JAPAN GEOGRAPHIC

大阪府八尾市 高安千塚古墳群

(Takayasu-Senzuka Group of Tumuli, Yao City, Osaka Pref.)

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May 12, 2018 野崎順次 source movie

国史跡

八尾市の高安地区中部(千塚、山畑、大窪、服部川、郡川あたり)には約200基の古墳群が現存しており、その多さからこのあたりを「千塚」と呼ぶようになった。 古墳時代後期の6世紀から7世紀にかけて造られ、大正時代の調査で、かつては600基ほどあったとみられている。 その多くが、横穴式石室を持った直径10〜20メートルほどの小さな円墳で、高安山の中腹、標高50〜300メートルあたりに多く分布している。 大抵の場合、南側に開口している。 このあたりでは4, 5世紀の古墳時代前・中期にかけては巨大な権力を持ったごく少数の人物が巨大な前方後円墳を造った。しかし古墳時代後期には権力が分散し、財力のある小豪族がこのあたりに勢力を伸ばし、小規模な円墳を造るようになり、多くの墳墓が集中するようになったと考えられている。具体的な被葬者については詳細不明である。

明治時代初期に モースが開山塚古墳などを調査・スケッチをして、その成果を「日本におけるドルメン」として紹介している。 また、W・ゴーランドが二室塚古墳の写真撮影を試み、1897年(明治30年)に論文で「双室ドルメン」として発表していることが後の研究で判っている。 なお、坪井正五郎は1888年(明治21年)に「古墳・塚穴、ドルメン同源説」という論文を発表している。

(ウィキペディア「高安千塚古墳群」より)

近鉄信貴線服部川駅から花を愛でながら歩く。

         

俊徳丸鏡塚古墳(大窪・山畑27号墳)

円墳、D16m x H3.8m、右片袖式石室L7m、玄室L4.1m x W2.1m x H2.6m

俊徳丸はこの地の信吉長者の子で、美しく利発な若者でした。ある時、選ばれて四天王寺の稚児舞楽を演じ、これを見た隣村の蔭山長者の娘と恋に落ち、将来を契る仲になりました。ところが、俊徳丸は継母の呪いがもとで失明し、家を追われて四天王寺境内で物乞いをする身となり果てます。これを伝え聞いた蔭山長者の娘は、四天王寺に俊徳丸を探し求め、ようやく見つけ出して共に観音菩薩に祈ったところ、病は癒え、二人は夫婦となって蔭山長者の家を継ぎ、幸せに暮らします。

(八尾市ウェブサイトより)

                  

式内社 佐麻多度神社

山畑地区の産土神(うぶすながみ)、祭神は佐麻多度大神です。

境内の右手側には末社の山畑神社と山畑八幡宮があります。

    

宝積寺と地蔵堂

舟形光背(ふながたこうはい)をつくり、蓮華座に立つ錫杖(しょくじょう)宝珠(ほうじゅ)を持つ地蔵立像です。円光背があり、衣の衣文線も美しい、よく保存された石仏(室町時代後期)です。

                  

急坂を上る。

        

ドルメン古墳(大窪・山畑36号墳)を求めて農免農道を越えて登ったが、藪こぎの横道が分からず、登り過ぎて畑のなかの古墳石室跡にたどり着いただけ。大阪平野を見下す眺望はよかった。そして、農道を南へ。

               

来迎寺

       

浄土宗来迎寺境内の墓地に大窪・山畑6、7、8号墳が残されている。

   

市史跡 抜塚(大窪・山畑7号墳)

羨道のみが残り、トンネル状となっている。羨道現存L8m x W2.4m x  H2.2m。玄室は右片袖式で幅約3m x 5−6mと想定され、全体として巨大な石室であったようだ。円墳で推定径約30m x 推定高約6m。

          

大窪・山畑8号墳

右片袖式、石室現存L6.75m、玄室現存L4.4m x H2.2m。

       

大窪・山畑6号墳、石室内立ち入り禁止

右片袖式、石室L7.3m、玄室現存L4m x W1.7m x H2.3m.

         

さらに南へ、イタチが走る、神光寺の東に服部川古墳群が残る。

         

服部川7号墳

円墳、D20.3m x H5.6m、右片袖式石室L11.5m、玄室L4.8m x W2.9m x H2.8m

                  

服部川10号墳

             

服部川8号墳

         

服部川9号墳

     

市史跡 二室塚(服部川25号墳)

石室の構造は、右片袖式(みぎかたそでしき)の玄室を2つ連結したもので、全国的に類例のないものです。複数の石室を有する複室構造(ふくしきこうぞう)といわれる石室は、九州を中心に分布していますが、二室塚古墳の石室はこれと異なり、畿内で典型的にみられる片袖式石室を連結した構造で、このような石室は、同じ高安古墳群の郡川にある交互二室塚古墳(こうごにしつづかこふん)(右片袖式に左片袖式の石室を連結)にしかありません。二室塚古墳の石室は、当時の政権の中心であった畿内において、独自の複室構造として造られたものであり、畿内の横穴式石室を考える上で大変貴重なものです。また、二室塚古墳は、日本近代考古学の草創期である明治時代に、「日本考古学の父」といわれる英国人ウィリアム・ガウランドが、米国人ロマイン・ヒッチコックとともに、ガラス乾板による写真撮影を行い、「双室ドルメン」として、いち早く海外に紹介した古墳として貴重な学史を有する古墳です。

(現地説明板より)

円墳、D30m x H5m、右片袖式複室構造石室L11.2m以上、玄室(後室)L3.82m x W2.3m x H3.4m、玄室(前室)L4.4m x W2.4m x H3.1m、羨道はほとんど残っていない。

                      

帰途

    

参考資料

八尾市ウェブサイト

高安古墳群 分布・測量調査報告書 − 大窪・山畑南地区詳細分布調査 市史跡 二室塚古墳測量等調査 他 2007年3月 八尾市教育委員会

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