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滋賀県愛荘町 藤居本家

Fujiihonke,Aisho town,Shiga

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 酒


Apr.2013 中山辰夫

近江は昔から酒造りの盛んな地である。県面積の六分の一を占める琵琶湖を有する近江の国は、東の伊吹山地、鈴鹿山地、西の比良、比叡山地に囲まれた盆地である。古くから穀倉地帯として知られ、県産酒の多くは、こうした山々を源とする地下水で仕込まれている。名水あり、好適米あり・・・近江はまさに酒造りに最適な地とされてきた。

近江の国は、昔から水陸の交通の要所であったため、東海道や中山道沿いの宿場町には沢山の造り酒屋が栄えた。当時盛んに活躍した近江商人が、京都はじめ越後や関東にまでその活動範囲を広げ、江州店(たな)と呼ばれる数多くの酒屋が、この地の醸造技術を他の土地に伝えるという重要な役割を果たした。

現在ある、近江の37の蔵元の日本酒(地酒)693銘柄が、安土城考古博物館に全瓶集合し展示された。これだけの多数の銘柄が一堂に展示されるのは滋賀県では初めてのことで、全国的にも稀な展示であり圧巻である。

安土考古博物館と展示された近江の地酒

藤居本家

滋賀県愛知郡愛荘町長野1769 国道8号線長野の信号を西に向かって左折、大瀧神社手前に建ち、店舗のどっしりした店構えですぐにわかる。

『藤居本家』は、天保2年(1831年)以来、180年強続く伝統ある造り酒屋である。古くから新嘗祭(にいなめさい)のお神酒を宮中や神社に献納してきた歴史を持つ。およそ150年前の愛知川の伏流水と地元産の酒造好適米を使い、能登杜氏が技術の枠を尽くして酒造りをしている。

藤居本家では、酒造りや日本酒への理解を深めてもらうために、本家や酒蔵の見学(無料)を実施している。

総ケヤキ造りの酒蔵は、NHK朝の連続テレビ小説「甘辛しゃん」のロケに使われたこともある。ひときわ目立つ建物で一見の価値がある。

配置図(引用)

店舗

1Fが売店兼事務所、2Fガケヤキの大広間である。店舗外観

白漆喰仕上げで、重厚感にあふれる。

表門

白漆喰仕上げ前のままの状態。6代当主・藤居静子さんが仕上げを後回しとされたとか。味のある見栄えになっている。

店舗1階内部

売店、事務所である。

店内のど真ん中に建つヒノキの巨大な丸柱が目に飛び込む。その太さにビックリ。ふた抱えもある樹齢700年のけやきの丸柱で、2階まで

直通・直立している。重厚な総けやきの建物は築約55年経過とか。天井も高い。

 

酒糟(さかふね)を利用したテーブルと契約栽培している原料米の稲穂、滋賀渡海6号も並ぶ≪参考に説明あり≫ 店舗2階部分 200畳の大広間である。ケヤキ材で囲まれた大空間があった。当主・藤井静子さん自らが設計。木材探しから始めて、何十年かけて建築された。

床や一枚板のテーブルに至るまで総ケヤキに目を見張るばかりである釘を一切使わない工法。天井には鏡がセットされている。建築関係者の見学も多いとか。

現在はコンサート等の開催にも利用されている。住居部配置図(引用)

主屋

国登録文化財

北東を正面とする2階建である。

主屋平面図(引用)

外観

主屋は、大正5年(1916)頃に竣工したとされる。昭和30年代に藤居家が買い取り移築された。その際に長大な桁行が敷地に入らないので、主屋と書院を分離してL字型に配置された経緯がある。

当初の持主であった日野町の著名な近江商人・中井源左衛門の豪勢さが分かる建物である。≪参考≫に説明あり

移築工事を施工したのは、京都の白波瀬工務店と聞くが、南座を設計・施工した白波瀬直次郎に連なる白波瀬工務店とのかかわりは不明である。

細部

土間部分は棟高を低くして切妻造とする。表座敷は棹縁天井で吹きガラス戸を入れる。主屋玄関・座敷の内部(教育委員会発行資料より引用)

書院

国登録文化財

主屋の北に南東に面して建ち、玄関棟と座敷棟からなる。配置図と平面図(引用)

外観

書院玄関・座敷の内部(引用)

