滋賀県近江八幡市 活津彦根神社
Azuchi Ikutsuhikonejinja, Shiga
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Dec. 2009 撮影: 中山辰夫
活津彦根神社
蒲生郡安土町主祭神:活津日子根神・天照大神の第四皇子創祀年代は不詳であるが、古来豊浦庄の産土神の意を以って庄神大明神(正神大明神)と称してきた。
豊浦庄は天平感宝元年(749)聖武天皇が奈良薬師寺に御寄進された所で、以来久しく同寺が領有したが中世になって延暦寺か山王社(日吉神社)の勢力下に入った。
天正4年(1576)、織田信長は安土城を築くに当たり当社に参篭し国家安穏、五穀成就、武運長久、御城安全、当社の繁栄を祈願した。
天正6年(1578)御供用として六反七畝歩又、屋根葺替料として葭地五町部を寄進した。
天正10年(1580)安土城焼失の時、本社は無難であったが、宝庫は類焼し古書・宝物を焼失した。
秀次が八幡に移封された時、信長在城時の町名で市街を営んだことから今も八幡に正神町の名が残っている。
このことから八幡の産土神は当活津彦根神社であると古書に見るところである。
町を移る際にこの神を御遷宮しなかったが惜しまれる。
大坂夏の陣で、井伊直孝彦根神の御加護により大功をあげ三十五万石で当国に封ぜられた。
御船に乗って当社を参拝され、わが城を彦根城と名づけ、永く彦根の御名を給わるべしと神前に誓われた。
年々に御供用として玄米四表を寄進する慣例となった。
なお、当社活津彦根神社の御分霊を奉斎し彦根市後三条に彦根神社を奉祀し城の守護神とした。
正徳3年(1711)6月27日神祇官領長上ト部兼敬が活津彦根大明神として正一位の極位である神階を授けられた。《宗源宣旨》
伏原宣條からも活津彦根大明神の神号額を送られた。
現在の社殿は寛永3年(1850)氏子の奉加により桑実寺法印行賢を遷宮導師として遷宮された。
《神社掲示より抜粋》
手水舎
拝殿
本殿
町指定重要文化財:
この建物の構造は、三間社流造で桁行三間(4.93m)、梁間二間の身舎正面に全室を設け、一間の向拝がつく(4.75m)。
建立年代は棟札(寛永3年(1626)銘)と様式、手法が一致することから江戸時代前期、寛永3年であると認められる。
江戸時代後期に全室の蟇股、木鼻等が取替えられ、平成4年(1992)桧皮葺から銅板葺に改められました。
滋賀県下に中世からの遺構が多い前室付三間社流造の伝統的な本殿として、建築の質も高く、また年代が判明した江戸時代前期の本殿として価値の高いものです。
《安土町教育委員会掲示板より引用》
蛭子神社
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