滋賀県甲賀市 水口 八坂神社(嶬峨大宮)
Yasakajinja,Koka city,Shiga
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甲賀市水口町嵯峨1607-1 八坂神社本殿(儀俄大宮) 重文 近世以前/神社 桃山 天正(1573-1592)頃 一間社流造、檜皮葺 19060414
March 22,2015 大野木康夫 source movie
早春、晴天時、重文本殿を中心に撮影
優美で開放感がある本殿
水口町嶬峨の集落から南に少し離れた小山の麓に鎮座しています。
本殿(重要文化財)
天正年間(1573-1591)の建築
一間社流造、檜皮葺
瑞垣はいつも開けられており、本殿に直接参拝することができます。
摂社
甲賀市水口町儀俄(ぎか)1607−1
主祭神:素盞鳴尊・聖武天皇・神武天皇
例祭:5月1日儀俄の岩上バス停右の野洲川の橋を渡って800mほど行くと、山裾の松林の中に儀俄の大宮と呼ばれる八坂神社がある。
かなり深い森の中に鎮座されている。長めの参道を進むと石橋が目に入る。その前は石段である。その上に社殿がある。
本殿が国重要文化財である。
拝殿、本殿以外の主たる建物:神楽殿、神饌所、神輿庫、祓所、手水舎、社務所 境内社:3社 境外社:2社
毎年5月1日の「儀俄まつり」が行なわれる。
郷土開拓の祖神、川枯神を勧請、天平21年(749)左大臣橘諸兄が千光寺伽藍創立の際、仏法擁護のため社殿を造営し素盞鳴尊を主神としたという。
朱雀天皇承平2年(932)に神徳布施の故をもって、儀俄大宮の号を賜り現在の地に社殿を建立。別当院は千光寺であった。
現本殿は永享11年(1439)の建立で天正15年(1587)、享保6年(1721)、慶応2年(1866)の数度に渉る修理を経て、昭和34年(1959)国の施工管理により解体修理が行なわれた。「下馬橋」−石造石橋
元禄11年(1699)の建造で、泉州日根郡鳥取荘より雨乞成就の返礼として寄進された旨の刻銘がある。
拝殿
入母屋造、間口二間、奥行二間
中門・幣殿
本殿
永享11年(1439)建築
国重要文化財:建造物:指定 1906年4月14日
一間社流造、間口一間三尺、奥行一間三尺 永享11年(1439)建造されたもの。
正面の紅梁にある牡丹の彫刻の蟇股を始め、柱、向欄、宝珠などよく桃山時代の様式を保っている。本殿の形式は多分に室町時代風である。正面の柱間3m、奥行は向拝と身舎を合わせて4.84mで一間社流造本殿としては規模が大きい。
苗村神社東本殿と同じ形式である。妻飾り扠首組上の花肘木、蛙股、実肘木先の彫刻などにも時代の特徴が出ているとされる。
向拝と主屋正面の蛙股は脚端が若葉状となり、内部の彫刻も菊・桐の厚肉彫で、これが室町初期の風とされている。
嵯峨祭り
5月1日に行われる。
重さ350kgと相当重い神輿をかつぎ、野洲川を渡り、対岸の今郷をまわって、全長4kmを一糸乱れず練り歩く。
野洲川は田畑をうるおし、時には災害をもたらすので、担ぎ手はびしょぬれになって神輿を川にいれ祈願する迫力のある祭りである。
お花
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