埼玉県所沢市 旧台徳院霊廟
Kyu Taitokuin Reibyo,Tokorozawa city,Saitama
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所沢市上山口2213 旧台徳院霊廟勅額門、丁字門及び御成門 勅額門 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永9(1632) 四脚門、切妻造、銅瓦葺 19300523
所沢市上山口2213 旧台徳院霊廟勅額門、丁字門及び御成門 丁字門 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永9(1632) 桁行一間、梁間一間、平唐門、銅瓦葺 19300523
所沢市上山口2213 旧台徳院霊廟勅額門、丁字門及び御成門 御成門 重文 近世以前/神社 江戸前期 寛永9(1632) 桁行二間、梁間一間、一重、切妻造、妻入、銅瓦葺 19300523
Dec.2021 柚原君子
狭山不動尊
所在地:埼玉県所沢市上山口2214
埼玉県所沢市の西武球場前の駅から徒歩5分にある天台宗別格本山の寺院。山号は狭山山、寺号は不動寺。本尊は不動明王。埼玉西武ライオンズが毎年シーズン開幕直前に必勝祈願を行う寺としても知られています。
国の重要文化財に指定されている旧台徳院霊廟勅額門、丁子門及び御成門の3棟が寺院内にありますが、いずれも移築されたものです。
境内をまわると多宝塔や門、弁天堂などがあります。説明版を見ると、いづれも全国から集められたようで地域が分散しています。しかしこれには理由があって、いづれも1975(昭和50)年
に西武グループが各地のプリンスホテルを開発した際に、買収した土地にあった遺構を移動させて当地に集め、昭和50年に当時の西武のオーナーであった堤義明と親しかった寛永寺の助力により、天台宗別格本山として建立したという経緯があります。
京都東本願寺から移築した本堂である七間堂は、2001(平成13)年、不審火により消失しています。
境内にあるいくつかの遺構を境内掲示板のままに掲載します。西武球場の直近ですし、桜の頃にでも境内ゆっくり散策して味わうのも良いかもしれません。
1,御成門
『元、東京芝の徳川家台徳院(二代将軍徳川秀忠)の御廟に建立されていたものです。飛天の彫刻や絵画が多く描かれ、朝鮮渡来の天人門と言われています。寛永9年(1632年)三代将軍徳川家光公が建立したもので、格天井の中央に丸い鏡天井が設けられ、独特な様式を伝えています』(境内掲示より)
2,勅額門
『元、東京芝の徳川家台徳院(二代将軍秀忠)の御廟に建立されていたものである。飛天の彫刻や絵画が多く描かれており朝鮮渡来の天人門といわれている。寛永九年(一六三二年)三代将軍従一位左大臣徳川家光公が着手建立し格天井の中央に丸い鏡天井が設けられ珍しい特徴を伝えている。現在国指定の重要文化財となっている。』(境内掲示より)
『元長州(現在の山口県)藩主毛利家の江戸屋敷に建てられた門である。素材はすべて「けやき」で造られ、直線がたくみに組み合わされており、いかにも武家屋敷の門にふさわしく表現されている。清廉豪快で質素ななかにも威風堂々としており、気品も高く、めずらしい門である。』(境内掲示より)
第一多宝塔……この多宝塔は弘治元年(一五五五年)大阪府高槻市梶原の畠山神社に美濃国林丹波守が建立したものと伝えられているが上層屋根の隅木に慶長十二年(一六〇七年)の墨書があり、約三七〇年前の桃山時代の建立であることが明らかである。昭和三十六年当境内に移され、大和工匠の手によって修復され完成した。細部の装飾手法に桃山時代の特色をよく表しているばかりでなく全体の形もよく整い、昭和三十八年四月埼玉県有形文化財に指定されている。構造形式三間多宝 本瓦葺(境内掲示より)
第二多宝塔……この多宝塔は室町時代中期永享七年(一四三五年)兵庫県東條町天神の椅鹿寺に、播磨国守護赤松満男教康が建立したものである。細部にわたって室町時代中期の様式をよく伝えている秀作である。大和の工匠の手によって当境内に移され、昭和三十九年八月完成した。(境内掲示より)
大黒堂(旧歌塚堂……このお堂は歌聖柿本人麿のゆかりの地、奈良極楽寺境内に建立された人麿の歌塚堂である。当時の歌人達が歌会を開いた堂宇であると伝えられている。昭和三十八年五月、当境内に移築され、後大黒天をお祀りした。構造形式、本瓦葺、入母屋造り
大黒天……このお堂の御本尊は東叡山寛永寺山内の見明院に奉安されていた尊天である。この度、当山の開創にあたり御尊天をお迎えいたしました。昔から大黒天を拝むと一生食べるに困らないといわれます。どうか、是非この御本尊をお詣りなさいまして、広大無辺なご利益をお受けになる様つつしんでお勤め申し上げます。(境内掲示より)
弁天堂(旧清涼寺経蔵)……このお堂は滋賀県彦根市吉沢町の清涼寺に井伊直孝の息女が父直孝の追善菩提のため建立したものである。建立の年代は万治二年(一六五九年)より元禄六年(一六九三年)の間と考えられる。昭和二十三年八月当境内に移築され、その後、弁財天をお祀りした。(境内掲示より)
弁財天……このお堂の御本尊は上野不忍池弁天堂の御本尊である。大弁財天の分身として、古く東叡山寛永寺山内の現龍院にお祀りされていた尊天である。この度当山の開創にあたり、御尊天をお迎えいたしました。あらゆる心願が成就されます。(境内掲示より)
<丁子門>
正面1間、側面1間、組物三斗、中備蟇股、二軒繁垂木、唐破風造、妻大瓶束、銅瓦葺
昭和35年(1960)に現在地に移築
江戸時代前期[寛永9年(1632)]
《彫刻》
<御成門>
正面1間、側面2間、組物禅宗様出組正背面詰組、妻二重虹梁蟇股、二軒繁垂木、切妻造、妻入、銅瓦葺
昭和35年(1960)に現在地に移築
江戸時代前期[寛永9年(1632)]
《彫刻》
<勅額門>
四脚門、組物禅宗様三斗、二軒繁垂木、切妻造、銅瓦葺
昭和35年(1960)に現在地に移築
江戸時代前期[寛永9年(1632)]
《彫刻》
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