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滋賀県彦根市 法蔵寺

Houzouji,Hikone city,Shiga

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 イチョウ
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Dec.2011 中山辰夫

彦根市川瀬町1195 宗派:浄土真宗本願寺派

本尊:阿弥陀如来中山道沿いの集落の中にある。JR川瀬駅から約1.5km強の距離にある。

浄土宗本願寺派の大寺である。整った真宗寺院の伽藍を呈している。

近江七弘誓寺の一つとされ、称されてきた。湖東地域の教化に務め、石山本願寺合戦の際にも大きな働きを行ったとある。

彦根藩にあっては、直孝出陣の留守役4寺の一つとされ、軍事・警察的な役割も与えられ、緊密な関係が続いた。

以後、湖東地域の真宗の総本山手的な役割を果たしてきた。

境内には本堂・表門・書院・庫裏・太鼓楼等が建つ。彦根市で一番大きいとされ、支の保存樹木に指定のイチョウの木がある。

配置図

境内全景

山門〜表門

一間薬医門 切妻造 桟瓦葺 17世紀中期

親柱ごひら角柱 冠木 控柱面取角柱 頭貫木鼻 梁行男梁頭貫を兼ねる 女梁 出三斗 中備蟇股 妻飾紅梁蟇股

本堂と比べると不釣合いなやや小規模の薬医門である。

正面側は男梁上に桁裄方向に紅梁を架け、男梁の三斗と中備蟇股で軒行を受ける。

端正に仕上がった佳作で、木鼻・紅梁絵様などに17世紀中期の特徴がよく出ている。

4箇所に使われた蟇股はそれぞれ意匠が異なる。

太鼓楼と鐘堂

本堂

享保2年(1717)本堂が焼失した。同12年(1727)七代藩主直惟の姉・喜久姫を施主として材木百本の寄進を享けて建てられた。

現在の本堂である。大規模で標準的な形式を持つ。正側面に広縁を巡らし、広縁柱を立てる。

桁裄20.4m 梁間16.2m 入母屋造 向拝三間 背面張出付 本瓦葺

側通角柱 出組 縁通角柱 正面中央間紅梁形頭貫 内側出組 中央間中備蟇股組物 二軒繁垂木 妻飾紅梁大瓶束

紅梁・頭貫の絵様は大きく、幅広の浮彫とし、紅梁中央にも独立した絵様を飾る。木之本浄信寺本堂に近い意匠である

外陣柱をすべて角柱とするのは古式を残している。

特徴的な細部意匠を持つ大規模真宗本堂の一つとして重要である

参考 本堂外陣と本堂内陣

書院—向拝付

イチョウ

由緒

下野国那須氏の系譜を引く那須宗政(法名性愚)が、本願寺三世・覚如上人の関東経廻の帰途に弟子となり、覚如帰京に随従ののち近江犬上郡石畑村(豊郷)に庵室を構えたことにはじまる。(延文2年1357)

覚如上人から法蔵寺の寺号を賜って湖東の教化にあたり、犬上・愛知・神崎・坂田4郡300余の村々を廻り、多くの門徒を得たため覚如上人から自筆の九字名号と光明品を拝慮したと伝える。

石山本願寺合戦の際にも馳せ参じて務めた。

川瀬移転は天正2年(1574)に門徒衆の要望で行われた。井伊家の帰依を受け、真宗の総本山として栄えた。

彦根藩時代、真宗有力寺院は、彦根藩の非常時における軍事・警察的な役割を与えられ、境内の北・南・西の三手に濠を巡らし、東には堅固な石垣の上に惣門を構えていたとされる。

寺宝

多くのものが残るが、2〜3点並べる。

聖徳太子先徳連坐像

絹本著色 縦114.2cm 横39.1cm 南北朝〜室町時代

真宗における聖徳太子信仰は、宗祖親鸞が太子讃迎の念に厚かったために古くから盛んで、多くの造形品を生み出した。

本図は上下二段からなる。上段は浄土教の先徳の血脈をあらわし、左右交互に下から上方に至る形式を取る。

下段には垂髪の聖徳太子と六侍臣。向かって左上部から百済博士学●・阿佐太子・恵慈・日羅・蘇我大臣・小野妹子かとみられる。

九字名号 伝実如筆

彦根市指定文化財

紙本墨書 縦75.2cm 横29cm 室町時代

十字名号・八字名号などと共に、阿弥陀仏の徳号を用いた徳号本尊とよばれるもの。真宗では方便法身尊像や十字名号を本尊として門徒に下付していたが、蓮如は「木像より絵像、絵像より名号」と名号を本尊とすることを強調し、盛んに名号下付を行った。

寺伝では寺基を犬上郡富尾保内佐目(現在の多賀町)に遷した時拝領した。

六字名号 蓮如筆

彦根市指定文化財 

紙本墨書 縦97.1cm 横35.9cm 室町時代 

文明年間(1469〜87)に蓮如に随従し、近江国近松御坊(大津市)で祖師親鸞画像の警備にあたった功により拝領した。

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