滋賀県甲賀市 大鳥神社
Otorijinja, Koka city,Shiga
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July 24,2016 中山辰夫
甲賀市滋賀県甲賀市甲賀町鳥居野782
大鳥神社は甲賀・大原庄10カ村の産土神で、氏子は9村からなる。
大鳥神社は、1915(大正4)年不慮の火災に依り社務所、拝殿、楼門、廻廊等焼失したが1919(大正8)年に復興した。
朱塗の楼門をはじめその神域は広大である。社殿の多くが国登録文化財に指定されている。
訪問したのは大原祇園祭当日で、各社殿からはお祭り時の様子が窺える。
石造太鼓橋 市指定文化財 1744(延享元)年の架設、石工杉本文右衛門の作 傍に御新田がある。
楼門 : 国登録文化財 構造:構造:木造楼門、檜皮葺、建築面積27㎡、左右透塀延長77m付 京都府技師:亀岡末吉の設計
社務所: 国登録文化財 木造平屋建、瓦葺、建築面積177㎡
拝殿: 国登録文化財 構造;木造平屋、檜皮葺、建築面積35㎡ 外観が優美で社殿の中で一番目立つ。
祝詞殿(中門): 国登録文化財:構造:木造、檜皮葺、建築面積12㎡、左右透塀延長66m付 巧みな構成と優美な意匠で社殿中核の景観を整えている
例大祭では、拝殿と祝詞殿の直前で太鼓おどりりが奉納される。
本殿 指定なし 構造:三間社流造 間口三間三尺 奥行三間
神楽殿 国登録文化財 構造:木造平屋建、銅板葺、建築面積15㎡ 建具は3方舞良戸建て,内部背面は鏡板張りで老松を描き,神楽殿の構えを完備する。
神饌所 国登録文化財 構造:木造平屋建、銅板葺、建築面積28㎡
神輿蔵 国登録文化財 構造:土蔵造平屋建、瓦葺、建築面積40㎡
例大祭—祇園祭 (滋賀県無形民俗文化財指定)
大鳥神社は京都祇園八坂神社の分霊を祀ることから、神仏分離以前は牛頭天王社,河合社、大原祇園社などと呼ばれ、甲賀では、油日神社同様、最も由緒ある神社の一つである。毎年7月23日、24日に行われる大鳥神社の例大祭は祇園祭ともいわれ、特色ある神事が繰り広げられ「荒祭り」として有名である。
祭りに奉仕するのは旧大原村を形成していた鳥居野・相模・大原市場・高野・大原中(中村)・大原上田・大久保、神村・擽野の9集落でそれぞれ祇園講を組織している。
7月10日は社頭でクジトリがあり、祭礼の宵宮及び本宮の参入の順番を決める。
7月17日は祭初めで、祭の主な役員の清祓式が行われる。
7月20日〜22日まで獅子舞が各集落を廻って、傘鉾・花傘・各家を清める。7月21日は神輿洗いといい、神輿の飾り付けを行う。
7月23日は宵宮
各集落から10戸ずつ、計90人が踊り番として神社に献灯する。9集落の燈籠90人が全部揃うと宮入となる。
若衆が頭上に屋形灯籠を乗せて、身ぶり面白く踊り、各字毎に輪になって「インヨーソーラ ハヨウ ハヨウ」とはやす。
各集落の踊りが終わると、火取りの神事に移る。クライマックスの始まりである。
拝殿正面の広庭において大原中(中村)の踊子が左右5人ずつ並び、獅子の舞火取式をおこなう。獅子が太鼓・笛に合せて勢いよく三回左回りに廻り燈籠の火を取ってゆく。その火が全部取れた都市は豊作だという。獅子は最後に右回りに三回廻って宵宮の行事が終わる。
宵宮の行事は優美さと荒々しい面を持つと言われる。
7月24日は本祭
本祭りは「花奪い神事」「といわれ、「京の祇園は名高いばかり、大原祇園は勇ましい」の声で、勇壮な踊りを展開する。喧嘩祭の異名がある。
これは、7〜8歳の踊り子9人に花奪い数基が各字毎に組まれ、青竹の杖を持った数十人の若衆が、花を取らせないよう青竹でたたき合う神事である。
奪った花は神棚に飾ると疫病を免れると信じられてきた。
この花奪の神事は文禄の頃(1592〜1596)にはすでに存在したとされ、「境内において花を奪う者の成敗勝手たるべき」旨を記した豊臣秀吉が下附した朱印状があったとされる(大正5年の火事で失われた)
