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滋賀県東近江市 河桁御河辺神社

Kawaketamikabejinja, Higashiomi city, Shiga
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May 2012 中山辰夫

東近江市神田町379

国重要文化財:石燈籠

祭神:天湯河桁命(あまのゆかわたんあ)・瀬織津比咩命(せおりつひめ)・、倉稲魂命(うかのみたま)

この社は宣化天皇の代に勧請したと伝え延喜式に記載の式内社の一つで、御河(愛知川)のほとりにあることから名付けられた。

鳥居

   

境内

       

拝殿

入母屋造向拝付 間口三間三尺 奥行三間三尺

   

中門

  

本殿

三間社流造 向拝一間 銅板葺 享保10年(1725)頃の建立(擬宝珠銘)

         

桁裄6m近くある大型の三間社で、柱・長押など全体に木太くがっちりした印象を受ける。

中世以来の伝統を持つ前室向拝付き三間社流造の18世紀における一作例として評価が高い。

石燈籠

国重要文化財

本殿玉垣内の右側に建つ。延慶四年(1311・鎌倉後期)の銘あり。高さ:230.6cm

     

蒲生郡日野町蔵王に産する「米石」と通称される細粒黒雲母花崗岩で造られており、この周辺でよく使われている。

六角型、洗練された美しさ。基礎側面に近江文様の三茎蓮、孔雀文様が見られる。各部の彫りや構造も秀逸。

御河辺祭(みかべまつり)

河桁御河辺神社の例祭で、その起源は古く、奈良時代末期に始まったと伝えられている。

参加する若衆連がシャツ姿の装束であることから「はだか祭」ともいわれる。

もとは、2月の初午の日に行われていたが、現在は3月16日に近い日曜日に行われ、この日に雪が降れば豊作とされる。

祭は、選ばれた頭人が奉仕するもので、前日の宵祭は頭人が袴を着用し、若衆たちが手に持つ提灯に囲まれて神社に

参入し祭事が行われる。

当日は、この頭人が乗馬し、若衆連に囲まれながら宮入りし、御輿1基と馬8頭による行列を組み

2里余りの道程を練り歩く。途中、御旅所・若松天神社で祭事があり、また、妙法寺地先でも頭人の馬駆けが行われる。

(写真東近江観光ナビ、日本観光振興協会より引用)

  

≪参考≫

惟喬親王の御子小椋兼賢王の崇敬厚く、社殿を造築されたが、承安3年(1173)に兵火のために焼失した。

建暦2年(1212)に神殿以下再建されたが、これも焼失し、今の社殿は慶長15年(1610)に、田中河内守吉久によって再建され、早くから柿御園の産土神として崇敬されてきた。

社名については『輿地志略』に御川辺の御名は、愛知川の源、君ケ畑に惟喬親王の宮居があったから、川の名は御川といい、川の辺に鎮座の故に御川辺大明神と元慶年の再建のときに号したと記されている。

神社の叢林

愛知川河畔に位置することもあり、古くから防災上保護されてきたスギ、ヒノキの植栽樹が見事に生長しており、加えて大径木のケヤキ、ムクノキ、タビノキ、アラカシなどの落葉広葉樹も混在して、雄大な樹林を形成している。

境内の巨木は、樹齢が250年から300年を経過しており、ケヤキは樹高30mに達している。

若松天神社

東近江市外畑902

境内地は市役所の南側にこんもりとした森の中にある。外村の生土産神である。

河桁御河辺神社の春祭には御旅所として祭事を行う。

社伝では神護景雲元年(767)に鹿島の神が伊賀国を経て、大和国に遷り給う途次仮の御座所を設けられその時に植えられた若松がたちまち繁茂したので、神殿を造り香取の神を勧請したとある。

この社地は平安期以後近江の歌枕として多く歌われている。境内地は1万800坪と広い。

一の鳥居

   

大縄の三箇所の藁下がりをつけ、真ん中の藁下がりを含めて中心には杉の小枝を曲げて輪にしたものが吊り下がっている。

拝殿

入母屋造 間口三間二尺 奥行三間二尺

 

本殿

一間社流造 間口一間二尺 奥行一間二尺

       

普通規模の一間社流造。組物を蛇腹支輪付きの出組にしていること、新舎の蟇股は輪郭のみで彫刻を省いている。

布引焼窯元

東近江市外町466

若松天神社の鳥居の横にある。      

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