店舗二階から見た光景

では、蔵の入り口で酒蔵に湧く美味しい仕込み水を戴くことから始まる。

藤居本家東蔵試験室及び受検室

国登録文化財

酒の製品検査を行う部屋などに内部を間仕切る。

西正面は、真壁造で白漆喰仕上げとし、腰板を張り入母屋屋根の妻を塗りこめ、虫籠窓を穿つなど、重厚な構成である。藤居本家東蔵清酒蔵・仕込蔵

国登録文化財

大正時代築造の歴史ある「東蔵」である。

外壁を軒裏まで漆喰で塗りこめ西壁の腰を堅板張とする、水路側の妻面に戸をたて短形の窓を配する。水路の石積などとともに、重厚な外観を構成している。

鬼瓦には『神』とある。刻まれた神の字はお神酒蔵を意味していると思える。

蔵内部の見学

大正時代の酒蔵は総ケヤキ造。天井も高く、頑丈なまま残っている。現在は保存庫として使われている。

酒樽の中には昭和46年頃に仕込まれたものもあり、静かに寝ていました。大正時代の酒蔵から昭和時代の酒蔵へと続く。一升瓶1万本分入ったタルがズラリと並ぶ。熟成中である。ここも総ケヤキの蔵である。

土壁はむき出しのままである。大きな蔵を支える4本の太いケヤキの柱。これについては後で触れたい。

藤居本家東蔵煙突

国登録文化財

建築は酒蔵とおなじ1923(大正12)年頃。煉瓦造りで高さ11m。方1.3mの矩形平面な煉瓦造煙突でイギリス積。並び建つ土蔵の長大な白壁や屋根瓦の風合いと好対照な外観をもち、酒造場に相応する歴史的景観を形成している。

宮蔵(非公開)と仕込体験

宮蔵は少し離れた場所、大瀧神社の裏側にある。

藤居本家の特別の計らいで、宮蔵の内部に案内された。当日の朝は、納豆や柑橘類を食べること、濃い化粧や香水の使用は厳禁だった。

宮蔵

準備万端、蔵の中へ進む。年月の重なりを感じる。

蔵の中

総ケヤキ造りで天井が高く、土壁の打ちっぱなしである。造りは、夏場は気温が低く、冬場も大きく冷え込まないようにされている。

百年以上前の創業時より酵母がずっと棲み続けている。酒蔵そのものが生態系である。杜氏さんは無数の微生物の管理が重要仕事である。

先ずは神棚へのお祈りから始まり、藤居鐵也社長より説明を受ける。

蔵の中は杜氏さんが総責任者。社長さんも及ばない。

準備開始

能登杜氏さんから作業手順の説明をうける。仕込蔵の床一面に簀(す)を敷き、蒸米を薄くひろげ冷やす作業を行う。

蒸米の運搬移動

お米は30%カットの「70%玉栄」。口にするとややかたい感じがしたが、噛んで居るとすぐに甘くなった。

米は麹(こうじ)を植えつけたり、醪(もろみ)の中でゆっくりと溶けるようにするため、蒸して澱粉をα化(糊化)させる。甑(こしき)という杉製の桶で蒸された蒸し米を甑から運び出す。蒸米の温度は65℃前後ある。これを15度前後まで15分ほどで冷やす。

仕込作業

蒸米・麹・酒母・水をあわせたものを醪(もろみ)といい、これを桶やタンクの中で発酵させることが「仕込み」である。使う水を「仕込み水」といい、愛知川の伏流水を使う。仕込みは腐造(ふぞう)を防止するために、4日に分けて3回行うことから、『3段仕込み』と呼ばれている。

冷えた蒸米を加え、「櫂(かい)」で攪拌する。粘り気もあってかなりの重作業である。

 

発酵だけでアルコール20度が出せるのは日本酒だけの大きな特徴。このまま寝かせ3週間ほど発行する。今回は一升瓶で1800本が準備された。

3月9〜10日に、このお酒を全員で戴くのが楽しみである。

 

