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滋賀県彦根市 高宮寺

Koguji, Hikone city, Shiga

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Jan.2011 撮影/文:中山辰夫

彦根市高宮町

時宗(彦根唯一)

本尊:阿弥陀三尊高宮寺は街道を少し東へ入った所、かつての高宮城跡近くにある。この周りは古い町であった趣が多く残っている。

隋身門のすぐそばに芭蕉の句碑「をりをりに 伊吹も見てや 冬籠(ふゆごもり)」が立つ。

国重要文化財の切上阿上人坐像が安置されている。

奈良時代に行基と婆羅門が仏教応化の地を選んで伽藍を建立し、称讃院と号したのに始まる。その後天台宗に属した。

平安時代後期の久寿2年(1155)に雷火で焼失。弘安2年(1279)一遍智真が諸国遊行の途次高宮に寄った際、高宮左衛門尉宗忠が一遍の威徳を仰いで一宇を建立。そして二祖他阿真教の多賀神社参籠を期に、真教を開基として時宗に改宗し、切阿を開山する。

切阿破一遍の弟子とも伝え、初期時宗の有力者の一人だった。

天正元年(1573)高宮城落城のため伽藍を焼失。江戸時代に入り徐々に寺観が整えられ現在に至る。隋身門は嘉永2年(1849)の建立と棟札にある。山門横には「遊行派高宮寺道」「願主小林二郎左衛門」と銘文ある道標がある。

庫裏・手水社・千命堂

庫裏は彦根藩主井伊家から材木を拝領してなった建物。梁に「寛政八丙辰拝領木五十本之内」と記されている。

千命堂には彦根藩主井伊直興寄進の地蔵菩薩像を安置している。

本堂は元禄5年(1692)に再建現在に至る。嘉暦2年(1327)造立の初代切阿上人坐像(国重要文化財)が安置されている。

木造僧形坐像

切阿上人坐像の寿像彫刻で全面が黒い漆で覆われていることから、「黒ほとけ」と呼ばれている。

その他市指定の文化財を多く有している。周辺

往古の高宮寺周辺は中心であっただけに,旧家や古い建物が多く残っている。天理教施設の建屋も古い。商家にも名残がある。

高宮氏墓所

高宮村と高宮氏

古代の犬上郡高宮郷「和名抄」の遺称地で、中世には高宮保・高宮庄が成立。また中世から市が立ち高宮布が著名であった。

中世当時には高宮と称する二系統の国人がいた。

一系統の高宮氏は鎌倉時代の末に紀州櫟氏が地頭として高宮に入部したのに始まると伝え、初代宗忠、二代宗行・三代宗充・四代高義と続いたが、高義のとき六角氏頼の三男・信高が当地に入った後は次第に力を失って行った。この信高を祖とするのがもう一系統の高宮氏である。

高宮氏が代々居城としたのが高宮城で、典型的な平地城館であった。現在の高宮小学校の辺りとされる。

この小学校に北辺を流れる化粧川は、かつての高宮城の外堀であり、今もそれらしい石垣が残っている。この化粧川の名前は、多賀の久徳城主の娘が輿入れの際に、持参金ならぬ持参水として他が方面から引水した川といわれる。

この高宮城は天正元年(1573)に姿を消した。信高が高宮城に入部して以来、156年後のことであった。

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