神社本殿 室町末期 文明12年(1480年)

国重文 摂社春日社本殿 室町末期 文明12年頃(1480年頃)

共に二間社流見世棚造、檜皮葺

殿と呼び兩殿とも二間社という特異な形式になり、本殿を中央に三殿並立の古式を呈する。

        

参考資料

国指定文化財等データベース

富田林市HP

幕末維新史跡訪問HP


Feb.2011 酒井英樹

2008年12月撮影 

錦織神社はもと爾吾里天王(にごりてんのう)または水郡(にごり)天王宮と呼ばれ、近世まで神宮寺の金輪寺とともに、近隣の崇敬を集めた神社であった。

後に金輪寺が廃絶され明治40年(1907)に錦織神社と改められた。

本殿は正面3間、側面2間、入母屋造で正面に千鳥破風と軒唐破風を持つ。

記録によれば正平18年(1363)の建立とある。

春日社と天神社は本殿の左右に並立している。

二棟とも二間社流見世棚造の同規模・同形式の建物である。

屋根は檜皮葺、柱は土台上に立ち、組物は身舎、庇とも舟肘木、軒は一軒疎垂木で構成する。

小社にもかかわらず虹梁など細部の木割が太く、室町時代中期の特色が見られ、流見世棚本殿の好例である。

 

本殿

 三間社、入母屋造、正面千鳥破風、軒唐破風付き、檜皮葺

 室町時代[正平18年(1363)]

    

本殿 彫刻[龍(阿型)]

 

本殿 彫刻[龍(吽型)]

 

本殿 蟇股 彫刻

    

摂社春日神社本殿

 2間社流見世棚造、檜皮葺

 室町時代[文明12年(1480)]頃

    

摂社天神社本殿

 2間社流見世棚造、檜皮葺

 室町時代[文明12年(1480)]

   

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