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滋賀県東近江市 弘誓寺

Guseiji Higashiomi City,Shiga

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東近江市五個荘町金堂町615 弘誓寺本堂 重文 近世以前/寺院 江戸後期 宝暦14(1764) 桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝三間、後堂附属、本瓦葺造営文書4点 19870603


Mar.2018  酒井英樹

<本堂>

 弘誓寺は、覚如上人の高弟愚咄賢空坊(源平の合戦で有名な那須与一の孫)の開基により正應3年(1290)に創立されたと伝わる。

 現在の本堂は宝暦5年(1755)頃ら建替が計画され(旧本堂は法輪寺本堂として彦根市に移築現存)、宝暦14年(1764)に主要部が完成、その後造作が若干遅れて竣工した。

 18世紀の典型的な大型真宗本堂で、ゆったりとした広縁や天井の高い外陣、丸柱の多用など発達した意匠を示している。

 また、明治期に再建された現在の東本願寺阿弥陀堂のモデルとなっている。

      

《内部欄間彫刻》

 龍

   

 雅楽器

 (左より)鉦鼓、龍笛、楽琵琶

 (左より)銅拍子、楽太鼓、鞨鼓

 (左より)笙、楽筝、篳篥

《内部蟇股彫刻》

                


June 2010 撮影/文: 中山辰夫

東近江市躰光寺町979 真宗大谷派近江商人の本拠地の一つである五個荘・金堂集落の中央にあって、周囲の商人屋敷と共に特徴ある町並景観を創出している。

町に入ってどこからでも見えるのが”繖山(きぬがさやま)“と”弘誓寺の甍“である。それほどに大きく、偉容を誇っている。

本寺の白壁や鐘楼、舟板の腰板を張った塀が、金堂の町並みを南から東に向かって流れる天保川に映え、すいすい泳ぐ錦鯉の景色が静寂さを語る。

金堂の町並みの“重し”が久誓寺で、住民がこぞって文化を創りだし、守ろうとする気迫が感じられる佇まいである。

近江商人の富の大きさが偲ばれる久誓寺でもある。彼らの尽力でこれまで維持されてきた。

しかし、永年(250〜300年)の歳月には勝てず、すべてに老朽化が進み存続が危ぶまれている。 古い町並みが続く静かな金堂(こんどう)地区に、堂々とひときわ高くそびえ立つ浄土真宗大谷派の古刹。

この寺を開基した愚咄坊(ぐとつぼう)は那須与一(なすのよいち)の嫡(ちゃく)子で、本願寺三代の覚如上人(かくにょしょうにん)が関東へ下る際に弟子となり、犬上郡石畑(いぬがみぐんいしはた)に一宇を建立した。

正応5年(1292)には現在の寺号を受け、その後神崎郡躰光寺(たいこうじ)村に移り、天正9年(1581)には現在地の金堂に永住することになった。

敷地は移転してきたが、本尊と祖師親鸞上人真影は代々受け継がれてきている。

国重文の現在の本堂は、江戸中期の宝暦5年(1755)、近江八幡の大工・高木作右衛門(たかぎさくえもん)によって建てられたもので彼の代表作とされる。

近江商人の村にふさわしく、結構の行き届いた寺である。

本堂以外に、山門・鐘楼・太鼓櫓・庫裏・客殿・書院、など登録有形文化財指定の堂宇が並んでいる。 表門

登録有形文化財:建立 元禄5年(1692)

一間薬医門、入母屋造、本瓦葺やや大形の一間医薬門で、屋根は入母屋造である。ぼたんの籠彫・龍頭・獅子頭などの木鼻や、組物の間に詰めた彫刻にはかなりの派手さが見られる。17世紀末の装飾性高い作例で、大工は八鳥村の上林武右衛門と棟札に記す。

