滋賀県彦根市 上品寺
Johonji, Hikone city, Shiga
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Nov.2010 撮影/文:中山辰夫
彦根市鳥居本町430 浄土宗
赤玉神教丸の本舗有川家の横の路地を抜けて国道八号線を渡る。近江鉄道線路と八号線に挟まれた位置に建つ。
門前に「法界坊旧跡」の石碑があり、右手に本堂、左手に「法界坊の鐘」をつるした鐘楼が建っている。
遊女ら寄進者の名前を刻んだ釣鐘のほか、本堂に、法界坊の笈(おい)、地車、花里の内掛けで作った袈裟、花扇の手鏡、花扇自筆の掛け軸などの寺宝がある。
天文18年(1549)草創。開基は祐心。寛保2年(1742)に寺号を、宝暦5年(1755)に木仏を許される。
法界坊了海の鐘
江戸後期、宝暦、文政の頃(1751〜1829)の上品寺第7世住職である。
幼時に母をなくし、8歳で父と死に別れし出家した。修行のため諸国行脚の旅に出た。
西に東に旅をして十余年、19歳の時師匠から譲り受けた上品寺に住むが荒れはてていた。
この寺の再建を目指して、念仏を唱えながら喜捨を求めて大江戸八百八町を歩き回った。
武家屋敷から町屋まで。金回りのいい花街では、遊女に仏法を説いて廻った。
江戸新吉原京町の大文字屋の一枚看板花里という花魁と姉の花扇は、法界坊の説話に感動し熱烈な帰依者となった。
花里は喜捨の他廓内の布施集めの世話役も引き受けた。 が、花里はすぐに病死した。
姉の花扇は、妹の遺志を継ぎ、喜捨集めに協力し、明和6年(1769)釣鐘が出来上がった。
鋳物師西村和泉守藤原政時、遊女ら有志の姓名を鐘の周囲に刻み込んだ。
法界坊は、新しいかねを地車に乗せ、遠路二百余里(480km)の東海道を上品寺まで引いて帰った。
釣鐘完成法要の夜、法界坊の枕元に花里が現れて「前世力を尽くした鐘の功徳で、私は観世音菩薩に生まれ変わりました」
法界坊が目を覚ますと不思議にも枕元に一体の観音像が置かれていたという。
この話が元になって歌舞伎「隅田川続俤」では法界坊は恋に溺れる破戒僧にされている。
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