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滋賀県彦根市 井伊神社

Iijinja,Hikone city,Shiga

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Dec.2011 中山辰夫

井伊神社のモミジ 極彩色の彫刻


Nov.2010 瀧山幸伸


Apr.2010 撮影/文:中山辰夫

彦根市古沢町祭神:伊頭鞆安彦命 稜威直政彦命 稜威直孝彦命 佐和山の麓には、清涼寺、龍潭寺など井伊家関連の寺院が建ち並んでいる。

井伊神社は向かって一番左側、奥まった所に所在する。 井伊神社は佐和山の麓にひっそりと建っている。

現在は風化による痛みが激しいため覆いをしており、中を拝観することはできない。

各部の装飾が立派である。が多くは見えない。

井伊神社では毎月1日、多賀神社から神官を招き神事が執り行われている。その時は、一般の者も社殿内部を見ることが出来るとも聞く。

外部から見える細密な彫刻が施された欄間や組物、蟇股、朱漆を15回も塗ったという柱など、色褪せてはいるが、創建当時の見事さを推し量ることが出来る。

「彦根日光」ともいわれる優美さを誇ったとされる。時代は元禄、美術工芸のほか百般の文物が燦然と文化の華を咲かせた時に造られた。

日光東照宮の華美が直興の頭から離れなかったと思われる。天保13年(1842)に彦根藩12代藩主井伊直亮が、井伊家の始祖井伊共保の750回忌にあたり、井伊谷(現静岡県)八幡宮から井伊大明神を分霊して神像を造り、龍潭寺の参道脇に祀ったのがはじめとされる。社殿は弘化3年(1846)の建立である。明治2年(1869)現在の地に移され「井伊神社」と称されるようになった。

彦根藩初代藩主直政・彦根藩2代藩主直孝も祀られている。 昭和13年(1938)佐和山神社を合祀している。拝殿・本殿

〔本殿〕

間口三間 奥行三間 権現造 入母屋造 〔拝殿〕

〔相の間付〕 間口四間 奥行五間 入母屋造 千鳥破風 軒唐破風付 建屋については、「彦根の近世社寺建築」(彦根市教委)によれば「社殿の形式は、入母屋造の本殿と拝殿が相の間で結ばれる権現造で、相の間は板張りとなっている。

軸部は漆塗で彫刻や組物、蟇股には彩色が施され、格天井の天井板には様々な草花が描かれ、豪華絢爛たるしつらいになっている。」と記載している。

シダレサクラ保存種 血染めのススキ 木村重成は、徳川家と豊臣家との争い「大坂の陣」で豊臣軍として戦った武将

彦根から井伊直孝が家康軍として参戦し、木村重成軍と衝突した。

一進一退の攻防の末、辛くも重成を討った直孝軍は、その首をススキにくるみ、戦果として持ち帰った。

重成本人であることを確認した直孝は、家臣の安藤氏に「懇ろに弔うように」と申しつけ、重成の首は安藤氏の菩提寺である宗安寺の墓所に葬られた。

重成の首を包んだススキは、佐和山下に根付いたそうだ。佐和山の麓で重成の首を洗ったと言われている。

このススキは、毎年赤く染まるので誰ともなく「血染めのススキ」と呼んだと伝えられている。

明治になってもそのススキは繁茂していたが、佐和山の麓に鉄道の線路を敷くに当たり、佐和山神社の境内に移されることになった。

その後、佐和山神社は廃止となる際に隣地の井伊神社に移されたが、度重なる移植で弱ったのか、枯死寸前の状態にあるようだ。 参考資料《彦根散歩歴史、滋賀県の歴史散歩、他》

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