滋賀県日野町 熊野神社
Kumanojinja,Hino Town,Shiga
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September 19,2015 大野木康夫 source movie
熊野のヒダリマキガヤ
Kumano no Hidarimakigaya, Hino town, Shiga
所在地 滋賀県蒲生郡日野町熊野
日野町東部の熊野地区は綿向山の南麓、山間の小さな集落です。
集落の中心部に熊野神社が鎮座しています。
境内にはタコ杉等の巨木が林立しています。
ヒダリマキガヤを探して集落を歩きました。
集落の方に尋ねると、天然記念物指定のヒダリマキガヤは、集落の中心を通る道を熊野神社を過ぎて下ったところに2本、神社手前から南に曲がったところに1本あるということでした。
別に指定外の1本が民家の敷地にあるということでしたが、指定された時の管理の問題で指定を希望されなかったということでした。
指定外のヒダリマキガヤと思われる1本
熊野のヒダリマキガヤ(天然記念物)
左巻榧 Jorreya macrosperma Miyos ハ普通ノ榧ニ比シテ種子甚ダ長大ナルノミナラズ其ノ外被ノ條線ガ左巻又ハ右巻ノ螺施状ヲ成スニヨリテ著シ
本樹ハ西大路村熊野ノ民家ノ附近ニ散在スル
元同地方ノ山中ヨリ移植セルモノナルベシ
(国指定文化財等データベースより)
指定の2本
集落南側の指定樹1本
再び熊野神社の巨木
祭神:熊野早玉神、熊野天須美神、家津御子神
本殿
春日造、間口一間、奥行一間(覆屋 間口三間、奥行三間)
厳社殿は1700(元禄13)年再建された。
日野町では遺構の少ない隅木入春日造である。
覆屋内にあるが、全面に施された彩色は経年による剥落が著しい。建築年代は17世紀後半から18世紀初頭である。
蒲生郡日野町中山祭神:熊野早玉神、熊野夫須美神、家津御子神石段を登ると拝殿、本殿である。右側下方に金剛定寺がある。
社伝によると、創祀は鳥羽天皇の御宇に紀伊国熊野三所の大神を勧請し仮殿を設けて鎮祭された。
応永7年(1400)神殿を建立して奉遷された。其の後度々兵燹に依り焼失したが貞享元年(1684)再建された。
これが現在の社殿である。金剛定寺伝来の古文書の一つ「金剛定寺幹縁疏」(永和元年1375発行)には、東蔵坊了春によって創建された「熊野三所権現」が熊野神社を指している。
拝殿
入母屋造 間口三間 奥行三間
本殿
春日造 間口一間 奥行一間 覆屋あり 彩色
日野町内では遺構の少ない隅木春日造である。覆屋内にあるが、前面に施された彩色は経年による剥落が著しい。
建築年代は17世紀から18世紀初頭である。貞享元年(1684)建立
石段
大永7年(1527)の紀年銘や「大工馬渕之大夫」という岩倉の石大工名が刻まれた石段である。
石段の部材は、長さ約160cm、幅約30cm、厚さ20cmほどの大型の角柱材が用いられている。
銘文がある部材は本来石段の耳石である。
近江八幡の「岩倉」は有名な石材産地で、岩倉産の斑状花崗岩は日野町内でも多くない。
この岩倉花崗岩が使われていることで関係解明の糸口となろう。
9月 1日 芋くらべ祭り
国指定無形民俗文化財一人の大男が富士山を作るために、サトイモの茎を天秤棒にして琵琶湖の土を運ぶ途中、中山の地でこれが折れて代りのサトイモを探したことが起源とされる。
この芋競べ祭は、中山の熊野神社の氏子である東谷・西谷の二つの集落がそれぞれ里芋(トウノイモ)を奉納し、その長さを競う祭礼で野神山という場所に祭場を設け、近年は9月1日を祭日として行なわれる。
親から子、子から孫へ受け継がれてきた素朴な野神を祀るお祭りで、祭りを行なうひとつひとつ儀礼は、先人が祀った古代信仰の姿である。
800年以上の伝統を持っており、平成3年に重要無形文化財に指定された。
芋の長さとは、親芋から葉の先までの長さをいい、芋競べの結果、西谷が勝てば豊作、東谷が勝てば不作になると伝承される。
かつては、勝ったほうが中山の集落から1km離れた惣山の草を先に刈り取ることpができるとか、水利権や入山権まで勝ったほうが優先したと伝わる。
祭の当日は、先ず熊野神社で盃の儀が行なわれ、その後東西別々の道を祭場のある野神神社へ向かう。
祭場で古式にのっとった儀式が行なわれ、最後に芋の長さを競いあう。神事終了後、熊野神社に戻り、解斎の儀礼を行なう。
参考資料《近江蒲生郡志、日野町の歴史、他》
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