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滋賀県東近江市 石馬寺(六所神社含む)

Ishibaji,Higashiomi city,Shiga

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June 2010 中山辰夫 

東近江市五個荘石馬町823

臨済宗妙心寺派 本尊:千手観音石馬寺はJR東海道線能登川駅の南方約3km、標高433mの繖山(きぬがさやま)から北の延びる尾根の山ふところにある。

石馬寺集落に入ると繖山が目の前に立ちはだかるように近づく。「石馬禅寺」と刻んだ石碑が立つ山裾からすぐである。

繖山の山麓にあるお寺は、古寺が多いが、石馬寺はその中でも特に優れていて、歴史もあり、また古い寺宝が多い。

中世湖東平野における天台宗の一拠点として繖山山中の桑実寺とともに重要な寺院であったことがしのばれる。 当寺は聖徳太子が開基された古刹とされる、

寺伝によると、今からおよそ1400年前の推古2年(594)、聖徳太子が霊地を求めてここに至り、山麓の松の木に馬をつなぎ、山に登り、寺地を得て下山されたところ、馬は傍の池に沈んで石と化していた。それによって寺をつくって「石馬寺」と号したとある。

「太子駒つなぎの松」にその伝説を語り、池の中に見える石が「石馬の背」だというのも、神秘性を感じる。 石馬寺は太子の創建囲碁、中世まで法相宗、天台宗と転宗し、佐々木氏の庇護を受けて栄えた。

永禄11年(1568)織田信長の戦禍を受け堂宇は悉く焼失した。豊臣の代にはさらに寺領、山林を没収され、僧徒も離散した。

慶長8年(1603)徳川氏により復興、寛永11年(1634)家光上洛時に、能登川町に造営された御茶屋御殿を移して大方丈とした。

正保元年(1644)仙台松島瑞厳寺の開祖、雲居希膺禅師を中興開山とし現在に至る。

近世湖東平野の旧天台宗寺院が臨済宗に転宗していくに当たって、瓦屋寺(八日市)とともに大きな役割を果たした。参道入口には大きな石碑が立っている、その背後には「大門址」の礎石が残っている。 繖山(標高433m)の頂上へ行く幾筋もの登山道には厳しい石段道が必ずある。まさに「石段の山」であり、そこに「石の文化」を生み出している。

その中でも、この石馬寺の石段道は自然味一杯の、森閑とした、清浄な雰囲気のある石の道である。

石段の両側には、かつての塔頭の跡と思われる平坦地が郭のように広がっている。

石馬寺の石の道は今も健在でビクともしない。いつも通り一歩一歩着実に登ってゆく。「滑り」には何時も要注意である。自然石の乱れ石積の「かんのん坂」を300数段余登ると、左手「六所神社」、直進「雨宮龍神社」、右手「石馬寺」の分岐点にさしかかる。

石で積みこまれた水路にせせらぎが流れすがすがしい響きを伝える。現世とはかけ離れた幽寂の世界である。 先に六所神社を訪れた。

歴史の深さを感じる。詳細は後述する。 直進すると、雨宮龍神社への参詣道である。途中770余段の険しい石段道となる。詳細は後述する。 石馬寺標識に従って、右方向の石段を登る。結構厳しい勾配である。 坂を登りきると境内が開ける。正面には平成12年に落成した「大法仏殿」がド〜と構えている。その右手が「石の庭」をはさんで「書院」、左手が「大方丈(本堂)」がすっきりした姿で建っている。

「太子駒つなぎの松」に」その伝説を語り、池の中に見える石が馬の背だという神秘的な伝を思い浮かべて境内を散策する。 書院拝観手続きをすませる。

書院の庭には花崗岩の岩肌があらわれて山寺の情感に溢れている。 大仏宝殿当初の大仏宝殿は、大方丈と共に永禄11年(1568)、織田信長が京へのぼるとき兵火を受け焼失した。

幸い仏像は山中に埋匿したりして災厄を免れた。

現在の宝殿は平成12年(2000)に落成した。

宝殿内には仏像がズラリと並んでいる。その殆んどが国重要文化財である。 本堂(大方丈)当初の大方丈は、大仏宝殿と同じように永禄11年(1568)の兵火で焼失した。

豊臣秀吉が天下を取るや、寺領、山林を没収され、住職、僧徒は退散を命じられた。そのため、農民や商人になってながらえた。慶長8年(1603)徳川氏がこのことを知って石馬寺を復興し、寛永11年(1635)家光公上洛にあたり、神崎郡能登川町にあった旧六角氏重臣伊庭氏の御茶屋御殿をこの地に移し大方丈とした。この頃から徐々に復興されたとされる。

正保6年(1644)仙台松島瑞厳寺の開祖、雲居希鷹国師を中興開山とし、現在に至っているが、現在の大方丈は、正徳元年(1711)、当山二世龍光禅師の再建によるものである。文化財の多さからも、中世湖東地方における天台宗の一拠点として繖山山中の桑実寺とともに重要な寺であったことが偲ばれ、また、近世湖東地方の旧天台寺院が臨済宗に転宗していくにあたって、瓦屋寺とともに大きな役割をはたした。 石馬の石庭大仏宝殿と庫裡の間に囲まれた庭園で、馬の寺縁起を表現している。

北側に繖山が屹立し 松・モミジが自生した断崖を背景とし、庭園一面に敷かれた白川砂は砂波を表している。

苔でかたどられた島々に波打つなか、聖徳太子が乗られた石と化した馬が駒つなぎの松の傍に静止する絵を描いている。

これはまた雲居禅師ゆかりの松島の風景を想起させるものとも言われている。 石馬寺は湖東の紅葉の名所の一つでもあり、とりわけ大方丈前のモミジの紅葉は毎年鮮やかな色付きをして拝観者を魅了する。以下の仏像の多くは国指定重要文化財である。阿弥陀如来坐像(藤原時代) 十一面観世音菩薩立像(藤原時代)二躯 威徳明王牛上像(藤原時代)一躯 増長天像(藤原時代)一躯

広目天像(藤原時代)一躯 多聞天像(藤原時代)一躯

持国天像(藤原時代)一躯 役行者像(鎌倉時代)一躯

同上脇立 前鬼・後鬼(鎌倉時代)各一躯数ある役行者像の中で、最古級の優品とされている。

長頭巾をかぶり高下駄をはいて岩座に座り、右手に錫杖をもつ。老いた表情がすこぶるいい。 ロンドンの大英博物館で展示され大好評だったという。

その他、重要寺宝多数所蔵 六所神社東近江市五個荘石馬寺町祭神:天照大神 誉田別尊 伊邪邪岐命 伊邪那美命 天兒屋根命 大山咋命

社殿の彫刻が素晴らしい。 推古天皇の御代創立と伝えられる。近くの石馬寺は天台宗で、当社を守護神として開基されたもので七堂伽藍甍を並べた古刹であった。

近世には六照大権現、六所権現、六所大明神などとも呼ばれ、石馬寺の総社として祀られていたとされる。

豊臣氏時代に衰微し徳川氏禅宗に改宗する。明治9年10月村社に加列。拝殿

間口三間一尺 奥行二間ニ尺、入母屋造 本殿

間口一間三尺 奥行一間一尺、三間社流造向拝付

雨宮龍神社単独にて記述する。参考資料《五個荘町文化財、パンフレット、五個荘町史、近江路の古寺を歩く、その他》

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