滋賀県米原市/岐阜県揖斐川町 伊吹山
Ibukisan, Maibara city,Shiga/Ibigawa town,Gifu
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July 8,2017 中山辰夫
米原市伊吹町上野
下山トレーニング
伊吹山は、滋賀県と岐阜県との県境にそびえる県下の最高峰(標高:1377m)で、その山麓は広く堂々とした勇姿をみせている。(日本百名山の一つ)
夏場の伊吹山は高山植物のお花畑に彩られる山頂が有名で、自然の「息吹」が感じられる。
気候は日本海型で冬は積雪が多く、東海道線、名神高速道路から間近に見える雪山としては富士山に次ぐ山である。
全山石灰岩からなりセメントの産地でもあった。古来より薬草の山としても名高い。
歴史は古く、「日本書記」や「古事記」にも登場する。日本武尊にはじまる民話伝説の多い山であり、信仰の霊峰でもある。
鎌倉時代には、伊吹百坊といわれるほど栄え、当時の伊吹四カ寺の一つ、弥高護国寺の本寺跡や支坊跡が2004(平成16)年に国の史跡に指定された。
スキー場閉鎖、ゴンドラ運休中止で山頂へはバスで行くか、三宮神社から歩いて登るかいずれかとなる。バスはJR関ヶ原駅とJR近江長岡駅から出る。
今回は下山のトレーニングが目的。登りはJR関ヶ原駅から名阪近鉄バス(夏季限定)に乗った。
車窓よりの景観
山頂駐車場(標高1260m) 伊吹山ドライブウエイ(全長17km)の終点、ここから山頂目指して登山道を登る。
西登山道〜中央登山道へ 鹿除けのネットが目立つ
登る途中雲が流れて景観がコロコロかわる。
少し早かった高山植物
中央登山道から山頂へ 石灰岩が露出しているので歩きにくい 約500m 20分 山小屋、お堂、売店がある。
山頂付近 一番高い所に日本武尊像があり、もと測候所のフェンス横に一等三角点がある
いよいよ下山である。6㎞強の距離。三之宮神社の傍にある登山口を目指す。
頂上から9合目(山頂前500m 標高:1266m)付近
西登山道と出会う 石灰岩の露出が続く
8合目付近(山頂からは900m 標高1220m 登山口から5.1㎞)
8合目周辺にかけては岩が露頭するカレンフェルトとよばれる石灰岩特有の地形が拡がる。険しさを増す。手掛岩やお堂、休憩所がある
8合目にあるベンチで休憩した後は、カメラをリュックにしまって歩く。疲れと岩がゴロゴロした道を歩くのに余裕が無くなった。岩も大きくなり、乗り越えることもある
8合目〜7合目(山頂からは1.4㎞ 標高1080m 登山口から4.6㎞) 琵琶湖まで見渡せる景観が素晴しいスポットがある しばらく蛇行しながらおりる
暫く撮影を中止する
6合目周辺(山頂から1.9㎞ 標高:990m 登山口まで4.1㎞) 7合目から距離は500m、高度は90m下がる)
5合目(山頂から2.4km 標高:880m 登山口:3.6㎞) 中間点である ジグザグを描きつつ下りる ベンチや避難小屋がある 自動販売機もある
4合目 (山頂まで2.9km 標高:800m 登山口:3.1km)
3合目 ( 標高:765m 登山口:2.4km) 振り返ると山の山頂が見える 春に多くの花を咲かせる高原が広がる 最後の公衆便所がある
2合目 (山頂から4.3㎞ 標高:580m 登山口:1.7㎞) 見晴良好な個所もある 山小屋がある 伊吹パラグライダーの着陸広場も見える
1合目 (山頂まで5.1㎞ 標高:420m 登山口まで900m) 深い木立の中、滑り易い石がゴロゴロ、この最後の900mはきいた。やっとのことでたどりついた。
登山口 (標高:200m) 案内板には頂上まで3時間20分の行程と書いてある。
三之宮神社 JR近江長岡駅発行きのバスの発着場 約15分 神社は781年創建 祭神は大国主命、玉依姫命
