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埼玉県川越市 仙波東照宮

Senba Toshogu,Kawagoe City,Saitama

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川越市小仙波町1 東照宮 本殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永17(1640) 三間社流造、銅瓦葺 宮殿1基、棟札1枚 19461129

川越市小仙波町1 東照宮 唐門 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永17(1640) 一間一戸平唐門、銅板葺 19461129

川越市小仙波町1 東照宮 瑞垣 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永17(1640) 一周延長三十間、本瓦葺 19461129

川越市小仙波町1 東照宮 拝殿及び幣殿 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永17(1640) "拝殿 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝一間、銅瓦葺幣殿 桁行二間、梁間一間、一重、後面入母屋造、前面拝殿に接続、銅瓦葺" 19461129

川越市小仙波町1 東照宮 鳥居 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永15(1638) 石造明神鳥居 柱に寛永十五年九月十七日の刻銘がある 19461129

川越市小仙波町1 東照宮 隨身門 重文 近世以前/神社 江戸中期 江戸中期 八脚門、切妻造、とち葺形銅板葺 19461129


July 25,2025 大野木康夫 source movie

所在地 埼玉県川越市小仙波町1丁目21-1

東照宮(仙波東照宮)は川越市の中心部の東、小仙波町に位置しています。
鉄道駅(西武新宿線本川越駅、東武東上線川越市駅)から徒歩10分ほどです。
【川越市ホームページから引用】
徳川家康の一周忌をむかえ、元和3年(1617)に遺骸を久能山から日光に移葬した際、喜多院で大法会が営まれたことから、天海が寛永10年(1633)に家康を祭神とする東照宮を創建した。その後、寛永15年(1638)の川越大火で焼失したが、堀田正盛を造営奉行として寛永17年(1640)に再建された。
本殿は銅瓦葺の屋根に置き千木(ちぎ)、堅魚木(かつおぎ)を載せた三間社流造で、軸部は黒、壁面・木階(きざはし)・垂木などは朱に塗られ、長押(なげし)・頭貫(かしらぬき)・虹梁・組物・蟇股などの装飾部材は極彩色が施されるなど、日光東照宮に倣った装飾豊かな建築である。室内に安置されている宮殿(円形厨子)は、高さ2尺5寸ほどである。中には、異国風の甲冑をまとい、右手に剣、左手に薬壺を持ち、葦毛の馬にまたがった徳川家康像が祀られている。作者は京都七条仏所の康音(こうおん)で寛永期(1624から1644)の作と考えられる。
本殿の中央正面に唐門がある。この唐門は一間一戸の平唐門で銅瓦葺である。唐門は、瑞垣で囲われた本殿に入る正門であり、妻側が唐破風屋根となっている一間一戸の銅瓦葺平唐門である。2本の本柱で切妻造の屋根を支える棟門形式を採用しているが、本柱を貫でつないだ石の支柱が背面で支えている。主要部を黒と朱で塗り、頭貫(かしらぬき)・台輪・軒桁・組物・蟇股などに極彩色が施され、華やかである。東照宮本殿の四周を囲む瑞垣は、唐門の左右から延びて総延長30間を測る。大面取の角柱から腕木を出して出桁を受ける出桁造を採用し、本瓦葺屋根を支えている。壁面の腰上部分に竪格子がはめられた透き塀で、全体を朱、格子を緑で塗った色鮮やかな塀である。
正面3間側面2間に1間の向拝が付く拝殿とその背後に幣殿が、T字型に棟続きで接続している。いわゆる権現造のように本殿と連結する形式ではなく、唐門・瑞垣(みずがき)で囲われた本殿とは分離している。屋根は銅瓦葺の入母屋造で、建物全体が彩色でおおわれ、朱塗を基調として身舎(もや)の蟇股と向拝の組物・蟇股・木鼻、手挟(たばさみ)などを極彩色仕上げとしている。内部は、天井が拝殿・幣殿とも小組格天井(こぐみごうてんじょう)、床は拝殿が拭板敷(ぬぐいいたじき)、幣殿は畳敷となっているが、柱・長押(なげし)・頭貫・組物などは朱、建具・天井の小組格子は黒というように塗り分けられている。なお、昭和37年(1962)の半解体修理において、拝殿および幣殿は解体建物であったことが確認されたため、これらの建物が江戸城二の丸東照宮から移築された可能性が高いと考えられる。
石鳥居は寛永15年(1638)9月に造営奉行の堀田正盛が奉納したもので、柱に「東照大権現御宝前 寛永十五年九月十七日 堀田加賀守従四位下藤原正盛」の銘文が刻まれており、様式は明神鳥居である。
境内の入口にある随身門は、三間一戸、朱塗の袖塀付八脚門で、屋根は切妻造で、橡(とち)葺形の銅板葺である。正面3間側面2間の規模をもち、棟筋の本柱4本、前後の控柱8本からなる八脚門の形式を採用し、組物は出三斗(でみつど)で、中備(なかぞなえ)は正面と背面の中央間だけ間斗束(けんとづか)を配する。妻飾りは、出三斗の組物上にわたした虹梁が大きな板蟇股を支える形式となっており、他の社殿とは異なる簡素な構えである。以前には後水尾天皇の宸筆(しんぴつ)になる勅額が掲げられ、この勅額の裏面に朱塗りで寛永10年(1633)12月24日の年号が記されていたことと構造技法からみて、江戸時代中期に造営されたものと考えられる。

