滋賀県甲賀市 心光寺
Minakuchi Shinkoji, Koka city,Shiga
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Nov.2010 撮影: 中山辰夫
甲賀市水口町城東5−19 浄土宗
本尊:阿弥陀如来旧東海道に面して境内が広がる。南は水口城の武家地であった。
墓地にある美濃部氏一族の墓石の大きさにはお驚きである。
本堂に安置している「木造阿弥陀如来立像」は平安時代の作で、市指定文化財である。
菅原淳茂(あつしげ)は父・道真公の冥福を祈るため、「護念山香華院心光寺」を建立。さらに、末寺の極楽寺と東見寺を建てた。
心光寺の墓地にある美濃部一族の墓石は慶長以来数十基あり、中でも五輪塔二基は壮大で、高さ3.3m、円径0.79mで南北に並立している。
美濃部氏一族の墓には菅原・美濃部の銘があり、基礎の部分に綾野天満宮と同じ「菊鉞「きくまさかり」の紋章が見られる。
厨子や本堂の梁、庫裏の長押し(なげし)の釘隠しにも金色の「菊鉞」の紋章が輝いている。
木造阿弥陀如来立像
市指定文化財
菅原淳茂と梅が池旧跡
菅原道真が藤原氏の策謀によって太宰府に左遷された。
その時、道真の4男淳茂(当時16才)は菅原家の荘園であった美濃部の郷(今の水口)の郷長であった兵左衛門為親に預けられた。
淳茂は現在の水口城の南側に辺りに居を定めた。近くに湧水地を設け、その周辺に梅ノ木を植えた。これが「梅が池」という地名の起こりとされる。
この地は河岸段丘の境目にあたり、「梅が池」は野洲川の豊富な伏流水を利用した湧水地で、どんな日照りでも涸れることがなかったので、水口を象徴する「碧水 へきすい」という言葉の語源にもなった。
淳茂は美濃部郷の長兵左衛門為親の娘との間に一子菅三郎直茂をもうけた。淳茂はこの地に23年間いたが、延長元年(923)に赦されて帰京した。
その時に一子直茂は美濃部の地に残し止められた。直茂は美濃部の地にちなんで、美濃部直茂と称し、菅原道真の4男の淳茂を上祖とする美濃部氏を興した。
美濃部氏は中世の甲賀武士・五十三家の中でも、山中氏や伴氏と並ぶ有力な土豪として水口の地を治めた。
しかし、織田信長の上京には信長に従い、さらに徳川家康が天下を統一すると旗本として江戸幕府に仕えた。
(水口の歴史散歩より引用)
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