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滋賀県日野町 馬見岡綿向神社

Hino Umamioka watamuki jinja
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May .2010 撮影/文:中山辰夫

蒲生郡日野町村井705 祭神:天穂日命・天夷鳥命・武三熊大人命日野の町の東より、村井の町並みのほぼ中央に位置する。信楽院にも近い。

本通から延びる約300mのまっすぐな堂々たる参道の正面に鎮座している。

此の参道は江戸時代、中野城および中野城の北側に広がる武家地とその西方に広がる町人地との間に位置していた。

馬見岡綿向神社は蒲生上郡の宗社として栄え領主蒲生氏の氏神である。

また、日野商人の崇敬を多く集め、現在も日野の人々の信仰が厚い。

 

長い町並みの東端に出ると、広い馬場の先、老杉巨木の茂る森の中にその社殿が見えてくる。神域は約31,000㎡と広い。

境内は南面し、御手洗川が中程を東から西に流れ、後方に拝殿・本殿が、その東側に神楽殿、西側に手水舎・神馬舎・絵馬殿が並び本殿の側背面に廻廊が廻る。

川の手前西側には神輿蔵・社務所が建ち並ぶ。

一隅に、鎌倉時代の様式をとどめる石燈籠(国重文)が建つ。

社域は宏荘で、拝殿・本殿をはじめ、石橋や石燈籠は立派なものばかりで、すべて江戸時代の日野商人が寄進したものである。日野の町を歩くと、通りに面した塀に透かし窓を設けている。

それは「桟敷窓」と呼ばれ、綿向神社の祭礼を見るときに開かれる。

神社の春の例祭が、毎年5月2〜3日にかけて豪華な曳山が登場する日野祭で、各町内から囃子にのせて繰り出した曳山が神社に向かう。

通りに面した塀の透かし窓からその祭りを見るのも、昔ながらの日野の風物詩である。

この祭りは県の無形民俗文化財に指定されている。

当社は正しくは馬見岡綿向神社と称し、欽明天皇6年(545)、綿向山の山頂に創建され、延暦15年(796)に現社地に遷座されたという。

現在も綿向山上にある大嵩神社を奥宮としている。

延喜式内社の馬見岡神社二社の一社で、もう一つは近江八幡市馬淵町の馬見岡八幡である。

後白河天皇、後鳥羽天皇などの勅額を受け、中世から近世初頭にかけて蒲生氏代々の庇護を受けた。江戸期には日野商人の崇敬も厚く、とくに18世紀初頭の祭礼から登場した二層露天式の曳山19基(現在は16基)は、その財力によるものである。 石造反橋拝殿前方の御手洗川に三基の反橋が架かっている。中央の石橋は幅約3.2m、長さ約5.5mで、半円形に近い円弧をもつ太鼓橋である。

橋脚は角柱9本を貫でつなぎ3列の行桁を架け、19枚の橋板を中つなぎに渡し、高欄を付けた本格的なものである。

延宝9年(1681)に造立された。日野商人からの寄進で造られた。

神楽殿

昭和36年(1961)再建

拝殿

入母屋造、軒唐破風、屋根銅版葺

享和3年(1803)の再建

日野の豪商中井良祐光武の寄進により建立。

本殿

県指定文化財

桁行三間、梁間三間、入母屋造、千鳥破風付、向拝三間、軒唐破風付、檜皮葺棟札などから宝永4年(1707)の再建である。

竹田神社と同様に禅宗様式の細部をもつ仏堂風の様式とするが、平面形式や千鳥破風、唐破風をつけた屋根形式により社殿風の要素を多く採用している。

正面に向唐破風造りの拝所を設けて一層の華やかさを増している。

装飾的彫刻の、手の込んだ意匠を多用している所に当本殿の特徴がある。

大工は日野の辻杢兵衛である。

日野商人の財力で良質材を用い、優秀な技術を持つ棟梁の手による貴重な建物である。 廻廊

正徳4年(1714)再建

 

絵馬殿

文化7年(1810)建立

 

神馬舎

平成16年(2004)再建

 

