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滋賀県愛荘町 旧愛知郡役所庁舎

Kyu Echigunyakusho,Aisho,Shiga

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Jan.2014 中山辰夫

愛知川町の寺社絵様一覧

愛知郡愛荘町愛知川72 「近江愛知川町の歴史」より引用 中・近世の寺社建築の魅力は、空間構成は勿論、蟇股や柱の頂部に取り付けられた彫刻、紅梁の両端部に彫られた絵様等の細部意匠にある。

こうした彫刻や絵様は、建築を豊かに飾る要素として重要であるとともに、時代や大工の特徴をよく表す部分であり、建物の建立年代や大工集団を知るうえでの重要な要素である。

愛知川と近隣寺社の絵様一覧

愛知川町の寺社建築の大工

≪絵様と大工の変遷から読み取れること≫

絵様については、17世紀頃は彫りの線が細く、渦の形が円に近く、その先に延びる葉の彫刻もあまり発達していない。

18世紀になると、渦の先の葉が発達していく傾向がみられる。葉の上部にもう一つ渦を加える動きが見られる。以降、その渦は線を太くし、葉の部分は長く伸び、或いは渦を巻き込み、花を咲かせたり渦巻く波となる。

19世紀には、渦の形は雲が紅梁の中を自由に漂うような表現へと変化してゆく。

八幡神社本殿を建てた大坂の大工宮屋の構法は、あらかじめ大坂の工房で加工した部材を現地で組み立てるというプレハブ方式であった。

さらに本殿は装飾豊哉意匠や優れた仕上がりで、近江における宮屋の作品として卓抜したものとされる。  


Jan.2011 撮影/文:中山辰夫

愛荘(あいしょう)町の概要

滋賀県愛知郡愛荘町

愛荘町は滋賀県の中央部に位置し、東西約13km、南北約6.9km、総面積37.95㎡で、滋賀県全体の約1%を占めている。

町東部の山際には国道307号線と名神高速道路が、西部に広がる湖東平野には中山道と国道8号線、近江鉄道、東海道新幹線が、それぞれ南北に縦断しており交通の要衝地でもある。この名神の利用で、京都へ1時間、名古屋へ2時間で行ける。

地勢では、鈴鹿の山麓から西に広がる洪積丘陵と扇状地が湖東平野の一部を形成し、南には一級河川愛知川が、中央部には一級河川宇曾川や岩倉川が流れており、古くから水との関わりが深い。

この地域は古くから開けた土地で、条里制による土地制度の遺稿が多く残されている。

湖東三山で知られる金剛輪寺(既報)や近世では中山道66番目の宿場として愛知川宿が栄えた。

明治に入ると郡役所や警察などの官公署が置かれ、近江鉄道が開通するなど、古くから地方の中心として発展してきた。

ものづくりには技を受け継ぐ伝統が息付き、暮らしには心を織り成す歴史が刻まれている。

平成18年に泰荘町と愛知川町が合併して愛荘町誕生した。

愛荘町内では、縄文時代から現在まで脈々と人々が生活してきたことが明らかになっている。また、郷土の先人たちが残した貴重な文化財も数多く残されており、平成20年10月現在、国指定有形文化財18件、国指定名勝1件、県指定有形文化財4件、県指定史跡1件、町指定有形文化財11件、町指定史跡1件、国登録有形文化財20件および埋蔵文化財86遺跡が文化財として指定・登録されている。近江鉄道沿線にそって開けており、その中心は金剛輪寺である。

旧愛知郡役所庁舎愛荘町愛知川36−1 中山道を右に曲がり豊満神社へ向かう途中にある。近くには近江上布伝統産業会館、びんてまり館、町役場がある。

愛知川に残る旧軍役所の建物で、大正11年(1922)に建築された。

ヨーロッパの流行のデザインを採り入れながら和風的要素を加味した、当地域における近代デザインの伝播過程を知る上でも貴重な建築とされる。

郡役所としては僅か4年ほどしか利用されず、戦後はJAの所有となり、現在は町が建物をJA(農協)から借受けている。

通常は非公開である。左右に長い下見板の建物で、現存する郡役所の建物と下は大型の部類に入る。

現状は有効な活用がされてなく、老朽化が進んでいる。

希少性の少ないこの建物を残そうとする運動が展開されている。

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