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大阪府豊中市 原田神社

Haradajinja,Toyonaka City,Osaka

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豊中市中桜塚1-2-18 原田神社本殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 慶安5(1652) 五間社流造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、檜皮葺 棟札1枚 19931209


March 1,2025 大野木康夫  source movie

所在地 大阪府豊中市中桜塚1丁目2-18

阪急岡町駅からのアプローチ

   

拝殿

 

本殿(重要文化財)

慶安5(1652)年の建築
五間社流造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、檜皮葺
【豊中市ホームページから引用】
本社の創建は明らかではありませんが、社伝によると、天武天皇の頃(672~686年)と伝えられています。天正6年(1578年)荒木村重の兵火により社殿や宝物類を焼失してしまいました。
現在の本殿は慶安5年(1652年)に再建されたもので、五間社流造(ごけんしゃながれづくり)の形式をもち、その規模は、桁(けた)行7.35m、梁(はり)行は身舎(もや)部で2.07m、庇(ひさし)部で1.74mあります。正面に千鳥破風(ちどりはふ)および軒唐破風(のきからはふ)がみられ、屋根は檜皮葺(ひわだぶき)です。妻の形式や虹梁(こうりょう)の絵様などに特徴がみられ、近世前期の五間社形式神社本殿として貴重なものです。

                                                   

 


Mar.2012 野崎順次 source movie

大阪府豊中市桜塚1‐2‐18

撮影日: 2012年3月10日

原田神社の社伝によると、桜塚古墳群の故地に4世紀中頃〜5世紀末創建されたとされ、古代には素戔嗚尊など五神をまつり祇園神社と称した。鎌倉時代以降には牛頭天王信仰と習合し、東は豊嶋郡榎坂村(現吹田市江坂)から、西は川辺郡富松村(現尼崎市富松)にわたる摂津国中西部72村の産土(うぶすな)神社となり、「西牧総社」と呼ばれ崇められた。また足利氏からは厚い信仰を受け、神領として西牧六車の庄(桜塚・原田・曾根・勝部・走井・福井)の寄進をうけている。天正6年(1578年)に荒木村重の兵火にかかり、境内社の十二社殿本殿及び神宝等を除き全焼。仮殿を経て慶安5年(1652年)、現在の本殿が再建された。貞享2年(1685年)に神祇管領から「原田大明神」の神号を得て現在の社名となった。江戸時代に入ると境内地は狭められていったが、境内地に接した門前町は能勢街道と伊丹街道の結節点としても栄えるようになり、この市街地が現在の岡町の基となった。明治43年(1910年)に開通したころの阪急電車の写真を見ると神社の中に岡町駅があるように見える。

市有文 石鳥居 貞享五年(1720)

この鳥居は、能勢街道に面した原田神社東側正面に建っており、鳥居としてはもっとも類例の多い明神鳥居の形式をとっている。花崗岩製で高さは5.97m(中心)、幅は7.727m(笠石長さ)。向かって右の柱に「貞享五年(1720)」、左の柱に「戊辰八年吉日」の銘が刻まれており、このときに建てられたことがわかる。

         

市有文 摂社十二神社本殿 桃山?

三間社流造で、屋根は桧皮葺、桁行4.10m、梁間は身舎部で1.54m、庇部で1.08mの規模をもち、その基本的な構成は本殿と同様となっている。 身舎正面は5対7対5の割合で柱が配置され、格子戸を脇間ははめ殺し、中間は引き違いにたて、正側三面に高欄付の縁がめぐっている。17世紀初頭の建築とみられている。

               

拝殿

           

国重文 原田神社本殿 江戸前期 慶安五年(1652)

五間社流造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、檜皮葺

五間社流造は全国的にも類例が少ない。材料工法ともに上質な江戸時代前期の建築で、虹梁の配置や身舎とのつなぎ方、妻飾などに配した邪鬼など細部の形式意匠にも特色がある。

正面(東面)

                           

北面

         

南面

                   

その他境内

       

近くの岡町商店街に来夢来人(ライムライト)という中華料理店があり、塩つけ緬が美味しかった。

   

参考資料

豊中市HP

ウィキペディア「原田神社」


July. 2011 酒井英樹

撮影:2011年7月

<本殿>

 5間社流造、身舎側面2間、土台建、組物出組、庇繁海老虹梁、妻二重虹梁、二軒繁垂木、正面千鳥破風、檜皮葺

 江戸時代[慶安5年(1652)]

     

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