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滋賀県甲賀市 檜尾神社

Hinoojinja, Koka city,Shiga


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Aug.2010 撮影: 中山辰夫

甲賀市甲南町池田43

祭神:天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎ)

甲賀駅南口からスタートする。

杣川に沿った池田集落の南部に位置する。県道からわき道に入る。昔の面影を残す木造鳥居が建つ。前方の大きな石鳥居を目印に、田圃の中の参道を進むと正面に森があり檜尾神社に着く。

中世より池田・滝の鎮守社として篤く信仰されてきた。

境内は山裾を三段に造成し、下段に門、中段に拝殿、上段に本殿が建てられ、これら三棟を東向きにほぼ直線上に配置する。

当社には、天正8年(1580)池田信輝が社殿を寄進したことを示す棟札が残されており、戦国武将との関わりが注目される。

本殿は県指定文化財で、宝永3年(1706)に建てられたもの。彫刻が随所に施され、かなり剥離しているが彩色された社殿である。

本殿の東隣に檜尾寺の観音堂がある。

毎年春分の日に行なわれる御田植祭は県内では珍しい神事芸能とされる。

参道には古風な木造鳥居があり、境内には楼門・神楽所・直会所・拝殿などがある。楼門への石段には銘がある。

本殿は近世らしい装飾性に富んだ華やかな意匠でまとめられ、見るところの多い本殿である。

檜尾神社は、江戸時代の池田・滝両村の氏神社であった。

社伝によると、昔当地が滝池であったときに天津彦彦火瓊瓊杵尊が青竜となって雲中に現れ、あるとき滝池の辺に炎気の尾を垂れたことにより、同神を祀って火尾社と名付けたと伝える。しかし火災が多く発生したため、檜尾と改めたという。

社殿は応安2年(1369)に池田の藤原頼康と滝の伴行康が再建したという。

天文8年(1580)後奈良天皇の勅筆による社名額が掲げられた。

天正8年(1580)池田信輝による再建のあと、擬宝珠銘にみえる宝永3年(1706)に再建されたものが現本殿である

神門のある下段は自然石で乱積された石垣で境内地が整えられており、それに伴って石階段が造られている。石鳥居を入るとすぐに左右の石垣に沿って石段になる。

楼門への石段

段数は僅かである。花崗岩製。石段は各段長短混じった三石よりなる角材を、十一段重ねて造られている。

左右各四石で構成される耳石(袖石ともいう)にはに刻銘が施されている。

右の耳石には「文正元年(1466)戌丙6月1日」と刻まれ、左の耳石には「願主 多喜土佐 沙弥源弥」とある。

文正元年とは応仁の乱が始まる1年前の年号で、文正の年号は1年のみで、翌年は応仁元年に当たる。

刻銘を有する石段としては滋賀県下で最古である。

銘文の「多喜」氏は、後に忍者集団を生んでゆく甲賀武士団、甲賀53家の土豪で、一族からは羽柴秀吉の命により水口岡山城を築いた中村一氏等が出たという。

在銘の石段はいたって少なく貴重な遺例である。

山門

拝殿

社蔵の棟札より、天正7年(1579)に建立した。次に宝永6年(1709)に建て替えしたがこれら建物は存在しない。

本殿

県指定文化財

三間社流造、檜皮葺 江戸時代 「宝永3(1706)」

の建物で、正面に唐破風が付く。高欄擬宝珠の銘に「宝永3(1706)」とあり、この頃建造されたといえる。

本殿の建築は前室の付かない、やや規模の大きな三間社流造で、縁を正面側にめぐらし、向拝に浜縁を設け、屋根は檜皮葺で正面に軒唐破風を付けた形式である。

向拝は唐戸面取りの角柱に紅梁形頭貫をいれ、組物は出三斗に手鋏、両端柱外は連三斗形式にして身舎と海老紅梁で繋ぎ中備に動植物彫刻の蟇股を飾る。中央の唐破風には紅梁を菖蒲桁に架け渡し、猿形の束で菖蒲棟を受け、紅梁と輪垂木の間は、雲の彫刻で埋める