瓦には、那須与一に由来する扇の紋が入っている。 太鼓堂

登録有形文化財

構造:木造平屋建一部二階建、寄棟造、本瓦葺、外壁漆喰塗、舟板下見板張、開口部後部木製: 建築面積28㎡、鼓楼付

建築:江戸時代 基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの

解説:茶所の北側に隣接して建つ。境内からは切妻造桟瓦葺に東西棟の入母屋造桟瓦葺の2階をのせるが、道路側からは2層櫓風の外観に見せる。

2階は各面とも中央に柱を立てその両側に窓を穿ち、内部の中央に太鼓を吊る。真宗寺院らしい景観を特徴づける。

太鼓楼は、寺前・鯉通りに面しており、水路と共に金堂の町並み景観を代表している。 庫裏

木造二階建、切妻造、桟瓦葺、外壁漆喰塗、開口部木製本堂の北側に位置している。江戸中期、天保11年(1840)〜嘉永元年(1848)に建てられた9間×11間半の大形建物である。 庫裏門(くりもん)

構造:木造平屋建、瓦葺:建築面積35㎡

建築:江戸末期 基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの

解説:庫裏の正面、太鼓堂の北側に連続して建つ。切妻造桟瓦葺で、太鼓堂側に潜戸と両開戸を立て、北側に部屋を設ける長屋門である。

外壁は漆喰塗で、腰に竪板を張り、部屋正面には出格子窓を付ける。簡潔ながら、桁行8.8mに及ぶ規模を有し風格を示す。本堂

国重要文化財:建造物:1764 再建

桁行25.8m、梁間29.0m、入母屋造、向拝三間、背面張出付、本瓦葺外周3面に落縁・広縁を巡らす。柱は全て円柱を用い、外陣の柱間には紅梁形飛貫を縦横に架け、柱上に出組組物を置き、紅梁上にも中備に出組組物と蟇股を配する。天井はすべて小組格天井をきれいに割り付けている。

平面・架橋・意匠にわたって18世紀の真宗本堂の特徴を示す建物である。

現在の本堂は、宝暦14年(1764)の上棟で、寛政8年(1796)ないし文化2年(1805)の寛政とされる。

大工は高木作右衛門但馬で、当堂は彼の代表作とされる。

京都、東本願寺・阿弥陀堂のモデルとなった。棟梁・八幡の高木作右衛門但馬である。高木家は江戸時代に蒲生郡を中心に活躍した大工集団で、東寺五重塔(京都)や専修寺如意堂(三重)などの建築にもかかわった。

鐘楼

登録有形文化財

構造:桁行一間、梁間一間、入母屋造、本瓦葺 面積8.5㎡

建築:万治3年(1660)基準:造形の規範となっているもの

解説:境内の東南隅、通り近くに位置する。石積基壇上に建ち、桁行1間梁間1間で、四方を吹放す。南北棟の切妻造本瓦葺。

柱は内転びの円柱で、柱上に大斗絵様肘木を置き、一軒疎垂木の化粧屋根裏とする。直截簡明な姿で、笈形など細部も秀逸である。

矩方にまわる外周の築地より抜きんでて高く、境内にありながら道路から見える。棟札から寛政12年(1800)の再建である。

四本柱を円柱にし、上下に粽をつけて頭貫台輪で固めること、組物を詰物にしてその中間位置に蟇股を置くなど本堂と同じ趣向を凝らしている。木材はすべて欅材一色である。非常にまとまった鐘楼とされる。 弘誓寺経蔵(きょうぞう)

構造:土蔵造平屋建、瓦葺:建築面積28㎡

建築:天保6年(1835)基準 国土の歴史的景観に寄与しているもの

解説:鐘楼の西に隣接し、宝形造桟瓦葺で、正面に向拝1間を付ける。一軒疎垂木で軒を塗り込め、向拝には虹梁や木鼻に絵様を施し、中備は大きく猪目を開ける特異な形になる。堂内は1室で、床拭板張、棹縁天井で、三方に棚を付設する。軽快な佇まいの経蔵である。

茶所(ちゃじょ)

構造:木造2階建、瓦葺:建築面積120㎡

建築:安政5年(1858)基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの

解説:本堂の前方、表大門の北に隣接して建つ。入母屋造桟瓦葺の2階建で、道路側に短い切妻屋根を出す。内部は南端に土間を設け、その北側西寄りに棹縁天井の広い板間とする。2階も畳敷などの部屋を間仕切り、小屋組をみせる。真宗寺院の茶所の形態を伝える。

参考資料《五個荘町史、滋賀県の近世社寺建築、国指定文化財データーバンク、総覧日本の建築、他》

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