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滋賀県東近江市 旧永源寺町 

Eigenjicho,Higashiomi,Shiga

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Jan.2011 中山辰夫 旧永源寺町の概況東近江市永源寺町雄大な自然と本山永源寺や木師、八風・千草街道などの地域固有の奥深い歴史が刻まれた地域である。県南東部にあって、北は三重県藤原町・犬上郡多賀町・愛東町・西は八日市、南は日野町・土山町・東は三重県の町々に接する。

北に御池岳、東に藤原岳・竜ガ岳・釈迦岳、南に御在所山・雨乞岳など鈴鹿山脈の1000m級の山が連なり、鈴鹿山脈から流れ北東から南西へ流下する愛知川などに沿って集落がある。

ほぼ愛知川に沿って国道421号が町域を横断する。この道は中世の八風峠を越えて伊勢に入る八風街道と重なり、伊勢と近江を結ぶ重要な主要道路だった。他に、治田峠を越える君が畑越え、根の平峠を越える千草越えも伊勢への道筋として重視された。

町域では現在のところ考古遺跡や出土品は発見されていない。

康安元年(1361)寂室元光に帰依した六角氏氏頼により、高野に寺堂が建てられた。これが永源寺の創建で、寂室の没後も同寺は臨済宗の有力寺院となった。

発風街道やその南の千草越の山道は伊勢へ抜ける最短の道として山越四本商人に利用された。

元亀元年(1570)には千草越で六角承禎の意を受けた杉谷善坊による信長狙撃があった。

小椋谷の君ケ畑・蛭谷は木地屋集落で、当地に穏棲した惟喬親王が杣人に木地椀工作のろくろを教えたとされ、これを根拠にして蛭谷の筒井神社と君ケ畑の大皇器地祖神社(おおきみきじそ)は全国の木地屋をめぐって氏子狩を行った。

農業用水の確保などを目的に、昭和22年(1947)永源寺ダムの建設が国営事業として行われた。

近世以来の特産の茶は政所茶と呼ばれる。

合併により東近江市となった。

平成22年(2010)6月、日本最古級の土偶・相谷土偶が相谷熊原遺跡から出土した。

永源寺町の文化財一覧

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