佐賀県唐津市 名護屋城跡
Nagioya castle,Karatsu city,Saga
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Sep.18, 2013 田中康平
佐賀県 唐津市 名護屋城跡並陣跡(なごやじょうあとならびにじんあと)
Nagoya Castle Ruins, Karatsu city, Saga pref. 佐賀県唐津市鎮西町・呼子町、東松浦郡玄海町特別史跡 指定年月日:1926.11.04(大正15.11.04) 特別指定年月日:1955.08.22(昭和30.08.22)
日本百名城名護屋城は秀吉の朝鮮出兵のため1592年に完成、周囲には全国各大名の陣屋が約120設けられ一大城下町が出現したとされる。現在は石垣と礎石が残るのみで石垣の一部は壊されてもいる。これは秀吉の死後廃城となっていたが 徳川の世となり、島原の乱後廃城が悪用されることを避けるため意図的に壊されたといわれる。
現在は入口南側に県立の名護屋城博物館が設けられ、発掘・保存・一部復元が進められている。
城は本丸北西に5層7階の天守閣が設けられる等堂々としており当時としては大阪城に次ぐ規模であったといわれる。天守跡からの眺めは素晴らしく、この日は遥か対馬まで遠望できた。城や港を含めた全体のスケールの大きさが感じられる。陣屋は一例として博物館裏に木下延俊の陣跡が残っていて容易に見ることができるが、石塁が点々としたもので当時を想像することは難しい様に感じる。以下の説明は国指定文化財等データベースによる:
指定基準: 二.都城跡、国郡庁跡、城跡、官公庁、戦跡その他政治に関する遺跡
文録慶長両度ノ役ニ我出征軍ノ本営タリシ處ニシテ天正十九年豊臣秀吉九州ノ諸侯ニ命ジテ築カシメタルモノナリ百数十箇所ノ陣阯其ノ周囲ニアリ 後廃墟ニ属シ陣阯亦破壊セラレタルモノ多シト雖モ濠渠石疊磴道等尚遺存シ其ノ雄大ナル規模見ルヘキモノアリ今回指定ノ陣阯ハ調査ノ終ハレルモノノ中其ノ主要ナルモノニ係ル
文祿慶長の役に、豊臣秀吉は名護屋に本營を置き、從軍の大名はそれぞれその周辺に陣屋を設けた、名護屋城は海に挺出した、ゆるやかな起伏に豊む半島の最高所に営まれ、本丸は最も高く壹岐を眼前に、対馬をその彼方に望み、視野極めて広く、選地のすぐれたことを思わせるに十分である。
本丸の北より北西にかけて(又は北面に)低く遊撃丸、2の丸、彈正丸、西の丸の諸郭を連ね配し、これにつづいて西面に帶郭(馬場)を沿はせる。本丸の南西隅の大手虎口を降れは3の丸に出で、その南東隅の虎口を出で、千人隅(枡形とも)の郭の前を通り、3の丸下を西行すれば大手口に達する。
大手は城の南西隅に位し、また3の丸の東に断崖を背に負うて低く山里丸がある。これらの諸郭と虎口は何れも堅固な堂々たる石垣を以て堅められ本営としてまことに壮観である。
いま各所に改変のあともあり、また石垣の崩壞したところも少なくないが、総じてよく旧状をとどめている。
安土城から慶長年間の城郭に至る間の築城の沿革をたどる上に貴重な資料であり、その歴史上の位置と相まって、史跡としての価値は極めて高い。
天守台跡から多門櫓付近、下は遊撃丸
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