手水舎

明和8年(1771)建立

社務所

昭和3年(1928)再建

石燈籠

国重要美術品に指定本殿右手前にある。植込みの中の土壇上に建てられている。鎌倉時代の作である。

高さ190.4cm、六角形で火袋に散蓮華を刻み、基礎は大きい円形の平面で、見事な単弁を刻出する。笠が半分欠損している。

此の石灯籠の特色は、基礎の側面、中台の側面、火袋の各面に装飾が施されていない点である。又、円形の基礎も珍しい。

日野産の米石を使った大字蔵王の石大工の手になる作品と見られる。

碑文によると、もと蒲生候の庭園中にあったものという。

 

境内社−八幡宮

境内社−村井御前社

 

千両松

境内の正面右側に「千両松」と書いた石碑があって、一本の松が植えられている。

この松は、江戸時代に辻惣兵衛という人が他土地で商売をして、大金を持って日野に帰る際に、植木鉢の中に小判を隠しその上に木を植えた。

無事に帰れたお礼に、綿向神社に松を植え、千両松と呼んだ。日野商人が現金を持ち運ぶ苦労や工夫を物語る。

 

イノシシ

杉材の絵馬にイノシシの焼印が捺されている。神宮では12年に一度、イニシシ年にだけこの絵馬をだす。

綿向神社はイノシシ年の年男のための神社とされる。

 

日野雛祭り

毎年2月初めから1ヶ月間、街並みの各家庭や商店には通りから見えるようにおひなさまが飾られる。

江戸時代から現代に至るまで雛人形が展示される。

馬見岡綿向神社でも神社に伝わる由緒あるおひなさまが神饌所で展示される。

祭礼−日野祭

県無形民俗文化財その初めを嘉応2年「1170」と伝える。

毎年5月2日・3日・4日・に斎行される春の例祭は日野祭と称し、無形民造文化財に指定されている。

柴田楽と呼ばれる神調社に警固される三人の神稚児、三社の神輿、四基の神幣、16基の曳山車を中心とする古式ゆかしい神幸は絢爛豪華で、湖国の春を飾る大祭である。

 

綿向山

神社の前を東へ森に沿って行くと、田畑の広がる向うに悠然と連なる山並みが現れる。中央の高い山が綿向山である。

標高1100m、伊吹・霊山・比良と共に、近江の四つの高い山に数えられる。

この山の標高値から取った11月11日は、毎年「綿向山の日」として知られ、多くの人が登山する。綿向山は古く修験道の霊山として栄え、綿向大明神の最初の鎮座はその頂上あった。

現在、山頂部には鳥居と大嵩(おおだけ)神社とよばれる小さな祠がある。これが馬見岡綿向神社の奥宮・山宮にあたる。

奥宮は21年に1回榧(かや)の木で建てかえられる。現在まで75回の式年遷宮を数えているという。

江戸時代関東を中心に活躍した日野商人は、綿向山を故郷の山として格別の思いを寄せたという。

馬見山綿向神社は、この綿向山を神山とする古社である。

 

司馬遼太郎 「街道をゆく 近江・奈良散歩」より

やがて家並みのあいだに、大きな鳥居があった。くぐると、境内の結構や社殿がふしぎなほどに品がよかった。

境内に林泉があり、ひとめぐりして鳥居をでた。

鳥居の前から家並みのゆきつくはてをながめてみると、むこうの屋根の上に淡く雪を刷いた岩山のいただきがわずかにのぞいていた。

それが奇妙なほどに神々しくおもえたのは、私の中にも古代人の感覚がめむっていたからに相違ない。

もう一度神社に入りなおして社務所の若い神職にきくと、ああ綿向山でございますが、あのお山はこの綿向神社にとって神体山でございます。ということだった。

神社は「延喜式」の古社で、建立はそれ以前であり、社殿がここに造営されたのは白鳳13年(685)であるという。

参考資料《近江蒲生郡志、近江日野町の歴史、近江の文化財教室、湖国百選、街道をゆく、パンフレット、他》

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