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滋賀県近江八幡市 沙沙貴神社

 Sasakijinja,Omihachiman City,Shiga


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 安土周辺を加えての評価
 Nature
 
 
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 Flower
 
 Culture
 
 
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January 30, 2022 野崎順次 source movie

滋賀県近江八幡市安土町常楽寺1
沙沙貴神社


「沙沙貴神社」は古代の「沙沙貴山君」が崇敬した「延喜式」式内社である。近江国の蒲生野にあり、古くから沙沙貴郷あるいは佐々木庄と称されたこの地は、宇多源氏佐々木発祥地であり近江守護である佐々木一族、沙沙貴郷33村を始めとする人々の信仰を集めた。
平安・鎌倉様式を継承し江戸中期に再建された茅葺きの「楼門」や、東西廻廊と四国丸亀藩主京極家によって弘化5年(1848年)に建築された「本殿」「権殿」「拝殿」など大型木造建築八棟はすべて(県)重要文化財に指定されている。
境内の随所に佐佐木氏(佐佐木源氏)の四ツ目結い(七ツ割四ツ目)の定紋が見られ全国の宇多源氏・佐佐木源氏(京極家、黒田家、三井家、佐佐木家など二百二十余姓)ゆかりの人たちが信仰する神社である。
初詣では「蝋梅」4月末には「うらしま草」5月中旬には「なんじゃもんじゃ」の花など、年間を通じて 様々な花が楽しめます。
(「滋賀・びわ湖観光情報」ウェブサイトより)

アプローチ、JRで行く。安土駅下車徒歩10分くらい。
                  


ご由緒書
   


社叢、表参道石鳥居、東参道石鳥居
       


東参道のろうばい
            


シンボル樹なんじゃもんじゃの木(春に白い花が咲く)
   


社叢全体が近江百華苑と名付けられている。
       


表参道が百華苑を横切るところに大松明行事所がある。
       


楼門の脇の男岩と女岩
            


県文 楼門 延享四年(1747年)再建
平安時代の様式、三軒一戸楼門、入母屋造、茅葺、扁額「沙沙貴神社」は有栖川宮熾仁親王の筆
        


県文 東廻廊 弘化五年(1848年)再建
桁行十六間、梁間一間、一重、切妻造、桟瓦葺
        


西廻廊と出逢いの椙檜(しょうかい、すぎひのき)

県文 西廻廊 弘化5年(1848年)再建
桁行三十間、梁間一間、一重、切妻造、桟瓦葺
     


楼門の中に入り、中から見た楼門と両回廊
     


絵馬殿
       


神興蔵と祭器庫
   


社務所あたり
         


呑月(どんげつ)の庭 明治22年(1889)、勝元宗益による築庭
沙沙貴(ささき)神社境内の拝殿西側にある矩形の敷地(面積148㎡の)に、池が設えられ、その奥に築山と景石が配置されている。庭造図絵秘伝に描かれた三尊石を彷彿させる、立石によるダイナミックな石組構成が特徴の庭園である。鈍穴が作庭書に描いた垂直性の強い石組の希少な現存例として重要である。
(日本造園学会ランドスケープ遺産ウェブサイトより)
               


県文 拝殿 弘化五年(1848年)再建
桁行三間・梁間三間、一重、入母屋造、妻入、銅板葺
             


幣殿、透塀、本殿

県文 本殿 弘化五年(1848年)再建
五間社流造、向拝三間、銅板葺

県文 透塀 江戸末期
一周延長三十三間、桟瓦葺、潜門二所含む
                            


県文 中門 弘化四年(1847)
一間棟門、銅板葺
   


磐境(勾玉形の巨石) 祭神は少彦名命、沙沙貴山君
     


乃木大将御手植えの松とお言葉碑
    


県文 権殿 弘化三年(1846)
三間社流造、向拝一間、銅板葺
           


境内社、干支の庭、さざれ石の庭など
               


市文 石灯籠(彌陀六燈籠) 鎌倉後期
竿に正安二年(1300)の刻文がある。基礎は円形で複弁反花、竿は連珠文帯の文様を刻出する。笠と火袋は後補である。
(現地説明より)
        


Dec. 2009 撮影: 中山辰夫

蒲生郡安土町常楽町1

主祭神:少彦名神・大毘古神・仁徳天皇・宇多天皇・敦實親王 祭礼:四月五日安土駅から見て南方向に広大な森が見える。そこが沙沙貴神社である。

神域は20,000㎡。駅から徒歩15分、浄厳寺も近い距離にある。

圧倒されるほどの広さである。

境内に一歩足を踏み入れただけで、佐々木一族300万人の重さを感じる。

近年の発掘調査で古代遺跡が発見された。

この神社の創建期の歴史を如実に物語っている。

広大な神域の楼門をくぐると、正面に拝殿・権現・本殿が並び建ち、いかにも由緒ある落ち着いた佇まいを呈している。近江源氏佐々木氏の氏神として崇敬されてきた「延喜式」式内社の古社。