5年ごとに伊吹山大太鼓奉納が行われる(県選択無形文化財) 神社の菊桐の紋章は、豊臣秀吉が寄進したもの)
仲間の一人が脱水症になるなどのトラブルもあり約5時間かけての下山となった。 78歳にとってはきつい行程に感じた。日影がないのが悪さした。
四季折々に変化する雑木林と灌木の稜線からは、揖斐川流域の山々や濃尾平野、更には近江盆地まで、ワイドな展望が満喫できると案内にある。
地図 「春日井シンポジウム2003資料、他」
滋賀県最高峰の伊吹山(1377m)は、滋賀県側から見るばかりで、岐阜県側から見る機会が少なかった。
滋賀県側から見る伊吹山のさまざま
岐阜県側から見る伊吹山のさまざま「垂井 引用:ポスター、絵葉書:相川のこいのぼり」 岐阜県側の山と重なり見えにくい。
今回は岐阜県側の伊吹山の稜線をすすむことになる。新緑の中、手に届きそうな尾根の稜線を見ながらの山歩きは、気分が爽快で、出くわす花にも目を奪われた。シーズンであれば花畑はもっと素晴らしいとも思ったが、気分は上々、満足であった。
■行程
JR米原駅前を車でスタートする。
1−車は、滋賀県米原町を過ぎ、合戦の町、関ヶ原を通り、岐阜県垂井町に入る。垂井町は、2014年NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」に登場する竹中半兵衛生誕の地であり、来年は大賑わいとなろう。2−車は池田町に入り先に進む。山が迫ってくると同時に、道幅が狭まり、路肩崩れで修復工事中の現場にも数か所で出合う。苦戦しながら旧春日村に入る。伊吹山の急峻な山々に囲まれた春日村は、峡谷型の山村。揖斐川の支流、粕川が山あいを縫って美しいせせらぎをみせている。
江戸後期、この山村に播隆上人が訪れたといわれている。
■春日村古屋の集落を抜け、笹又に着く途中に『播隆上人『ばんりゅうしょうにん』の阿弥陀堂がある。
播隆上人修行地から写された石仏が祀られた笹又の広場。
播隆上人は、独修独行の念仏行者といわれ、山岳にその浄域を求め、又槍ケ岳、笠ケ岳の開祖であった。
「日本近代登山の父」と呼ばれている英人ウェストンが日本アルプスを世に知らしめる65年も前のことである。まさしく、「大いなる初期のアルピニスト」といえる。
この播隆上人が伊吹山参籠のために春日村へあらわれたのは1825(文政8)年のこと。南宮神社奥の院で参籠の後、伊吹山に登り八合目にある通称岩屋で修業したと当時の文献は伝えている。春日村には、播隆上人にまつわる伝説が残っており、一心寺は1830(天保元)年上人が開祖したとされる。
一心寺 「引用:揖斐川町HP」 ■笹又地区に着く。 ここまで車で来れてよかった。
笹又にも集落があったが、今は段々畑が残るのみで人家はない。段々畑では、茶や野菜、薬草を栽培している。急な坂道を登っての農作業は大変である。
丁度イノシシ・鹿など害獣の侵入防止フェンスの設置作業中であった。駐車場(標高600m)は時に薬草の天日干しの場となる。
笹又から見る伊吹山と見かけたお花
随分遠くて、高い所に見えるドライヴェウワイ付近まで登るのかとやや興奮気味である。
見かけたお花
■今後の登頂ルート
笹又(標高402m) ---- 静馬ヶ原(1149m) ---- 御座峰(1070m) ---- 静馬ヶ原 ---- 笹又 ==== さざれ石公園=モリモリ村〜
畑地を抜け、樹林の道を登り、開けた草原をトラバースして静馬ケ原をめざす。登山開始である。
■標高600mの笹又〜ほぼ1000mの分岐点迄
約1時間の行程である。1m巾弱の山道が続く。険しい所もあるが、つづら折りになっているので助かる。固い尖った小石(石英岩)が散在しており歩きにくい。
快晴の中、新緑が映え、景色も刻々とかわって飽きない。
