JAPAN GEOGRAPHIC

滋賀県彦根市 彦根城

Hikone castle,Hikone,Shiga


Jan.19,2019 野崎順次 source movie

パンフレットと現地説明板

        

国重文 二の丸佐和口多聞櫓 江戸後期 明和8(1771)

矩折一重櫓、東南端二重二階櫓、各本瓦葺

     

黒御門跡へ

     

本丸へ登る。

       

井戸曲輪、水手御門虎口

       

国重文 西の丸三重櫓及び続櫓 桃山 慶長(1596-1614)頃

三重櫓 三重三階櫓、本瓦葺、東北及び東南続櫓 各一重櫓、本瓦葺

              

櫓三階からの眺望

       

下りて遠ざかる。

    

国宝 彦根城天守、附櫓及び多聞櫓 天守 桃山 慶長11(1606)

天守 三重三階、地下階段室・玄関付、本瓦葺

                

本丸の礎石

     

国重文 太鼓門及び続櫓 桃山 慶長(1596-1614)頃

太鼓門 一重櫓門、本瓦葺

続櫓 一重櫓、本瓦葺

            

下る。

     

国重文 天秤櫓 桃山 慶長(1596-1614)頃

中央部一重櫓門、両端二重二階隅櫓、両隅櫓背面続櫓、各本瓦葺

             

表御門跡あたり

      

国重文 馬屋 江戸中期 元禄(1688-1703)頃

東西棟、桁行25.2m、梁間5.9m、一重、入母屋造、井戸屋形附属、南北棟 桁行31,1m、梁間5.9m、一重、南面入母屋造、北面東西棟に接続、こけら葺

        

国名勝 玄宮楽々園庭園

   

玄宮園庭園 桃山末期

さて本庭は彦根城下部、琵琶湖に臨み、平坦な地を卜して大池庭を設け、これに漁躍沼と命名された。池中には大小四島を配し、または岩島があり、南西ソテツ山を中心とする大島と、東北に鶴鳴渚と命名される二島と、さらにまた、竜臥橋という橋の架かる石垣の中島がある。

これらの中島を一覧すると、鶴鳴渚の中島には巨石を配し、蓬莱島として作庭され、竜臥橋のある中島は壷梁島にあたり、亀島は方丈島にあたり、ソテツ山は瀛州島にあたるから、蓬莱神仙の四島を作ったことになり、古い時代からの伝統を重んじて作庭されていることが解る。そして本庭の作者は、 米原の青岸寺庭園を作った井伊家の作庭家で香取某といっている。香取氏のことは不明であるが、後に井伊家の儒者に香取竹斎などと名家もあり、おそらくその何代か前の人であろう。

(中略)

特に鶴鳴渚の鶴石などは、水上十二尺三寸もある豪華な立石を中心とした石組であり、その前方に見られる池中の岩島と共に豪健な石組である。

その南西にあたる池畔には、また鶴石組が二個の立石によって造られているが、これまた豪快を極めているし、板橋の架かる竜臥橋の石垣の中島に見られる石組は、亀島としてのこれまた剛健な石組であって、この時代、すなわち桃山末期の作庭としては特に傑出している。

これらの豪華な石組に対して、東部の山畔に渓谷を作り土橋を架けてあるが、この付近は飛梁渓と命名されていて、渓谷風景としての石組がさらに豪華を極めていて、技術的にも傑出している。この付近の巨石は六尺七寸高、六尺三寸高などの立石が多く、多数の石組による渓谷風景は美しい。

さらにこの付近の池畔には、なだらかな芝生地となり、ゆるやかな線を用いて、はなはだ対照的であり、軽快で明朗性が見られる。そして山畔よりに敷石が残っているが、霰敷の手法として初期のものだけに美しい。

(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」玄宮園庭園より)

東口から庭園に入り、琴橋を渡って、ソテツ山(大島、瀛州島)へ

        

龍臥橋から鶴鳴渚(蓬莱島)を遠望する。

  

東岸の枯流れと出島石組

       

対岸の臨池閣と鑑月峯近くの石組

   

鶴鳴渚と岩島

         

涵虚亭跡あたり

  

七間橋、亀島、臨池閣

         

国名勝 楽々園庭園 江戸初期

本庭は全面積が一千二十坪ほどあって、枯山水としては、さすがに大名庭園だけに広大な庭園である。今この庭園を一覧すると、槻御殿の南・東・北の三ヶ所にそれぞれ大小の築山を設け、中央部は川砂を敷いた枯池となり、一種の池庭式枯山水となっているが、殊に南部の築山は特に高く大きく、これを芝生の築山として、大刈込を配し、築山上には一種の須弥山式の立石による石組を見せている。そしてこの築山には枯滝を設けてあるが、水落石の上部に覘石を組んで亀頭石としてある。ちょうどこの時代の庭園では、滝の石組に鶴や亀の構成を兼用したものが多い。それは庭園の中に別に亀島を設けない場合であって、亀島の代わりに亀頭石を滝に兼用するのであり一種の省略手法である。

この築山の向かって右手に巨石が組まれ、石橋が架けられているが、本園の中で最も傑出した石組であるばかりでなく、江戸初期の庭園石組中でも傑出している。

さらに東部から東北部にかけての築山にも、豪華な石組が多く、地震の間といわれる付近のの石組は、少し後の時代になっての増設であるが、この部分の石組も枯滝を中心としてなかなか豪華な石組であり、一覧の要がある。

(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」楽楽園庭園より)

現地説明板(保存整備事業含む)

        

槻御殿、玄関および御書院

            

東南部築山の石組、巨石を組み石橋を架け、本園の中で最も傑出している。

              

中央部枯池

   

茶座敷(地震の間)とその周囲の石組

            

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