滋賀県東近江市 瓦屋寺
Kawarayaji, Higashiomi city,Shiga
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Nov.11,2011 中山辰夫
東近江市建部瓦屋寺町
案内
宗派:臨済宗妙心寺派 本尊:千手観音立像(秘仏 国重要文化財) 891(寛平3年)に再興され東大寺末となり、僧坊24宇、衆徒160人の記録がある。
山裾の閑静な一角に寺域を構え、境内の奥に本堂、経堂、庫裏、地蔵堂、鐘楼など寺観を整えている。本堂は国登録文化財
聖徳太子創建の旧跡で、摂津四天王寺建立の時に瓦屋寺山の土で瓦を10万8千枚焼成し、この地に一寺を建立して瓦屋寺と号したという。この聖徳太子建立説は俗説とされるが、瓦屋寺山山中からは白鳳期以降の降る瓦が多数出土し、この地で古くから瓦が焼かれていたことが俗説の由縁である。
当寺の境内及び周囲からは古代祭祀の遺跡かとされる奇岩が多く露頭し、瓦屋寺山が太古から信仰の対象であった。事からも、早い時期に寺院が建立された。
瓦屋寺瓦窯跡群、瓦屋寺カマエ遺跡、日吉遺跡などが近辺に存在する。
表参道
箕作山(みつくりやま)の山中にあるため表参道からは1250段余の石の道を登る。この石段道が素晴しい。
自然石が乱雑につまれているが、やわらかな、ときには荒々しい表情をみせる。この地域一帯にある湖東流紋岩である。
重なる石段の石にも季節毎の景色が映る。木々に囲まれた道はいつ登ってもこぼれ日が差し込むのみである。緑が目に入ると石段も終わりとなる。
境内を進み瓦屋寺正門にでる。
先に高台に登る—展望がきく
境内
境内やその周辺には古代祭祀の遺跡や磐座と見られる大きな磐が地面に生えたようにしてある。
中でも境内の「磐石岩バンジャクイワ」と呼ばれる三角岩は、神崎郡と蒲生郡の境界を示す裁面石であった。
本堂 国登録文化財
1672(延宝年間)に建立。入母屋造、葦葺。本尊:千手観音菩薩立像は33年毎に開扉の秘仏。平安期の木像四天王像も祀る。
鐘楼・地蔵堂・経堂・ほか
庫裏
本尊:千手観音立像
国重要文化財
12世紀の作例で、天台宗時の遺品 像高:160.5cm 木造(カヤ材か 一木造) 素地
疱瘡(ほうそう)に霊験あらたかであると信仰され、人々が芋を糸に貫いて仏前に献じたことから「芋観音」と称された。
石造宝篋印塔と奉籠舎利塔
参考
「輿地志略」によると、聖徳太子創建の旧跡で、摂津四天王寺を建立するにあたって瓦屋寺山の土で瓦を焼成し、この地に一寺を建立して瓦屋寺と号したとする。勿論聖徳太子建立説は中世の聖徳太子信仰の隆盛の中から生まれた俗説であるが瓦屋寺山中から白鳳期以降の古瓦が多数出土ことは事実で、早くからこの地で瓦が焼成されていた。
当寺の境内およびその付近には古代祭祀の遺跡かとされる奇岩(磐座)が多く露頭し、また平坦な湖東平野のほぼ中央にあたる瓦屋寺山が太古より信仰の対象とされてきたこと、山麓には後期古墳群があることなどから、かなり早い時期に寺院が建立され
た可能性が高い。
「東大寺三綱記」には寛平3年(891)奈良東大寺僧源仁によって再興され、東大寺末寺となったこと、僧房24宇・宗徒160であったことが記されている。
文禄年間(1592〜96)兵火で焼失し、堂宇も再建されずに荒廃したらしい。
近世初期、瓦屋寺の住持になった香山祖桂は当寺の荒廃を憂い、正保年間(1644〜48)美濃瑞竜寺(現岐阜市)にいた雲井希膺を請い、堂宇の建立など当寺の復興に着手した。
近世当寺の経済基盤の一つに祠堂銭の貸付があった。その始まりは延宝年間(1673〜81)以前とされる。
特に当寺を菩提寺とする彦根藩家老庵原氏を介して、18世紀後半から彦根藩の保護奨励を受けることに成功した。
近世寺院の金融活動の実態や、藩の上級家臣と寺院の経済活動との具体的な結び付きを示す資料が残る。
参考資料≪滋賀県の地名、他≫
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