沙沙貴神社は、奈良・平安時代に蒲生・神崎両郡の大領をつとめた豪族狭々城山君(ささきやまのきみ)がその祖神である大毘古神(おおひこ 大彦)を祀ったのが始まりと伝えられる。

のちに少彦名神(すくなひこかみ)・仁徳天皇・宇多天皇の4座に敦實親王を加えた5柱を近江源氏である佐々木氏の氏神として祀るようになった。

佐々木氏はみずからを宇多天皇の皇子敦實親王の子孫としている。

佐々木氏は、狭々城山君の子孫佐々貴山公との間で、婚姻関係を結びながら勢力を拡げていった。

平安時代末期、佐々木秀義は5人の息子(定綱・経高・盛綱・高綱・義清)と共に源頼朝の挙兵に加わり平氏との合戦で活躍した。

その結果佐々木定綱は近江の守護に任じられ、一族はさらに勢力を伸ばすこととなった。

中世には、観音寺城に籠る佐々木六角の崇敬が厚く、その祈願社として栄えた。

佐々木氏の子孫には、京極・黒田といった大名家や旧財閥の三井氏、乃木希典らがおり一族は全国で300万人にのぼるとされている。

毎年10月第二日曜日に行われる近江源氏祭には、全国から佐々木氏ゆかりの人が集まり、宇多天皇が愛護したという舞楽を奉納し先祖を偲ぶ。

全国佐々木の総社として大変賑わう。

四つ目結紋は佐々木家家紋である。

主な建物:幣殿・楼門・宝蔵・神輿庫・絵馬殿・手水舎・社務所 境内社:5社 境外社:6社

                         楼門

県重要文化財:建造物:指定:建立:1474(延享4年)

八脚楼門

豪壮な感じがする。茅葺きで独特の雰囲気を醸し出している。

ちかづいて見上げると、軒下などの細部が丁寧に作られているのが分かる。

縁・軒とも三手先組物とする本格的な構造で、それが茅葺の屋根と相まって特徴のある外観を形づくっている。

上階は西側面前端間に片開きの板戸を設けるほかは前面土壁で閉ざしているのが珍しい。

           東・西回廊

県重要文化財:建造物:指定:建立:1747(延享4年)

桁行四六間梁間一間

楼門から延びている。

       拝殿

県重要文化財:建造物:指定:建立:1848(弘化5年)

三間社流造、間口三間八尺、奥行三間八尺

本殿と楼門の軸線上の中間に建っている。柱間数が桁行、梁間とも三間の正方形平面の大型拝殿。

拝殿は祭礼などに際して礼拝する建物であり、周囲を解放にして、柱上の飾りも舟肘木をおくだけの簡易な形式となっている。

本殿と同時期の上棟で大工は水原源四郎とされる。

        本殿

県重要文化財:建造物:指定:建立:1848(弘化5)

五間社流造、間口五間、奥行三間

桁行9mを越える五間社で、長等神社(大津市)と並び最大規模を誇る。

銅版葺きで細やかな装飾がある。

宝殿、権殿、拝殿、仮殿の各棟札が完存し、仮殿以外は丸亀藩主京極高朗によって弘化5年(1848)に一括上棟された。

彫刻はいたって控えめで、僅かに向拝の紅梁木鼻や、妻の大瓶束笈形に19世紀特有の派手さが認められる。

屋根は元は檜皮葺であったが、昭和55年に現在の銅板葺に改めた。

                              権殿(ごんでん)

県重要文化財:建造物:指定:建立:1846(弘化3年)

三間社流造、間口三間、奥行三間

                   手水舎

県重要文化財:建造物:指定:建立:1843(天保14年)

一×一間

        旧中門

県重要文化財:建造物:指定:建立:1848(弘化5年)

五間社流造

    透塀

県重要文化財:建造物:指定:建立:1848(弘化5年)

透かし塀

一周延長33間(約60m)

   磐境

「願掛け石」「勾玉」のお守りは物事の繁栄をお守りする。

    干支の庭

  弥陀石燈籠

   呑月の庭

   絵馬殿

 神輿庫・祭器庫

  

参考資料《滋賀県神社誌、滋賀県の近世社寺建築、総覧日本の建築、滋賀県歴史散歩、ほか》

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