滋賀県近江八幡市 東南寺
Azuchi Tounanji
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June 2010 撮影: 中山辰夫
近江八幡市安土町下豊浦2808 天台宗風格の整った寺院で佇まいに落ち着きが感じられる。
現在、内部の公開はされていない。
重文である木造地蔵菩薩立像は琵琶湖文化会館に寄託中である。
この仏像は白鳳期以降この地にあったといわれる安土廃寺(廃九品寺 はいくほんじ)のものとされる。伝教大師最澄が開基。慈眼大師天海が中興と伝えられる天台宗寺院である。
延暦寺直末の中本山で、桑実寺塔頭正覚院が浄土宗へ転宗した際、末寺15ケ寺を自らの末寺とした。 安土の桑実寺の塔頭の一つに正覚院があった。
正覚院は、享保4年(1531)官領細川晴元によって京を追われた将軍足利義晴が桑実寺に逗留した際の、仮御所となり、のち足利義昭や織田信長らの保護を受けた。
元文3年(1738)奉行の許可を得て、竜王町綾戸に移転した。
このとき、寺格の高かった東南寺が正覚院の寺務と寺格を引き継ぎ、末寺を統括した。
このため、本堂には正覚院の寺号額が掛かっている。
また、桑実寺正覚院に宛てた織田信長や足利義晴等が残り、紋所や屋根瓦に足利氏の家紋である「二両引き」使われている。
山門
本堂
正覚院の寺号額が掲げられている。
鐘堂
木造地蔵菩薩立像
国重要文化財:平安時代
檜の一木造。10世紀末から11世紀初頭の作。
正覚院から移されたものと考えられ、像高66.7cmの小像であるが大像の風格をうかがわせる量感を持ち、穏やかな表情や方の丸み、衣文の彫刻などから平安時代中期の作とされる。
坂本戦死者供養塔
本堂右手に、坂本城落城の祭に、戦死した将兵を弔う供養塔(首塚)がある。由来はわからない。 「惣構どて」この東南寺に伝来する古文書に、「惣構どて」の記述がある。
東南寺の寺地開発のため、信長時代の「惣郭之土堤」を切り開いたというもの。
惣構とは、城の一番外側の防御ラインのことで、土塁や堀などで築かれていた。
おそらくは、給人や領主直属の商工業者が住む内街と その他のものが住むとの境がこの「惣構どて」部分に当たるとされている。
江戸時代には安土城の惣構と認識されるとうな土塁・堀が存在していたのであろう。
その場所は安土街公民館のすぐ南付近で、現在は団地が建っており、土手や堀の痕跡は全くみられない。
参考資料《県教育委員会配布資料、近江城郭探訪、近江蒲生郡志、ほか》
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