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滋賀県甲賀市 柏木神社

Kashiwagijinja,Koka city,Shiga


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Sep.2010 撮影: 中山辰夫

柏木神社 《姫塚を含む》

甲賀市水口町北脇189

祭神:大己貴命

境内には本殿・拝殿のほか回廊・楼門がある。

所有する鎌倉期の作とする絹本著色不動明王二童子像は県指定文化財である。

柏木神社の創建は白鳳元年(673)で、最初は「日吉宮」と称し、大己喜命(おおなむちのもこと)を祀っていたが、建久年中(1190〜1199)源頼朝が鶴岡八幡宮の御分霊を合祀して多くの新田を寄付した。

以後「若宮八幡宮」と称し、柏木荘16ケ村の鎮守社として栄えた。

中世は柏木庄の鎮守として、近世は「柏木十一ケ村」の惣社として推移してきた。

中世後期には山中・伴・美濃部三家の崇敬を受け、彼らを核とした祭祀が行なわれてきた。

中でも山中氏は有力で、同士が建立した楼門が、天正8年(1580)織田信長の軍勢が当地を攻めた時に安土の「摠見寺」に持ち去られ、移築された。この戦で多くの宝物古文書が焼失した。

現在の楼門は日野中山寺の寺門である。

寛永9年(1632)水口城が築城された時、城主が当社を守護神として崇め、以後歴代の城主の祈願所になった。

承応4年(1655)水口城主山口但馬守は本殿・拝殿を修復し、石灯籠・手水鉢を寄進した。

明治4年以降社名を柏木神社と改めた。

楼門

楼門は木鼻などに中世の部材をまじえた承応3年(1654)の建築である。日野中山の楼門とされる。

拝殿

正面三間、側面三間、入母屋造、妻入り、桧皮葺

拝殿の内部には柱がなく一面に格天井を張って極めて簡素な構造である。

県下に類例の多い入母屋造妻入の四面開放形の方形拝殿で、紅梁の絵様からみて鬼瓦銘の享保15年(1730)の建立とされている。

中門・幣殿・本殿

本殿は国中神社同様側面をすべて板壁として閉鎖する三間社流造である。

姫塚(ひめつか)

甲賀市水口町北脇

柏木神社からはさほど離れてない所にある。

慶長5年(1600)関が原の合戦に破れた水口岡山城主長束正家《豊臣5奉行の一人》は、落城後に自刃した。

身重であった正室・栄子姫も城を脱出、北脇の旧臣・山本浅衛門の家に匿われ、ここで男子を出産したが、まもなく死没。

旧臣がこれを哀れんで葬り、一個の石を置いて標識とし、その霊を慰めたとされる。

遺児が仏道に入り、寛永2年(1625)水口大徳寺の三世「還誉上人 かんよしょうにん」となった。

還誉上人は亡き母栄子姫の霊を弔うために北脇の地にあった地蔵堂を改築し、「栄昭寺」と号し、大徳寺の末寺として長束家の菩提寺とした。

現在建つ姫塚は明治26年、京都在住の一族の花輪氏が建立したものである。

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