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佐賀県神埼市 姉川城跡

Anegawajo ato, Kanzaki city, Saga pref.

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May 14,2018 瀧山幸伸 source movie

国史跡

姉川城跡は、佐賀平野の東側に位置する神埼市を流れる中地江川の左岸に所在する城館跡である。この地は、古くは「ほい」(ほり)と呼ばれた水堀・水路(クリーク)を網の目状に巡らせた、中世に起源を持つ環濠集落が発達した土地で、特徴的な農村景観を形成している。この環濠集落は中世の城館跡と確認されるものが多く、姉川城跡もその一つで、この地の土豪姉川氏の居城とされる。このような城郭は、全国的に見ても他地域には類例がない形態である。

 城跡は標高約3mの沖積平野部の水田地帯に位置しており、西側を流れる中地江川が外堀の役割を果たし、東・北・南も城域を画す外堀で囲まれる。その規模は南北約800m、東西約550mにも及ぶ。城域は平安期に立荘された皇室領神崎荘の荘域に所在する。史料上の初見は、延文5年(1360)8月12日付け高木貞房軍忠状(『深堀家文書』)の「姉川・牟田城」で、同年11月日の龍造寺家経軍忠状・同家平軍忠状(『龍造寺家文書』)にも「阿禰河御陣」「阿禰河所々御陣」と見えており、当該期には城館として認識されている。

 姉川城跡は昭和60年代に農業基盤整備事業の対象地となったため、遺跡の重要性に鑑みて保存協議した結果、圃場整備は城域をはずして実施されることとなった。これをきっかけに、遺跡内部の状況把握のための発掘調査が開始され、調査は平成元年度から同7年度、同9・16年度に及んだ。

 城跡の内部を大別すると、①「館」地名が残る大きな中心的な島と②それを囲む「奥館」「妙法寺跡」「小路屋敷」等の地名が残る島群、③その西側に位置する「北ん屋敷」等の地名が残る島群、④中地江川左岸に形成され、「専称寺跡」等の地名が残る小規模な島群から構成される。①の島は南北116m、東西は北部で50m、南部で86mの台形状をしている。南を除く三面には土塁が築かれ、南側には門跡等が確認され、島南部の東西には東の泉水、西の泉水と呼ばれる舟入状の入り江を有している。

 調査では、島内を区画する溝状遺構に加えて掘立柱建物、井戸等が検出され、出土した遺物から、城が機能した時期としては、14世紀から16世紀後半と考えられ、それらの遺構の分布は、14世紀代は①と②を中心に、15世紀後半から16世紀前半は③を中心に広がり、さらに16世紀後半は④に、と徐々に城域の西側に向かって拡大していくことがわかる。出土遺物は、14世紀代、15世紀後半から16世紀代の土師器小皿・杯、瓦器椀、瓦質土器等を中心とした在地土器が大量に出土しており、それらが遺物の主体となっていることは、小規模な地域権力としての姉川氏の存在形態をうかがい知ることができる。

 姉川城跡の周辺には、以上のような環濠集落が散在しており、現在まで遺存しているものでは35カ所程度が確認されている。その中でも、姉川城跡は最大の規模を誇り、遺跡としての保存状況も良好である。全国的にも類例がない形態をとる城館跡であることから、史跡に指定し、保護を図ろうとするものである。(文化財データベース)

                          

 

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