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大阪府富田林市 龍泉寺

(Ryusenji Temple, Tondabayashi City, Osaka Pref.)

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富田林市龍泉888 竜泉寺仁王門 重文 近世以前/寺院 鎌倉後期 建治元(1275) 三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺 19610323


September 15,2014 大野木康夫 source movie

所在地 大阪府富田林市龍泉888

龍泉寺の創建は『資財記』(春日大社蔵)によれば飛鳥時代と伝える。

現在ある建物は仁王門(重文・鎌倉時代)・本堂・聖天堂・鐘楼(いずれも江戸時代)があり、本堂と仁王門の間、東寄りに塔跡の礎石が残る。

園池は本堂の西側にあり、ほぼ南北60メートル、東西45メートルで、南北ほぼ1列に3個の中島を配し、橋を架している。

中央中島には春日造(桃山時代)の建物に弁財天を祀り、他の中島にも小祠を構え、その状況は寛文9年(1669)、同寺所蔵古図とほとんど同じである。

池は伽藍北西隅から湧出する豊富な水を本堂の北背面に堰堤を築き湛えたもので、古くは信仰の対象として、また灌漑用水として利用されていたのを、伽藍の整備にともない中島の数を増し祠堂を置き相互間に橋をかけるなど、信仰と観賞を兼ね併せるようになったものと思われる。

寺域を囲む樹林、北西に聳える岳山を含めて、静寂幽邃な景観を作り出しており、この地方に稀な鎌倉時代頃の庭園として貴重である。

(国指定文化財等データベースより)

参道

仁王門(重要文化財)

建治元(1275)年の建築

三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺

仁王門細部

本堂

聖天堂

庭園(国指定名勝)

葛城山方面


June 2012 野崎順次 source movie

大阪府富田林市龍泉888

牛頭山 龍泉寺

撮影日:2012年6月17日

薬師如来を本尊とする真言宗の寺院。寺伝によれば、推古天皇二年(594年)に蘇我馬子が勅命を受けて創建した。ところがその後、池の水が枯れ寺も衰退した。弘仁十四年(823年)に空海が訪れ、雨乞いの祈祷によって境内の池には水が満ち、池の中に三つの小島ができたとされる。空海はこの島に小さな社を建て、聖天、弁才天、叱天を祀り、牛頭天王を鎮守としたという。中世には多くの子院(塔頭)が立ち並ぶ大寺院だったが、南北朝以降の戦乱で荒廃し、現在は森の中の静かな山寺である。

近鉄富田林駅から金剛バス東條線で20分位で竜泉に着く。村落の中のきつい坂道を10分ほど登る。

パンフレットと現地説明板

狭い参道を進むと資料と寺務所がある。

仁王門の手前のモッコクの樹と霊園から見た雨上りの葛城山、金剛山。

国重文 仁王門 鎌倉中期 建治元年(1275)

三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺

戦乱の中さいわいに残った鎌倉時代の門で、中世の八脚門としては大阪府内唯一である。

仁王門は、門扉を支える本柱とともに、本柱の前後4本の控柱で門を支えるという構造になっており、八脚門と呼ばれる古来の一般的な形式の門だが、現存するものは珍しい。また、仕上げは、主要部が丹塗りの赤、壁は白漆喰仕上げなどの手法が取られている。

府文 金剛力士像 鎌倉中期 建治元年(1275)

二体の金剛力士像 阿形(あぎょう)・吽形(うんぎょうは、共に約一丈二尺(約3.6メートル)の寄木造である。顔の表情や細やかな筋肉の盛り上がりなどの写実的な表現がとても豊かで、像の大きさや力強さが見るものに伝わってくる。傷みは激しいが迫力ある大作である。製作年代は、阿形・吽形双方の胎内に墨書銘があり、建治元年(1275年)に仏師の寛慶が彫ったものであると記されており、仁王門とほぼ同時代に製作されたようだ。

「伝 尊性法親王御墓

貞治元年四月三日 後醍醐天皇皇子尊性法親王は 天皇御二十五年忌に当り 大和国塔尾陵に詣ずる路すがら 当寺に於いて逝去せられた。深慮の後遺戒により隋身等身分を明かさず ただ尊性として葬り里人御墓を聖地と崇め「シガサン」として大祭を相伝え今に至る。」現地説明板

鐘楼

「東塔礎石。奈良時代前期に建てられた三重の塔の礎石で中央の凹みは塔の中心柱の位置である。塔は南北朝時代戦火によって焼失した。」現地説明板

行者堂、本堂、聖天堂

式内威古神社。仁王門の横に一の鳥居があり、本堂の横に二の鳥居があり、その奥に拝殿と本殿がある。

国名勝 龍泉寺庭園 鎌倉

本堂西側の境内にある庭園は、静かに水をたたえた池を中心に、東西45m、南北60mの大きさをもつもので、池の中央には3つの小島があり、それぞれに小さな社を祀っている。この庭園は浄土式庭園の一種であるとされるが、小島に立つ社の形態から平安時代のものとする説もある。池の北西には弘法大師が八大竜王を勧請して雨乞いをしたとして伝わる「雨井戸」がある。

帰途

参考資料

富田林市HP

大阪再発見HP

ウィキペディア「龍泉寺」

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