JAPAN GEOGRAPHIC

大阪府富田林市 お亀石古墳

(Okameishi Tumulus, Tondabayashi City, Osaka Pref.)

Category
Rating
Comment
General
 
Nature
 
Water
 
Flower
 
Culture
 
Facility
 
Food
 


June 2012 野崎順次 source movie

大阪府富田林市中野

撮影日: 2012年8月18日

お亀石古墳の周辺には新堂廃寺跡とオガンジ池瓦窯跡があり、寺院、瓦窯、古墳が有機的な関連を持って近接して所在する例はきわめて貴重であるとして、いずれも(瓦窯跡は附)国史跡に指定されている。

新堂廃寺跡は、大阪平野の南部、羽曳野丘陵裾の、大和川支流の石川が形成した河岸段丘上に所在する。発掘調査の結果、創建期の遺構は確認できなかったが、白鳳時代再建の建物4棟を確認し、南から塔、金堂、講堂が一直線に並び、金堂の西側に基壇建物が建つ伽藍配置であることが明らかとなった。その後、飛鳥時代の中門と南面、東面、西面回廊を検出するとともに、塔基壇下層で飛鳥時代の基壇土を確認し、創建期には四天王寺式の伽藍配置をとることが明らかとなった。再建後の伽藍については、新たに南門と宝幢遺構、東方建物、南面、東面、西面築地を検出し、塔・金堂の東西に建物を配置する特異な伽藍配置をとることが判明した。中心伽藍は、南北約150m、東西約80mの範囲と推定される。また、寺域の北東では奈良時代から平安時代にかけての建物群を検出し、これは再建後の寺の経営に関わった集団の居住域と考えられる。現在、地表には何も見られない。

北西に上る。

オガンジ池瓦窯跡は、新堂廃寺跡の北西約0.5kmにあるオガンジ池の北東堤部に所在する天平年間に瓦を焼成した半地下式無段登窯である。その後、南に更に1基の半地下式有段登窯を確認した。窯体内から白鳳時代、灰原から飛鳥時代の瓦が出土し、新堂廃寺創建期からの所要瓦を焼成した瓦窯である。現在、見られる遺跡はない。

さらに行くと江綿総合グランドがあり、西の丘陵を上る。

お亀石古墳は7世紀前半に属する典型的な終末期古墳である。主体部は、南北に据えた凝灰岩製家形石棺の南側面に開口部を設けた横口式石槨という特異な構造で、南方に花崗岩を用いた約5mの羨道を持つ。天井石は羨道部に1個のみ残る。石棺周囲に平瓦を敷き詰めていることが確認され、この瓦は新堂廃寺創建に用いたものであり、古墳の被葬者が寺と密接な関係を有することが想定された。その後の発掘調査で、一辺21mの方墳であり、羨道は本来河原石を用いた閉塞石で閉じていたことなどが明らかとなった。

羨道天井石と石棺蓋(縄掛け突起がある)

東北〜北西から見た墳形(ほとんど崩れている)。

羨道内にいた小さな青ガエル達

参考資料

国指定文化財等データベース

   All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中