最後に「もろみ」を味わう。藤居本家の皆様のご協力で大変いい見学・体験が出来参加者一同大喜びであった。仕込みを行ったお酒が出来上がりました。

命名は、参加者全員の参道で”藹々(あいあい)“と決まっていましたが”和気“を追加して”和気藹々“となりました。

藤居社長さんのお話で、糖度5、アルコール分17度、口当たり 少々辛め と説明がありました。

各自が手作りした水茎焼の器で乾杯。酒宴が盛り上がりました。

≪参考資料≫ 藤居本家に関連のあれこれ

①渡船6号 ②藤居本家をとりまく歴史 ③6代目当主・藤井静子氏 ④日野商人・中井源左衛門 ⑤日本酒に関する講義内容

① 渡船6号

滋賀発祥の酒米でありながら、昭和30年代に栽培が途絶えて以来、文献に記述が残る程度の酒米だった「渡船(わたりぶね)」。現存する数少ない日本古来の在来種であり、酒米の王様といわれる「山田錦」の父系にあたる貴重な品種にもかかわらず、栽培の難しさも手伝って誰も作らなくなっていた。

 

だが、「滋賀で生まれたこの酒米で〝近江の地酒〟を作りたい」という熱い思いをもつ人たちが少なからずいた。

そうした人たちの熱意で、滋賀県の農業試験場にわずかばかり残った籾種から苦労の末、栽培に成功。半世紀ぶりに幻の酒米・滋賀渡船6号が復活した。

 

穂先までの長さが160㎝もあるので台風など風の影響を受けやすく、しかも花を咲かせる時期がバラバラなので収穫が安定しない。これは、実る時期を少しずつずらすことで、子孫を根絶やしにしないための防衛本能だと思われる。

平成16年から3年かけてやっと出荷ができ、県内各地の酒蔵で滋賀渡船6号の個性を活かした酒造りが始まった。その昔、アメリカの移民局に種子が送られ、カリフォルニア米の始祖になったという逸話もある渡船。これはまさに近江が生んだ〝宝物〟といえる。「藤居本家HPより抜粋」 ②藤居本家をとりまく歴史日本は、中世になると、生産技術の向上や貨幣の流通、人的交流の拡大によって商業が発達し、中央と地方を結ぶ遠隔地取引も成立していった。

12世紀に入ると、近江では延暦寺や佐々木氏の保護下で定まった日だけ市が立つ定期市が行われた。

藤居本家が所在する愛知川町長野中村には、東山道沿いに近江国内の親市として月に一回の市が立った古い歴史を持っていたが、愛知川宿の誕生と発展でその役は終えていた。江戸時代、愛知川村は彦根藩領であった。彦根藩は年貢米確保のため、百姓の農業出精を促すため17条の法令を出し、村人の商業活動や都市部への徘徊を禁じた。

しかし農作物の不作や災害もあって村全体が成立たない事態も続出し、その打開策の一つとして旅商いに出る動きが出始めた。

江戸時代の彦根藩では酒を扱う商人を①酒株商人 ②分株酒商売 ③酒商売 ④請酒商売の業者に分けて奉行所が把握していた。

株券の所有者しか営業が出来ず、しかも株券に規定された酒造高以上の生産は禁止されていた。米の出来具合で何度も酒造制限令が出され、不安定な経営であった。

1836(天保7)年の調べで、愛知川村において酒株(分株酒をふくむ)商売を営むものもいたとされるが記録が残っていない。

史料での確認によると、浦部家が1760(宝暦10)年に株券を購入した記録が残る。神崎郡位田村(東近江市五個荘)の五兵衛が所持していたものである。

記録に見る藤居家関係

長野中村の庄兵衛(藤居家)が酒造株を取得したのは、1855(安政2)年正月。この株は、坂田郡岩脇村八郎右衛門が所持していたもので、1801(享和元)年改めで280石、天保14年改めでは30石、当時高は二石五斗五升であった。

百姓の透き間に酒造商売をして渡世の助力にしたいと願状に記されている。

関連として、近郊の豊郷町吉田100にある酒蔵名『株式会社岡村本家』は安政元年(1854)の創業とされ、彦根藩主井伊大老より酒造利を命じられ、国宝彦根城(別名金亀城)より「金亀」を戴いたとされる。藤居本家も同年代頃に創業したと思われる。 1875(明治8)年における藤居庄平の製造高は15石と小規模にとどまっている。この年、醤油醸造業では藤居甚平が30石を生産している。一族であろうか。

その後の歴代当主は、酒造以外に、茶道や俳諧をたしなまれ地元の文化活動振興や、又町長にも選出されるなど、地元への貢献が大きい。そして当主は6代目当主:故藤居静子氏 7代目当主:藤居鐵也と続く。 ③6代目当主、藤居静子氏 百歳の大往生

1911(明治44)年生まれの藤居静子さんは、2011(平成23)年8月、100歳でお亡くなりになりました。

2000(平成12)年3月頃のお元気な姿(当時89歳 読売新聞社) 