慰めとなるお花。時期としては早い。シーズンにはまだ早いが、高山植物のお花がアチコチで咲く。シンプルで素朴な美しさにあふれている。
■標高1000mほどの場所 地図の丸印
伊吹ドライブウエイ迄僅か徒歩3分の距離である。笹又の段々畑が小さく見える
目指す伊吹北尾根が見えてくる。前へ進むと共に容姿がはっきりしてくる。
■静馬ケ原(1149m)を目指して登山路をすすむ。
進路の左側は伊吹山とドライブウエイである。その直下を歩く。伊吹特有の石灰岩が流れ落ちている。
進行方向左側には伊吹北尾根がはっきり見える。その稜線がとても美しい。
北尾根への分岐点を左折して静馬ケ原に向かう。
お花のシーズンになるとドライブウエイに車を止めて、そこから下りて静馬ケ原を目指す人が多いと聞く。
静ケ馬原の三叉路である。
静馬ケ原(標高1149m)へは200mほど登ることになる。登山道は狭く、石灰岩がばかりの個所もある。岩のエッジは鋭く、倒れると裂傷間違いないと思われる箇所ばかりで慎重に歩を進める。幸い濡れていなかったが、濡れると滑りやすくなる。
静馬ケ原は、有料道路と北尾根の鞍部で、笹原が広がり、爽快な風が吹き抜ける。信州の風景の中を歩いているようだという人もいる。
ザゼンソウが顔を出していると聞き探したが見つからなかった。
視界の開けた場所から北尾根の連山を望む。
最近、北尾根が注目されているのは、お花が美しいことにもある。この辺りもまだ早いが、シ−ズンには花盛りになる。
急な坂道を登り静馬ケ原に着くと穏やかな尾根道に入る。そのあたりにお花のコースである。花を見ると人の動きが止まって、大変な混雑になるとか。
■御座峰を目指して進む。
200mほどの上り、下りである。岩また岩の石場は非常に歩きにくい。山地も滑りやすく、慎重な行路となる。
途中の983ピークに到着。時間・疲労具合・状況、などから判断してここで引き返すことにした。平均70才近いメンバーで無理はできない。
目前に浮かぶ北尾根の一つ、御座峰(1070m)・・・・・。
今回はここまでとし、引き返す。 ■さざれ石公園とさざれ石
岐阜県天然記念物
さざれ石はこの一帯で産する岐阜県の天然記念物で、学名は石灰質角礫岩。これは石灰質が雨水で溶け、その時生じた乳状液が小石を凝結して岩となったもの。「さざれ石の巌となりて 苔のむすまで」と君が代に詠われている。
参考資料≪伊吹山案内、他≫
伊吹山は滋賀県最高峰、標高は1,377mです。
山の大部分が石灰岩で、積雪が多いため、山頂付近には草原植物群落が形成されており、多様な花が咲き乱れる夏季には多くの人で賑わいます。
伊吹山頂草原植物群落(天然記念物)伊吹山は滋賀県で最も高い標高1,377mの半独立峰で、岐阜県との境にある伊吹山地の南端に位置し、その南側は関ヶ原地峡、さらに鈴鹿山地と続いている。
伊吹山の中腹以上には古生代二畳紀に形成された石灰岩が広く分布しており、山頂部にはカレンフェルトや巨大な石灰露岩等が見られる。
気候的には日本海型気候と太平洋型気候の境界にあたり、冬季日本海からくる寒冷な季節風が強く、山頂部は積雪量が多い。
しかし、この地域の石灰岩には塊状の亀裂が多く、透水性が高く表土は乾燥しやすい。
このような地質的・気候的条件のため、山頂部では樹木の生育が抑えられ、日本では数少ない山地草原が発達している。
山頂周辺の草原には、このような特異な条件下で生じた伊吹山固有種(ルリトラノオ、コイブキアザミ、イブキレイジンソウなど)、寒冷な時代の生き残りである北方系の植物(グンナイフウロ、キンバイソウ、イワシモツケなど)、日本海側多雪地帯の植物(スミレサイシン、イブキトリカブトなど)、石灰岩地を好んで生育する植物(イチョウシダ、イブキシモツケなど)等の約600種の植物が群生している。
花期には、このような固有種、北方系要素、日本海要素等の植物が一面に咲き誇り、壮大なお花畑を形成している。
