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滋賀県近江八幡市 安土市街

Downtown,Omihachiman city,Shiga

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March 5 and 19, 2022 野崎順次  source movie(Mar. 5)  source movie(Mar.19)

滋賀県近江八幡市安土町
安土の町並み


永禄11年(1568)9月、織田信長は観音寺城を攻め落とし近江国を手に入れた。そして天正4年(1576)から戦略上の立地条件で、安土山に築城をはじめ、同7年(1579)に七重の天守閣をもつ安土城を完成させて居城とした。
築城と同時に城下町建設をはじめ、楽市・楽座を設け、町人の課役免除の他、商人の通行を義務づけたり、国中の馬の売買を同町で行うなど、城下町の発展を図った。それと同時に豊浦や常楽寺の湖岸一帯は湖上交通の要衝として繁栄した。
(中略)
しかし常楽寺の沿岸部が天保年間(1830 - 43)に開発され、八幡新田が生まれたことにより、常楽寺は沿岸部でなくなったが、常楽寺湊はそのまま残った。
明治になり漁業も江戸期の20 - 30%に激減し、大正・昭和と細々と続けられていたが、今では西の湖の淡水真珠養殖に従事する人のみになってしまった。
米の積出港として賑わった常楽寺湊も、明治22年東海道本線開通により、湖東の農産物は八幡・能登川の両停車場に集荷されるようになり、急速に寂れてしまった(安土駅が開業したのは大正3年)。
今、古い町並は旧常楽寺湊近くで八日市と安土を結ぶ道路に沿って展開する。古い伝統的な建物は殆どが中2階建ての切り妻造り平入りで、土蔵も道路に面して妻を見せて建っているのが一般的なようだ。
(古い町並みウェブサイトより)

JR安土駅北口から下街道(朝鮮人街道)を西へ
              


常楽寺南交差点に戻り安土街道(安土と八日市を結ぶ)を北へ
          


少し西側に寄り道して、白梅と音堂川湧水
         


梅の川はかつて信長が気に入った湧水
   


安土街道に戻りさらに北へ、この辺りに古い町並みが展開する。
                       


常浜船入跡、15世紀に栄え1930年まで使われていた港跡
               


常浜水辺公園
        


北川湧水と地蔵堂
            


浄厳院からJR線を越えて北上し下街道(朝鮮人街道)に至る。ここから東へ行くが少し街道から外れて直進する。
              


安土駅の南、火事直後の大きな家や安藤忠雄初期風の打放しコンクリート住宅など
             


駅の北に戻って、安土小学校校門辺り
  


安土駅
         

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