その履歴は≪スーパーウーマン≫と称するにふさわしい挫折と誇りと輝きに満ちた一生であったと言える。

その言動は、女性の先駆者として現代にも通じる重みをもつ。 1927(昭和2)年東京女子医学専門学校(現在の東京女子医科大学)へ入学。

日本初の女医養成機関を設立した吉岡弥生の薫陶を受け医師免許を取得。卒業後、京都帝国大学に於いて生理学を修める。

1935(昭和10)年、父の急死で実家に戻り結婚。婿養子では家業が酒造業の免許が下りないため、「戸内婚姻」という形で、先に養子縁組した相手と結婚してのれんを守る。(24歳)

女が酒蔵へ入ることは禁止されていたため、学んだ細菌学の知識で、顕微鏡で調べてこうじ菌や酵母だけを残すことに成功、2年後に全国コンクールで優等賞を受ける。

学究肌の夫に代わり、酒造業を一手にひきうけて頑張り二男4女を育てた。

総ケヤキ酒蔵

「男でも女でも酒蔵さえ建ててくれればいい」と言った4代目、祖父の言葉を忘れず、県内で行われる社寺の新・改築現場に繰り返し足を運んで習うなど独学で建築を学んだ。

県内のケヤキの持ち主には10年かけて譲り受けの交渉を行った。

ケヤキ探しに10年、育成に10年、建築に10年と歳月をかけて、総ケヤキ造の昭和の酒蔵や店舗の1・2階、その他の棟を自らの設計で建てた。酒蔵にそびえ立つ4本の太いケヤキ柱には、大木を抱きかかえて、「私の所へ来たならこのままの形を守ってあげる。他へ行ったら薄い板にされてしまうよ」と語りかけ、その情熱が通じて譲り受けたとも聞く。今や入手不可能な樹齢700年以上の立派なケヤキが酒蔵を支えている。

まだまだ活躍は続く

全国初の女性知事立候補

1947(昭和22)年地方自治法が公布され、初めての知事選挙が行われこれに立候補した。(36歳)4人の子どもがいた。夫からは「当選しないなら出てもいい」と許しを得た。「女でも知事になれるという事態を認識させ、婦人の政治への関心を高めることが民主日本を建設するのに一番大切なことである」と抱負を述べている。(滋賀新聞22・3・26)結果は落選であったが、婦人有権者の投票増加は、女子の政治関心の向上を裏書きし民主日本に明るさを加えたものとみられる」と評価された。女性知事は2000(平成12)年に太田房江(大阪府知事)が誕生した。その後も、滋賀県初の女性教育委員になった。愛知中学創設や戦後の教育改革の中で活躍した。

その他多くの公職を務め、地域のために尽くし、女性の地位向上に貢献した。 1966(昭和41)年、県が顔料工場を誘致する計画を知り、工場排水から有害物質が琵琶湖に流入する可能性があると、計画の中止に尽力した。活動資金は自費で行った。これがきっかっけで県の環境問題審議会が誕生した。(55歳)その他、経済同友会の第1号女性会員でもあった。藤居章子さんが嫁がれた有村家からは有村治子参議院議員や県会議員の国俊氏が政界に進出されている。

1996(平成8)年からは母校東京女子医科大学の第1生理学教室の研究生となり、東京と滋賀を往復する生活を続けている。(88歳)米寿の祝いに孫たちから贈られた中古のピアノで“九十の手習い”にも挑戦。痴ほうにならずにどれだけ長生きできるかを、自らの体で実験中と2000年3月頃の新聞社の取材に応じていた。(読売新聞2000・3・11)

そして11年後の2011年に安眠された。内に秘めたエネルギーを感じさせない、気品あふれるお姿に魅せられるばかりである。

(愛知川町の歴史、読売新聞、などより抜粋) ④日野商人・中井源左衛門 (「近江商人と日本橋」より引用)

