滋賀県東近江市 宇曾川ダム
Usogawa dam,Higashiomi city,Shiga
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Aug. 2013 中山辰夫
滋賀県東近江市平柳町
■■宇曾川とダム
滋賀県東部の湖東平野のほぼ中央に位置し、鈴鹿山脈の西斜面を水源とし、主として平地部の水を集め北西に流下して、彦根市を貫流し琵琶湖に注ぐ流域面積64.56K㎡、流路延長22kmの一級河川である。
泰荘は長く洪水と干ばつの両方に苦しんできたが。灌漑が十分でないため雨が降らなければ田畑は干し上がり、数日大雨が降り続けば河川は決壊してしまう。
1965(昭和40)年の台風24号の被害は現在も語られている。宇曾川の上流に治水ダムをとの声が上がり、1974(昭和49)年建設に着手し1955(昭和30)年に竣工した。これにより洪水調整が出来、県下でも一番安全な河川となっている。ダム周辺には西明寺、百済寺、金剛輪寺の湖東三山があり、観光シーズンには三山巡りや渓谷のハイキングに多くの人が訪れる。ダムの天端から下流を眺めると湖東平野が一望できる。
■着工前の宇曾川と完成予想図
木曽の粘土層に岩を積み上げて造ったロックフイルダムであり、コンクリート打ちっぱなしのダムとは違う穏やかな風景を創出いる。
岩石は秦川山で採取され、粘土は前山から運び出されて堰堤が造られた。周囲の自然と溶け合い、県内外の多くの人を集める憩いの場ともなっている。
■■ダム下流周辺から見た上流
■■堰堤天端から見た湖東平野とダム下流
■■堰堤周辺
■■天端よりダム上流を見る
■■ダムの施設
ダムは宇曾川ダム管理事務所が管理している。洪水調整、利水放水のための各種観測・操作設備システムにより、適切なダム管理に努めておられる。
■宇曾川と信長—伝承
織田信長は比叡山を始め、近江の各地の寺を悉く焼き払ったとされる。天台宗に属していた金剛輪寺も焼き払われる運命にあった。
信長の軍が近江を攻め、金剛輪寺に迫ってきたとき、寺のあたりに火の手が上がった。火の手は全山を焼き尽くすかのような勢いで拡がった。
これは寺の住職が機知をもって、本堂の高台で火を燃やしたためで、兵士は勘違いをして、攻めることなく南下していった。別の話として、勇気ある金剛輪寺の僧兵3人が信長の前に出て、寺はわれわれの手で、すでに焼いましたと申したので、信長の軍は方向を変えて進んで行った。ところが誰いうとなく、それは「ウソ」だということになり、住職の機知が寺を救ったことを長く伝えるため、金剛輪寺のふもとから琵琶湖へ流れる川を宇曾川と名づけた。という伝承がある。
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