滋賀県甲賀市 白川神社
Shirakawajinja, Koka city,Shiga
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Oct. 2010 撮影: 中山辰夫
甲賀市土山町南土山
祭神:速須佐之男尊・天照大神・豊受大神
祭礼:8月1日前後 (土山祇園祭)
もとは天王宮と称した。 創祀年代不詳、寛永7年(1854)社殿その他建造物古書類等焼失したが同年8月社殿を再建する。
尚、正徳3年(1713) 村中の人・家を残らず焼失した際に社殿も焼失する。享保4年(1719)に村民が乾金ニ千両を代官猪飼次郎兵衛より拝借して社殿を建築した。又、文久3年(1862)、氏子の中に篤志を集め建築する。
大正9年(1920)3月榎島神社(祭神市杵嶋姫命)、一本松神社(祭神猿田彦大神、大山祗神、天照皇大神)を神社に合祀する。
主祭神は速須佐之男尊、天照大神、豊受大神ですが、境内には愛宕社、松尾社、稲荷社の御社が鎮座されています。
大正9年には、蟹が坂の瀬戸山にあった榎嶋神社の祭神、市杵嶋姫命および五瀬にあった一杵松神社の祭神、猿田彦神社、大山祇神が合祀されています。
拝殿・本殿以外に、神門・神輿庫・儀式殿・手水舎・社務所が建つ。
手水舎
拝殿
入母屋造、間口三間、奥行三間
神門・儀式殿・本殿
本殿は一間社流造、間口一間一尺、奥行一間一尺
境内社
悠紀田
神事
史跡
明治元年(1868)9月22日、明治天皇御東幸御駐輩の時に内侍所の泰安所に充てられた。
天明7年(1787)に光格天皇及び嘉永元年(1848)に孝明天皇の両大嘗祭に悠紀田の抜穂御調製に拝殿があてられた。
白川神社祇園祭
250年程前の江戸時代、土山に来ていた「茶師」と地元の若者がお茶とお米の豊作を祈願して宮相撲「泣き相撲」を始めたといわれている。
「宵宮」本宮の前日
泣き笑い相撲は生後6ヶ月位から3歳位までの男児女児を、役員「神人」がお預かりして西から土俵に上がり、東からは「ひょっとこ」が上がる。
行司の采配で重々しくまた面白く「ニラミアイ」「ナキアイ」「ワライアイ」をする。
氏子内外誰でも無料で参加できる。
「本宮」 8月1日前後
花傘巡行神事は災厄を打ち払う「剣先鉾」と、疫病を祓い除ける「扇鉾」と、花の精にあおられて陽気の中に飛散する悪疫を風流傘「花傘鉾」に宿らせて、祇園社に送り込み神意を仰いで鎮めるというものである。
御神輿宮出し巡行も行われる。
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