⑤日本酒に関する講義内容

≪参考資料≫

近江愛知川の歴史・読売新聞(2000−3−11 配布資料)・藤居本家HP・シンポジウ「歴史は酒とともに流れ」資料・他


Jan.2011 撮影/文:中山辰夫

愛荘町長野792 大朧神社とは筋向いであり、酒蔵は境内と横並びの位置にある。

代々造り酒屋を営む藤居本家は、天皇の即位儀礼である大嘗祭(だいじょうさい)に神酒を献上してきた歴史を有する旧家である。

本蔵、東蔵、宮蔵などのほか、店舗と主屋および書院を有している。

特徴は、全国的にも珍しい独創的な総ケヤキ造りの酒蔵をもち、使用されている木々の骨太さ・大きさには圧倒される。

創業が天保2年(1831)の伝統ある酒蔵 酒蔵・ほかは国登録有形文化財である。

宮中献上の栄を賜る新嘗祭お神酒(白酒・黒酒)を始め、手造りの技で「旭日 キョクジツ」「琵琶の舞」を醸す蔵元である。

酒蔵見学の後はきき酒も楽しんで頂ける。旭日は全国地酒百選にも選ばれた。

豊かな自然、厳選された米、清冽な水、響きあい、美酒の生まれる舞台ここにあり。

新嘗祭の御神酒(白酒)を宮中に献上

国登録文化財一覧

藤居本家住宅主屋

登録有形文化財:基準 造形の規範となっているもの

構造:木造2階建、瓦葺、建築面積328㎡

建築:大正5年(1916)頃 昭和30年(1955)頃移築 

解説:

もと日野町の中村源左衛門家住宅主屋を現在地に移築したもの。北東面を正面とした桁行27mの2階建で、2列3室6間取りの座敷部を入母屋造とし、土間部は棟を落とした切妻造とする。

全体にたちが高く、土間の端正な架構などに近代的傾向が感じられる。

藤居本家住宅書院

登録有形文化財:基準 造形の規範となっているもの

構造:木造平屋建、瓦葺、建築面積227㎡

建築:大正5年(1916)頃 昭和30年(1955)頃移築 

解説:

主屋の座敷側につながっていたが、敷地の関係で主屋とは切り離されて棟を直行するかたちに移築。入母屋造の玄関棟、12畳半10畳2室を主室とする入母屋造の座敷棟及び風呂便所棟から成る。

主屋と共に大正期日野商人の住宅感と財力を示す事例のひとつである。藤居本家東蔵試験室及び受検室

清酒蔵の西面南寄りに接続して建つ。建築面積90㎡、木造平屋建、入母屋造妻入桟瓦葺。

酒の製品検査を行う部屋などに内部を間仕切る。

西正面は、真壁造で白漆喰仕上げとして腰板を張り、入母屋屋根の妻を塗り込めて虫籠窓を穿つなど、重厚な構えになる。藤居本家東蔵清酒蔵

敷地北西に仕込蔵と並び建つ。建築面積728㎡、土蔵造2階建、切妻造桟瓦葺。

L字形平面の大規模土蔵で、試験室及び受検室を西面南寄りに接続、北側に酒米を蒸す釜場を設ける。

外壁を軒裏まで漆喰で塗り込め、西壁の腰を竪板張とするなど、重厚な外観をもつ。 藤居本家東蔵仕込蔵

登録有形文化財:基準 国土の歴史的景観に寄与しているもの

構造:土蔵造2階建、瓦葺、建築面積380㎡

建築:大正12年(1923)頃 昭和前期(1926〜)頃改修 

解説:

敷地北辺中央、道路脇の水路に面して、清酒蔵と並び建つ。桁行32m梁間12m、土蔵造2階建、寄棟造桟瓦葺。

内部は柱を建て登らせて梁を受ける。外部は漆喰仕上げで、水路側の妻面に戸をたて、矩形の窓を配する。

水路の石積などとともに歴史的景観を形成する。藤居本家東蔵煙突

登録有形文化財:基準 国土の歴史的景観に寄与しているもの

構造:煉瓦造、高さ11m

建築:大正12年(1923)頃 昭和前期(1926〜)頃改修 

解説:

敷地の北辺、仕込蔵と清酒蔵の間に建ち、清酒蔵の釜場に接続する。方1.3mの矩形平面になる煉瓦造煙突で、高さ11mを測る。

イギリス積。並び建つ土蔵の長大な白壁や屋根瓦の風合いと好対照を成す外観を持ち、酒蔵場に相応しい歴史的景観を形成している。

資料

「藤居本家」代表 藤居静子さん

「男でも女でも酒蔵さえ建ててくればいい」と言った祖父の言葉を忘れず、独学で建築を学んで、総ケヤキの酒蔵など23棟の建物を自らの設計で建てた。「人ができることで自分にできないはずがない」が信条

追加

参考資料《愛知川町の歴史、国指定文化財データーベース、ほか》

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