このような広大な草原が維持されてきた要因としては、自然条件とともに、人間活動も重要な要素であった。
伊吹山はほとんどが共有地となっており、かつては広く採草、柴刈り等に利用される地域であった。
そのため、森林の発達を抑制し、広い範囲が草原として維持されてきたと考えられる。
また、この地域は古くから薬草採草地として名高く、織田信長がポルトガルの宣教師に薬草園を造らせたともいわれている。
日本ではこの地域にしか知られていない、ヨーロッパ原産の植物(キバナノレンリソウ、イブキノエンドウ)なども生育している。
このように、伊吹山では特異な地質的・気候的条件により形成された固有種、北方系要素、日本海要素の植物等が生育し、他の地域では見られない山頂草原が広範囲にわたり成立している。
この伊吹山頂草原植物群落は、植物分類学や植物地理学、生態学、また文化的な観点からもきわめて学術的価値が高い地域であることから、天然記念物に指定し、保護を図ろうとするものである。
(国指定文化財等データベースより)
山頂駐車場から西遊歩道コースを上りました。
山頂付近
東遊歩道コースから駐車場に戻りました。
途中で雲がかかるなど眺望は効きませんでしたが、植物群落や蝶などは美しかったです。
岐阜県多治見市で39.4℃を記録、44都道府県の計314地点で今年一番の暑さとなった、7月22日。伊吹山山頂へ行きました。
頂上は澄み切った青空で、気温は22℃。別世界の心地でした。
伊吹は標高1,377m、岐阜県の県境にあって滋賀県では最高峰の山です。一合目から頂上まで山には樹木のない草原の連続で日陰は全くありません。夏の昼間の登山は厳しく、夜半に登ります。日本百名山にも選ばれています。
伊吹山は日本海側と太平洋側の間隔が100km程しかなく真中に琵琶湖があります。しかも左側は日本アルプス、右側は鈴鹿山脈に囲まれています。そのため、冬季日本海から吹きぬける寒冷な気流が山頂の頂部分に引っかかり山のくぼ地に滞留します。
山地は平地よりも気圧が低く、水は85〜90℃で沸騰します。気候は年間を通じ大変不安定で、冬は豪雪となり易く、昭和2年には11.82mの積雪が観測され、世界記録と騒がれもしました。
山頂の年間平均気温は8〜10℃で北海道の釧路と同じです。7〜8月の間も雲や霧のかかる日が多く、快晴は一月7日程度しか望めません。
でも晴れた時の山頂は清涼感が堪能でき、夏場は外せません。8合目の駐車場(標高1260m)から山頂までは約40分でゆっくり登れます。
ところで、山頂、三角点近くに伊吹山測候所が残されています。
大正7年(1918)寄付を得て竣工し、大正8年から国営に移される昭和4年(1922)までの間、滋賀県彦根測候所附属伊吹観測所として観測を続け、その後は中央気象台附属伊吹山測候所となりました。
厳しい条件下での測候のため辛苦が多く、豪雪で登下山が出来なくなりヘリコプターによる勤務交替もあったようです。
平成元年(1989)無人観測所となり、自動観測から気象衛星ひまわりを始めとした観測技術の進歩もあって、平成13年3月31日をもって80年強続いた観測に終止符が打たれました。
今残っているのは3代目の測候所庁舎・他です。その撤去費用が6〜7億円かかるとのことで長く放置されてきましたが、今年10月より撤去作業が始まるようです。毎年冬場、東海道新幹線がスピードダウンするのは決まって関が原付近です。激しい気象変化はこの伊吹山が大きく関っていることの報告です。瀧山さんご夫妻が1〜2日前に登頂された由、快晴でよかった。夏のお花畑の様子はそのご報告でお楽しみ下さい。
伊吹山の歴史、その他については機会があれば別途まとめます。
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