主役のハナガサ (花傘 、神花ともいう) )
2m位の青竹3〜4本を脚として、上部に直径1m位の台板をとりつけ、これに造花や小さな酒樽数個をかざったもの。この花傘を奪い合いする。
祭りは15:00から始まる。13:30頃から各集落で準備が始まる。9集落の一つ、鳥居野は多聞寺が会場である。
準備状況
ハカマの着付けには力が要る(汗交じりで大奮闘)、踊子への着付けも大変である。
多聞寺での祈りを終えて準備完了
14:30頃になると、各集落から十人の踊子・七本槍の人達が参道周辺に向かう。
花奪男でもあり、神輿を担ぐ人の肩当てが凄い! 荒っぽい動きが予想できる。
15:00宮入りが始まる
太鼓おどりの奉納
楼門に入った踊子の一行は、「インヨーソーラーハヨウ ハヨウ 」のはやしで、中門と拝殿前で太鼓おどりを奉納する。最後は踊子同士でぶつかりあう。
踊子は7〜10歳の男の子。踊子の服装は花笠・餅模様の浴衣の筒袖の上着、タッツケ・手甲・それに太鼓か鼓を腹に付ける。(最近は白足袋・わらじを履かない)
酒樽奉納
酒樽数個をかざった花傘は楼門をくぐり拝殿まで進む。ここで酒樽を奉納し楼門まで戻る。
花奪神事
楼門まで進んだ花傘をめがけて、待機中の花奪男が飛び出して奪い取ろうとする。青竹の杖をもった数十人の若者が、花を取らせないよう青竹でたたき合う神事である。若衆の動き、花傘の動き、花を求める見物人の動きが活発である。
9か所の集落が順番で同じ神事を繰りかえすため飽きない。
奪った花を手にした人 家に持ち帰り神棚へお供えする
花奪い神事と踊子の踊の奉納が終わると、氏子の出したチマキがまかれる。チマキの中に当たり券があれば酒樽と交換してもらえる。熱中する瞬間である。
必死の光景
ラッキーな人たち
神輿渡御
神輿は全集落内を渡御して還御して戻り祭は終わりとなる。
スムーズな祭の進行と見守る人たちの熱いまなざしからも、昔からの氏子組織をしっかり守り、持続しようとする集落住民の意志が強く感じられた。
甲賀市鳥居野783
主祭神:素盞鳴尊(すさのおのみこと)
祭礼:7月23日・24日 「大原ぎおん」
大鳥神社は甲賀町中心部から北1.5km。大鳥神社バス停を降りたところが当社の参道となっている。
甲賀町鳥居野にある大原谷の総社で、集落の北端となる大原川に注ぐ大橋川際に建立されている。
江戸時代の築堤といわれる石橋を渡たり、石段を登ると山裾に境内が広がり正面に楼門がある。
そこから左右に延びた透塀(すきべい)内に拝殿、右側に神楽(かぐら)殿、左側に神饌所その奥に神輿庫が並ぶ。
拝殿の後方は丸い基壇上に中門・祝詞(のりと)殿を設けて透塀を廻し、その奥に本殿がある。左右には八幡神社・日吉神社および西ノ宮神社の小社が並ぶ。
大正5年(1916)社殿が焼失し、同9年再建された。
京都祇園西門を模した朱塗りの楼門・回廊を配し、社殿のほとんだが国登録文化財である。
神域は約6900㎡、市の名勝に指定されている。
木造神像1躯が国重要文化財(彫刻)である。祭神の素盞鳴尊(すさのおのみこと)の坐像といわれる。
未指定の神像が左右に2躯、一つは男神像、他は女神像で中央とほぼ同一時代の一木彩色像である。
古くから災厄除けに効験あらたかな神様として、近隣の信仰を集めている。
7月23・24日の例祭は、別名“祇園祭”あるいは”喧嘩まつり“とも呼ばれ、花鉾の献上や神輿の渡御が行なわれる。なかでも本祭の花奪い神事は荒っぽいことで有名で。宵宮の灯篭祭りは風流で、遠近からの観光客で賑わう。
当神社は、鳥居野集落の北端に位置する。旧郷社、往古は北西約1町の磨臼谷(まうす)にあったという。
創立は、元慶6年(882)伊賀国河合郷篠ケ獄からの勧請まで遡る。
甲賀地方の延暦寺の別坊三十六院として祭日は日吉神社に準じた。
元暦元年(1184)佐々木秀義と伊賀平氏の油日谷(あぶらひ)の合戦時、秀義が戦勝を祈願、以後佐々木氏の崇拝するところとなる。
