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滋賀県東近江市 押立神社

Oshitatejinja, Higashiomi city, Shiga
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東近江市北菩提寺町365 押立神社大門 重文 近世以前/神社 室町前期 室町前期 四脚門、入母屋造、檜皮葺 19110417

東近江市北菩提寺町365 押立神社本殿 重文 近世以前/神社 室町中期 応安6(1399) 三間社流造、向拝一間、檜皮葺 棟札2枚 19020417


January 28,2017 大野木康夫 source movie

雪の田んぼ

 

参道

  

大門

この日は節分行事の用意で氏子の方の車が前に沢山停まっていました。

                       

拝殿

 

本殿

                             

境内

  

周辺の雪景色

      


May 2012 中山辰夫

とてつもなく広い、深い森である。現在は約1.1万㎡であるが、もとは2万㎡をこえていたとのこと。

  

神社横の押立国民学校(湖東町歴史民族館 国登録文化財 閉鎖中)や練成館(国登録文化財)辺りは森の中だった。

  

ほぼ自然林で、ヒノキ、杉が主であるが、シギやクヌギ、カシ、赤松もある。100年ほど前は松茸が取れていたと聴く。

いまも自生のシイタケが取れるようだ。風致の森、保険の森に指定されている。表参道の横には、境内まで続くカエデのトンネル並木がつくられている。向かいに御旅所がある。

    

表参道

石造大鳥居は高さ二丈八尺、柱間二丈八尺 石柱のまわり八尺 

扁額は熾仁親王の御書であったが、昭和48年新調された。

    

神木百度杉

樹齢800年の神木。100年ほど前に雷雨にうたれた。10年ほど前に台風の被害を受け裂けたようだ。

新たに庚申さまを祀っている。

  

 

大門

国重要文化財 延文2年(1357)建立。

入母屋造 桧皮葺 

四脚門 

         

両側に壁がなく吹き抜けである。形式は豊満神社(豊郷町)と似ているがキャシャである。

左右の切妻造の脇門と、三つの門で安定した構成となっている。後世の改造がかなり入っている。

     

中備に出三斗組を置く。頭貫木花は禅宗風で内部は組入天井とする。

拝殿

間口4間 奥行5間 入母屋造

       

本殿

国重要文化財 応安6年(1373)建立

桁裄三間 梁間二間の身舎に前室を備え、一間の向拝を付けた三間社流造

      

前室開放型である。前室開放型社殿名は苗村神社西本殿についで古い。

軒の出が深く、木割れの調和に優れ立体感のある外観。華麗な手法で彫られた手狭がいい。

   

主屋正面の蟇股内の彫刻は三弁宝珠を中心にして、左右に若葉を配した見事な作である。

    

組物は身舎、前室ともに出三斗組(手挟組)とし、身舎側面中央の三斗組には拳鼻を飾る。

両側側面中央の柱上に見える木鼻と向拝内の手狭も若葉を刻み洗練された美しさを示す。

      

本殿上の木造の獅子

  

本殿前の石造の獅子

   

猿像

   

近年に立てられたもの。1040年ほど前に、押立神社は押立山の山頂から現在地に移された。

この時、神馬がお迎えに行き、神様の守り役として猿が案内してきた。現在宝物庫に一尺程の

木彫りの猿像が保管されている。お百度参りは、“縁を切る”ために行われることが多いが、この神社では”縁を育む“ことで

早朝行う人が多い。スギの神木からこの猿像までの間を巡る。その際に、猿像の顔に触れるため

目と鼻がすりへっているとのこと。

境内

           

宝物館と石標

多くの古文書や宝物を持っている。昭和44年(1969)に宝物館建立。石標は時の総理佐藤栄作氏が揮毫した。

  

≪参考≫

後柏原天皇、永正17年(1520)神宣により、極位の神となし吉田家より正一位の叙せられる。

大金鰐口

大永4年(1524)鋳造して社頭に掛ぐ。大工助左衛門家則

永禄10年(1567)4月、佐々木六角義治が出した当社森木伐採禁止令

 

祭礼用古獅子頭と古面

 

応安6年(1373)棟札と寛永2年(1849)棟札

 

「ドケ祭」

60年ごとに古式祭「ドケ祭」が行われている。

ご祭神を氏子が押立山から迎えた渡り行事がドケ祭の起源と言い伝えられる。

ドケは、道化の意味とも、また「神様のお通りだ、どっけどっけ」とも解釈され、踊りばやしの「ドッケノ、ドッケノ」

という言葉から『ドケ祭』と呼ばれる説もある。 60年周期のため踊りの伝承が難しく、保存会が結成された6年前から、節分の日にドケ踊りが奉納されるようになった。

前回のドケ祭は昭和46年(1971)だったので、次のドケ祭は平成43年(2030)に執り行われる。

参考資料≪近江愛智郡志、ほか≫


Oct.2011 大野木康夫 source movie

所在地 滋賀県東近江市北菩提寺町365 押立神社は東近江市の旧湖東町にあります。

駐車場がないため、まず隣の湖東歴史民俗資料館(西押立国民学校)に寄りました。湖東長歴史民俗資料館(旧西押立国民学校校舎)(登録有形文化財)昭和18(1943)年の建築

木造2階建,瓦葺,建築面積676㎡実業家松居泰次良・房治郎兄弟の寄付により建設された。

コの字形平面の建物で,外壁の下見板と屋根の赤色の桟瓦の対比に特徴がある。

大工は泰山閣と同じ木村太兵衛である。

昭和56年に資料館となったが,郷土の木造校舎として広く親しまれている。

(国指定文化財等データベースより)

                           

資料館の裏手に廻ると、押立神社の大門の近くに出ます。

    

押立神社大門(重要文化財)室町時代前期の建築

四脚門、入母屋造、檜皮葺形の整った優美な神門です。

                

本殿(重要文化財)応安6(1399)年の建築

三間社流造、向拝一間、檜皮葺 瑞垣(らしき石柵)が低く、オープンな雰囲気です。

             

滋賀県の古社に特有の鬱蒼とした森に覆われており、厳かな雰囲気です。

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