組物は、正背面を出三斗にして、両端柱外を連三斗とし、側面は平三斗である。中備に正側面は鳥植物を彫刻した蟇股を入れる。

縁は正側面三方に耳板付切目縁を廻らし、縁束は角柱で貫を通して固める。縁板上に擬宝珠付の高欄を廻らし、正面に七段の木階が取り付く。

脇障子は鯉の滝登りと登り龍の彫刻を、脇障子欄間には鳥植物の彫刻を飾る。

外観は木部を丹塗り、組物部分に極彩色を施して、華やかな意匠を示す。

御田植祭

お田植えとは、農作業を前にした春先に田植えの真似事を演じ、豊作を予め祝う予祝(よしゅく)の行事で、「オンダ(御田)」とか「田遊び」と呼ばれる。

天狗の姿をした猿田彦神(さるたひこのかみ)と翁(おきな)の面をかぶった男性、田植えの子どもが登場し、田起こしから田植え、豊作の祈りなどが単純な所作で演じられる。

「檜尾神社文書」には、「明徳3年(1392)4月初申日御札行幸行列次第」があり、祭礼行列順と共に、獅子舞、猿彦、猿楽などが登場していたとある。

檜尾寺本殿の東隣に、檜尾寺の観音堂がある。

檜尾寺(ひのおじ)

甲賀市甲南町池田

天台宗

本尊:千手観音

檜尾神社の東に隣接しており、神社と寺院とが一体となった神仏複合時代の景観を今に伝えている。

別名を文殊院ともいう。

仁寿3年(853)円仁が文徳天皇の勅を奉じて建立。一時は28院6坊を有した大寺であったと伝わる。

永禄(1558〜70)以後、数回の兵火にあった。

明治時代の廃仏毀釈に至るまで檜尾神社の神宮寺として地元の厚い信仰を受けた。

木造千手観音立像は、かつては観音堂の厨子にひっそりと安置され伝えられてきたが、昭和51年(1976)に国の重要文化財に指定されて現在は堂左手下の収蔵庫に収められている。

昭和49年(1975)に、文化庁が滋賀県の湖南地方を対象に「文化財集中地区特別総合対策」の調査を行なった際に世に姿を現した。

寺入口には、近江33カ所観音霊場30番、甲賀西国第11番札所を示す、安政7年(1860)の石標が建つ。

境内には、観音堂、収蔵庫が建つ。

木造千手観音立像

国指定重要文化財

像高:178.5cmとかなり大きい。

箱型の構造を持つ檜の寄木造の漆箔像である。やや面長な顔に切れ目の長い伏目を彫り、厚めの唇を力強く刻む。頬は肉付きも豊かで平安初期の古像かとおもうほど、随所に古様を示す。

脇手42本の手はすべて造立当時のままであることも貴重であり、両膝から裾にかけて翻波も古様で鎌倉時代の復古的作風の像である。

一般的に観音像は女性的な造形であることが多いが、本像は男性的といえる。

秘仏であるが、毎年1月1〜3日・2月1日・8月18日の5日間のみ拝観できる。但し、拝観は収蔵庫の外側、金網越しであり見づらい。

木造釈迦如来立像

市指定文化財

像高:145cm、寄木造、漆箔像 今は金箔が落ちて古色を呈している。鎌倉時代後期の作

滋賀県には奈良や京都と並んで多くの指定文化財がある。しかし、京都や奈良では著名な社寺に文化財が集中しているのに対し、滋賀県では全県的に分布し、山深い集落のお堂にもあっと目を見張る仏様が安置されている。

檜尾寺の観音像は、そうした滋賀県の文化財のふところの深さを物語っているといえる。

参考資料《甲賀市史、甲賀郡志、滋賀県の地名、総覧日本の建築、その他》

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