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滋賀県甲賀市 大岡寺

Minakuchi Daikoji, Koka city,Shiga

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Nov.2010 撮影: 中山辰夫

甲賀市水口町京町1−1天台宗

本尊:十一面観音立像(重文)

水口石橋駅から約600m東に行くと、城山の麓にある。旧東海道からみると、石段がのびる上に二階堂造の本堂が、山を背にして、古寺らしい姿を見せている。

岡観音と呼ばれ親しまれてきた。

境内には芭蕉の句碑や明治文壇に童話作家として活躍した巌谷小波の記念碑がある。また、芭蕉の「野ざらし紀行」や鴨長明の「海道の記」や大田南畝の「改元紀行」にも出てくるので、東海道を往来する文人墨客の遺跡ともいわれる。

門前に「鴨長明発心之地」の標石がある。

天武15年(686)大岡山に一宇を建てた行基が開基で、千手観音の木造を安置したのが始まりと伝える。天台宗寺院であった。

寺の勢いは盛んで、16の坊舎を有していたとされる。しかし寺院が交通の要衝の地にあったため、度々兵火にあった。

天正2年(1574)に兵火で焼け東の坊を残すのみとなった。

天正13年(1585)中村式部少輔一氏が城山に岡山城を築くに当たって、東の坊を水口の町の南から移された。

現在の大岡寺は正徳13年(1715)に再建され、以後水口藩主加藤氏歴代の帰衣が深く、その祈願所となった。

明治維新までは水口神社の別当をつとめていた。現本堂は享保13年(1753)に完成したもの。

山門

本堂

享保13年(1753)建築

桁行三間、梁間四間、二重、寄棟造、本瓦葺、背面軒下張出付

総円柱の本格的な仏堂で、内部は四天柱を立てその間に大紅梁を架け渡し軸部を固める。さらにそれとは別途に棟通りに二本の柱を立て内外陣を区画する。

昭和54年(1979)に上重屋根が崩壊し現在鉄板葺である。この仏堂は屋根が二重であること、組物の大斗・肘木・巻斗のすべてに繰形をつけるなど、特異な形式・意匠を持つ仏堂として注目されているようだ。

大工は三ケ月重右衛門である。

円柱状石燈籠

貞享2年(1685)大和から京、近江に遊んだ芭蕉は「野ざらし紀行」の中に、「水口にて廿年を経し古人に逢ふ」とし、『命二つの中に活けたる桜かな』の句を作ったが、その句碑が堂前に作られ、寛政7年(1795)の芭蕉翁碑前と刻んだ円柱状石燈籠が立っている。芭蕉の句碑とレポート“芭蕉と水口”

山門を入ると右側に建つ。「命二つ中に活きたる桜かな」と刻まれている。

寛政7年(1795)に、水口藩の俳人であった家老・加藤蜃州(しんしゅう)が発起人となり建てられた。

芭蕉は旅日記「野ざらし紀行」で「水口にて二十年を経て故人に逢ふ」と前書きして詠んだ。

門前にある「鴨長明発心の地」標石には、鴨長明が「海道記」の中で「大岳寺というところに泊まり、世の無情を感じ、髪をそり旅寝する・・・」と述べられているが、史実かどうかは不明である。

巌谷一六顕彰碑

大岡寺−と芭蕉句碑—建碑2年後の景観

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