佐賀県武雄市 武雄温泉
Takeo onsen,Takeo city,Saga
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武雄市大字武雄550 武雄温泉新館及び楼門 新館 重文 近代/商業・業務 大正 大正3(1914) 建築面積409.53㎡、一部2階建、正面玄関ポーチ及び階段室、背面浴室及び便所付、桟瓦葺棟札(大正3年8月6日)1枚 20050722
武雄市大字武雄550 武雄温泉新館及び楼門 楼門 重文 近代/商業・業務 大正 大正3(1914) 建築面積119.96㎡、両側両翼屋付、本瓦葺及び桟瓦葺棟札(大正3年11月20日)1枚 20050722
佐賀県 武雄市 武雄温泉楼門
Takeo-onsen romon,Takeo city, Saga pref.
佐賀県武雄市 武雄町大字武雄7425
国指定重要文化財 重文指定年月日:2005.07.22(平成17.07.22)
国指定文化財等データベース解説文: 武雄温泉新館及び楼門は,近代に入り,観光温泉町として発展した武雄の拠点として計画された。ともに辰野・葛西事務所の設計,清水満之助の施工で,新館は大正3年8月6日,楼門は同年11月20日に上棟,大正4年4月12日に落成式が挙行された。
楼門は,入母屋造本瓦葺の木造二重門で,竜宮門形式である。
武雄温泉新館及び楼門は,伝統的な和風意匠を基調としつつ,細部意匠や架構等に新しい試みがみられ,高い価値がある。当時の建築界をリードしていた建築家の辰野金吾が関与した数少ない和風建築としても貴重である。
全体の配置計画などにも特徴があり,わが国の近代保養施設の歴史を知る上でも重要である。
辰野金吾の設計。釘を使っていないことでも知られる。東京駅が完成した翌年(1915年)に完成。東京駅に8つの干支、残りの4つの干支をここ武雄温泉楼門に残している。
A camera
B camera
武雄温泉
Takeo onsen
武雄温泉はJR佐世保線武雄温泉駅の東、武雄の温泉街が続く温泉通りの突き当たりに位置している。
敷地の正面に楼門があり、奥に新館がある。
武雄温泉は『肥前國風土記』にも記載されており、温泉としての歴史が古く、歴代為政者の庇護を受けた。
明治以降は武雄温泉株式会社の所有となり、明治28年(1895)に鉄道が開通し、観光温泉町として発展した。
大正2年(1913)に第二泉源を掘削するとともに、新しい温泉施設の建設を計画、地元出身(唐津藩士の子息)の辰野金吾の所属する辰野葛西事務所に設計を依頼した。
新館、楼門ともに清水満之助の施工で大正3年(1914)に着工し、翌年4月に落成式を迎えた。
それぞれに棟札があって上棟年月日、施工者が判明するうえに、設計図面が残っている。
全体的には伝統的な和風意匠を基調としているが、細部意匠には伝統的な形式によらない部分や洋風意匠などが混ざっている。
明治建築界の重鎮である辰野金吾が関与した数少ない和風建築でもある。武雄温泉新館
Takeo onsen Shinkan
建築面積410㎡、木造、一部二階建
二階建ての主体部を中心に、両翼に平屋の特別浴室を張り出し、背面に男女の浴室便所を附属。
正面中央に玄関、車寄、出窓、両脇に階段室を前面に突出させた左右対称の構成をもつ。
大正時代[大正4年(1914)]
武雄温泉楼門
Takeo onsen Romon
建築面積140㎡、入母屋造、本瓦茸、木造、二重門
初重の側を漆喰塗袴腰風の大壁とした竜宮門形式
左右に平家の具慶を張り出した翼屋(店舗)をもつ。
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