東照宮は日曜日は開門しますが、訪問したのは金曜日で閉門していました。周囲の塀が低いので、閉門していてもある程度撮影することは可能です。

 

拝殿及び幣殿(重要文化財)
寛永1(1640)年の建築
拝殿 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝一間、銅瓦葺
幣殿 桁行二間、梁間一間、一重、後面入母屋造、前面拝殿に接続、銅瓦葺

                                                       

本殿、唐門、瑞垣

        

唐門(重要文化財)
寛永17(1640)年の建築
一間一戸平唐門、銅板葺

             

本殿(重要文化財)
寛永17(1640)年の建築
三間社流造、銅瓦葺

                                                                                      

瑞垣(重要文化財)
寛永17(1640)年の建築
一周延長三十間、本瓦葺

       

鳥居(重要文化財)
寛永15(1638)年の建築
石造明神鳥居 柱に寛永十五年九月十七日の刻銘がある

            

随身門(重要文化財)
江戸中期の建築
八脚門、切妻造、とち葺形銅板葺

                         

 


Dec.9,2023 柚原君子

埼玉県川越市小仙波町1丁目21−1

江戸幕府を築いた徳川家康は没後は「東照大権現」として神格化されて信仰の対象となり、「東照宮」の名称で祀られています。昨年2023年の統計では全国に130社遺されているそうです。
そのうちの一つでもある仙波東照宮は喜多院の一角にあります。どうしてこの一角にあるのかは境内の、埼玉県教育委員会 川越市教育委員会の立て札をそのまま掲載します。

「重要文化財・建造物 仙波東照宮
徳川家康をまつる東照宮は、家康の没後その遺骸を久能山から日光に移葬した元和3年(1617)3月、喜多院に4日間とう留して供養したので、天海僧正が寛永10年(1633)1月この地に創建した。
その後寛永15年(1638)正月の川越大火で延焼したが、堀田加賀守正盛を造営奉行とし、同年6月起工、同17年完成した。当初から独立した社格をもたず、喜多院の一隅に造営されたもので日光・久能山の東照宮とともに三大東照宮といわれている。
社の規模は表門(随身門)・鳥居・拝幣殿・中門(平唐門)・瑞垣・本殿からなっている。本殿の前には歴代城主奉献の石灯寵がある。なお拝殿には岩佐又兵衛勝以筆の三十六歌仙額と幣殿には岩槻城主阿部対馬守重次が奉納した十二聡の鷹絵額がある。埼玉県教育委員会 川越市教育委員会」
重要文化財である随身門をくぐると参道は気持ちの良いくらい一直線に本殿まで伸びています。
東照宮の石段前を左に山道を少し歩くと喜多院にいかれます。また東照宮の裏からも喜多院本殿裏のどろぼう橋に抜けることも出来ます。

余談ですが、童謡「あんたがたどこさ」は、仙波山が発祥の地との異説もあります。

                                                           


Dec.15,2019 柴田由紀江

                        


Sep.26,2016 瀧山幸伸 source movie

                                                                                                            


April 29,2016 松田浩志

                       


Mar.2008 瀧山幸伸 source movie

仙波東照宮

Senba Toushougu

所在地: 埼玉県川越市小仙波町一丁目

重要文化財

重文指定年月日: 1946.11.29(昭和21.11.29)

本殿

年代: 寛永17 西暦: 1640

三間社流造、銅瓦葺

唐門

年代: 寛永17 西暦: 1640

一間一戸平唐門、銅板

瑞垣

年代: 寛永17 西暦: 1640

一周延長三十間、本瓦葺葺

拝殿及び幣殿

年代: 寛永17 西暦: 1640

拝殿 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、向拝一間、銅瓦葺

幣殿 桁行二間、梁間一間、一重、後面入母屋造、前面拝殿に接続、銅瓦葺

鳥居

年代: 寛永15 西暦: 1638

石造明神鳥居 柱に寛永十五年九月十七日の刻銘がある

随身門

年代: 江戸中期 西暦:1661-1750

八脚門、切妻造、とち葺形銅板葺

(文化財データベース)

           

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