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滋賀県東近江市 五個荘 大城神社

Higashiomi Gokasho Oshirojinja


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Mar. 2010 撮影/文: 中山辰夫

五個荘町金堂祭神:高皇産霊神・菅原道真 祭礼:4月第二日曜日五個荘小学校に隣接して建ち、大きな森に囲まれている。

境内は鬱蒼とした木立に囲まれ、全面に巨石を積んだ石垣が長く続き、大きな石の鳥居も立ち、堂々とした社頭を構えている。

馬場も幅広くて長い。

推古天皇の代、521年に、厩戸皇子が当地に金堂寺を建立され、その護法鎮護のために大城の地に社壇を造り勧請されたのが始まり。

嘉応2年(1170)現在地に社殿を改造し、天満天神・大梵天王・八幡大神を勧請して合祀し当庄の産土神と仰いだ。

近江の守護職佐々木氏の観音寺城よりは丑寅の位置に当ることより城郭守護神として特に崇敬され、殊に佐々木高頼は祭祀米を献ぜられ又陣太鼓を奉納された。

永禄6年観音寺騒動の時兵火に罹り社殿記録等を消失したと伝わる。

江戸時代になって、此の地方は大和郡山藩の領となり、元禄6年(1193)当村に代官所を置かれてから例年正月15日藩公代参の儀があり神楽を奏し、徹下の供物を贈るを例とした。

また例祭には奉行参拝して祭儀を警衛し以って明治に至る。

例祭は4月20日とし五箇祭礼と称し郷中七ヶ村より神輿を奉じて参拝渡御を行う。

本社表鳥居より御旅所に至る約2丁余を桜馬場と称し往時は両側に桜を植えた小堤があったが、万延元年(1860)曳山車を造るに及び此れを伐る。

古くは大宮天神・天満宮等と称したが明治3年(1870)今の名称に改める。

 

社務所

 

拝殿 間口四間三尺 奥行三間三尺、入母屋造

本殿 間口二間三尺 奥行二間、三尺三間社流造

絵馬堂

木造平屋建、入母屋造、桟瓦葺

明治16年(1883)に現在の拝殿が建てられるまでは拝殿であった。

神饌殿

曳山庫

本殿玉垣

花崗岩桐石段積み昭和天皇の御大典記念にと昭和5年(1930)3月に築造された高さ1.8m、延長180mに及ぶ壮大な崩れ石積である。

石は近くの箕作山より牛車で運びだされた山石「湖東流紋岩」で、最大のもので50トン程度はあるとのこと。

十数年前、金堂地区を訪れた宮内庁庭園課の方も称賛されたほどの石積である。(施行:花文造園土木(株))

安福寺

比叡山延暦寺の末寺。

外村 繁の小説「澪標(みおつくし)」でも紹介された寺宝「地獄絵」を所有している。

 

太鼓蔵

木造平屋建、切妻造、桟瓦葺、外壁白漆喰壁、焼板張、開口部木製

馬場の安福寺横にある倉庫で、大城神社の太鼓を保管しているため、太鼓蔵と呼ばれる。

五輪塔

総高:197cm:鎌倉時代(正安2年・1300)仏教では、空・風・火・水・地が万物構成の要素であるとし、これの変化で全てが生じると見てこれを五輪といった。

この五輪を象徴的にかたどったものが五輪塔である。

本塔は、金堂集落の中央にあり、花崗岩製で頂部を僅かに欠くがほぼ完全に遺り、六尺五寸の堂々たる塔である。

各輪の四方には、四門の梵自字が薬研彫で彫られている。

基礎は二石を合わせ、北面の左右両端に寄せて、「正安二季・・・」「願主沙弥・・造立」の銘文が刻まれている。

銘文については、読めない程に薄らいでいる。

 

参考資料《五個荘町の文化財、滋賀県の歴史散歩、石積作法、他》

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