大阪府富田林市御坊町 旧杉山家住宅
(Former Sugiyama Residence, Tondabayashi, Osaka)
Category |
Rating |
Comment |
General |
||
Nature |
||
Water | ||
Flower | ||
Culture | ||
Facility | ||
Food |
富田林市富田林14-31 旧杉山家住宅 重文 近世以前/民家 江戸前期 江戸前期 "居室部 桁行24.5m、梁間11.9m、一部二階、入母屋造段違、南面、東面及び北面庇付、本瓦葺 座敷部 桁行8.1m、梁間14.1m、入母屋造段違、東面居室部に接続、本瓦葺、一部桟瓦葺、西面茶室附属" 鎮札2枚 19831226
「杉山長左衛門」は神内町創立以来の旧家 代々神内町の経営に携わってきた
旧杉山家住宅は、寺内町町家で最古・最大の、17世紀中期の南河内地方農家風建築様式。屋敷地は一区画(約千坪、現在は430坪)を占める
1983年(昭和58年)12月26日に国の重要文化財に指定され、また同年、富田林市が住宅を買い取り、解体修理工事ののちに一般公開されるようになった。
マンホール蓋には旧杉山家住宅と金剛・葛城連山が描かれている
母屋と東に延びる3室の別座敷、2棟の土蔵(酒蔵と米蔵)と庭園を残す。屋号「わたや」
母屋は4層の大屋根が特徴。母屋は数奇屋風書院造りの大床の間、座敷、奥座敷、茶室と農家風建築の土間から構成される。
狩野派絵師の障壁画、山水画、および欄間彫刻、さらには明治時代に改築されたモダンなや螺旋階段、土間には釜屋・竈(かまど)が復元されている。
屋根瓦の枚数は約4万枚に上り、解体修理によりその半数は再生利用されて現在も屋根瓦として利用されている。
「杉山長左衛門」は神内町創立以来の旧家 代々神内町の経営に携わってきた
旧杉山家住宅は、明治時代に与謝野晶子らとともに活躍した明星派の歌人・石上露子(いそのかみ つゆこ、本名・杉山孝(「杉山タカ」の表記もある))の生家である。石上露子は与謝野晶子、山川登美子らと並ぶ「明星」の女流歌人に一人で、美貌で知られ、白菊の花にたとえられた。
住宅外観
土間・シモミセ・カマヤ
土間は17世紀頃の建造とされ最も古い。カマドが復元されている。煙を遮断するために架けられた梁は煙返し梁と呼ばれ、農業的技法を取り入れた
煙を遮断するために架けられた梁は煙返し梁と呼ばれ、農業的技法を取り入れた。天井は竹を使用している、隙間から煙がにげる
ダイドコと格子の間及びミセオク
仏間
大床の間(オオドコノマ)
数奇屋風建築、能舞台を模して造られた。床板はケヤキの一枚板2枚並べている。
障壁画『老松図』は狩野杏山守明筆、襖絵は千鳥が舞う様子が描かれてある。石上露子のペンネームは「夕千鳥」この襖絵からともいわれる。
座敷
障壁画は狩野杏山守の山水画
奥座敷
違い棚、床の間、書院が移置直線に並ぶ造り
襖引手・他
聚楽壁は大坂土を使用、赤味を帯びている
欄間彫刻
薩摩杉を用いた菊の透し彫り、狩野派大岡春卜作
茶室
螺旋階段と2階
露子が好んだと言われる西洋風につくられている
庭園
資料館−土蔵を利用したもの
旧杉山家住宅は、明治時代に与謝野晶子らとともに活躍した明星派の歌人・石上露子(いそのかみ つゆこ、本名・杉山孝(「杉山タカ」の表記もある))の生家でもある。石上露子ゆかりの書簡やパネルなども旧杉山家住宅で展示されている。
石上露子ゆかりの書簡やパネルなど展示、本町公園にある露子の歌碑
飾られていたひな人形
September 15,2014 大野木康夫 source movie
所在地 大阪府富田林市富田林町14-31
江戸前期の建築
居室部 桁行24.5m、梁間11.9m、一部二階、入母屋造段違、南面、東面及び北面庇付、本瓦葺
座敷部 桁行8.1m、梁間14.1m、入母屋造段違、東面居室部に接続、本瓦葺、一部桟瓦葺、西面茶室附属
杉山家は寺内町富田林の創設にかかわった旧家の一つであり、江戸時代中期以降は造り酒屋として栄えた家柄である。
富田林寺内町の古い町家は農家に類似した平面構成をもつことを一つの特色としているが、旧杉山家住宅はその中でも最も古い遺構であり、さらに江戸時代中期の拡張によって大規模商家に整い、座敷部も美麗で、質的にもすぐれた町家建築として貴重である。
(国指定文化財等データベースより)
現在は富田林市に寄付され、公開されています。
March 2, 2014 野崎順次 source movie
国重文 旧杉山家住宅 江戸前期(1615 - 1660)
居室部
桁行24.5m、梁間11.9m、一部二階、入母屋造段違、南面、東面及び北面庇付、本瓦葺
座敷部
桁行8.1m、梁間14.1m、入母屋造段違、東面居室部に接続、本瓦葺、一部桟瓦葺、西面茶室附属
(国指定文化財等データベースより)
パンフレット、現地説明板
建物外部
庭
入口の土間
1階
螺旋階段から2階
撮影日: 2010年9月4日
重要文化財杉山家は富田林寺内町の創建にもかかわったと言われる旧家のひとつで、江戸時代から明治の半ばまで造り酒屋を営んでおり、最盛期には使用人だけで70人を数えたと言われている。
建物内部はよく保存され、近世の状態をよくとどめている。
とくに、大床の間に描かれた老松や襖絵は狩野派の絵師によるもので、往時の繁栄がしのばれる。
この住宅は現存する町家のなかで最古と考えられるもので、国の重要文化財に指定されている。
また明治の終わり、与謝野晶子らとともに活躍した明星派の歌人石上露子(いそのかみつゆこ)の生家としても知られている。
現在は市で管理しており、寺内町で唯一、建物内部の見学も可能である。
パンフレット
表通りと庭から見た建物外部
入口の土間
1階
螺旋階段
2階
蔵と展示
参考資料
旧杉山家住宅パンフレット
ホームページ関西デジタル・アーカイブ
May 2004 瀧山幸伸 source movie
寺内町は、宗教に基づく理想郷づくりを目指した自治自衛都市である。富田林の寺内町は、今井寺内町とともに今でも当時の姿を色濃く残していることで知られている。
当地は石川の崖上に立地し、天然の要害として地理的に恵まれている点に注目し、永禄3年(1560年)西本願寺派興正寺の証秀が当地の四町四方の台地を金百貫文で購入し、近郷四村(中野、新堂、毛人谷、山中田)の庄屋八人衆に町づくり、興正寺別院の建立の協力を仰いだ。八人衆は年寄役となり町の行政を行った。支配者から徴税権(諸公事)を放棄させ、裁判権も獲得した。石山合戦においては、教義の同じ本願寺側につかなかったことから信長の焼き打ちを逃れた。江戸に入ると天領となり、物資の集散と製造に携わる産業都市として発展する。主な取扱品は、綿、菜種、酒であるが、特に元禄時代の酒造業は町内の酒造家で河内全体の2割を占めるほど栄えていた。
寺内町は、外周に土塁と掘割を巡らせ、出入口は四か所のみの木戸門で守られていた。町内は興正寺を中心に碁盤目状の街路が形成され、東西約400m、南北約350m。平成9年(1997)には寺内町、在郷町として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中