建長5年(1253)5月21日から5日間、雨乞の祈祷輪読が行なわれた。大永元年(1521)には常在坊秀勝が拝殿を再建した。
神仏分離前以前は牛頭天王社・川合社・大原祇園社などとも呼ばれていたが、明治元年(1868)大鳥神社に改称された。
前身社殿は大正5年(1916)火災より本殿を残して焼失した。このため滋賀県技師・亀岡末吉の設計により、大正9年(1920)までに楼門・拝殿・神楽殿・神饌所・中門・祝詞殿および社務所などが再建された。
石灯籠の並ぶ参道を進むと、大川橋に石造の太鼓橋が架かっている。
石橋
花崗岩製。形式は石造桁橋 擬宝珠親柱真々幅300cm、長さ104cm
川中に円柱が3本ずづ二行に立てられ、その両側の柱は内転び(うちころび)である。
欄干の擬宝珠の一つに刻まれた銘文から延享元年(1744)に京都の石工杉本文右衛門が作ったことがわかる。
楼門
石段をのぼると、京都八坂神社の楼門(京都府・明応6年(1497))を模してつくられたとされる朱色の楼門である。
楼門から続く廻廊・拝殿は整然と配置されている。社域に壮美さを増している。切妻造楼門は遺構として珍しいとされる。
構造:木造楼門、檜皮葺、建築面積27㎡、左右透塀77m付
建築:大正8年(1918)登録基準:造形の規範となっているもの
解説文
三間一戸,切妻造の楼門で,左右折れ廻りに透塀を廻し境内を区切る。腰組は三手先,上層は出三斗とし,中備は蟇股,間斗束,妻は二重虹梁蟇股である。柱の隅延び,垂木・桁の反増し等中世の技法を忠実に踏襲した優美な意匠となる。
設計は京都府技師亀岡末吉・大工辻正吉により再建された。
拝殿
構造:木造平屋建、檜皮葺、建築面積35㎡
建築:大正8年(1918) 基準:造形の規範となっているもの
解説文
祝詞殿前方に独立して建つ。方3間、入母屋造、妻入りで4周に刎高覧付木口縁を巡らす。柱間は吹放しで、正背面中央間の内一段高くし、内部は二重折り上げ小企画天井とする。
細い木割と深い軒の出による優美な外観は社殿の中心にあって最も目立つ存在である。
中門・祝詞殿
構造:木造、檜皮葺、建築面積12㎡、左右透塀延長66m付
建築:大正8年(1918) 基準:造形の規範となっているもの
解説:鎌倉時代以来佐々木氏の尊崇を得た神社。貞享2年建立の本殿が残るが,他は大正4年火災後の再建になる。
祝詞殿は本殿前に建つ桁行2間,梁間1間,前後唐破風造の建物で,左右矩折れに透塀を付属する。
巧みな構成と優美な意匠で社殿中核の景観を整えている。
本殿
三間社流造、間口一間三尺、奥行一間三尺、向拝一間、桧皮葺 貞享2年(1685墨書)建立
一段と高く透かし塀で囲まれて建つ。江戸初期の様式を残しているとされる。
本殿は大型の三間社流造で、全体に木柄が太く良質の建物である。定石通り全室・向拝つきで、前室正面に菱格子の戸を用いる。妻飾は紅梁大瓶束とし紅梁下に蛙股をおく簡素なものだが向拝まわりは入念に飾られている。組物間は天人の透かし彫りで埋め、手挟は龍彫であるため向拝まわりは華やかでボリュームがある。紅梁、木鼻、手狭の絵様はすべて同じ様式で美しい意匠である。
わかりにくいが正面に天女の彫刻が施されている。
明治30年(1897)の修理の際に、向拝西の獅子頭の柄にあった棟札の墨書で建立年代が明らかとなった。なお、縁、浜縁、外陣天井及び梁が新材に替わっている。
神楽殿
構造:木造平屋建、銅板葺、建築面積15㎡
建築:大正8年(1918) 基準:造形の規範となっているもの
解説文
拝殿東方に建つ。方1間,入母屋造,妻入で,正側面3方に刎高欄付木口縁を巡らす。面取角柱上に舟肘木を置く簡素な施設だが,建具は3方舞良戸建て,内部背面は鏡板張りで老松を描き,神楽殿の構えを完備する。小規模ながら社殿構成上欠かせない建物である。
神饌所
構造:木造平屋建、銅板葺、建築面積28㎡
建築:大正8年(1918) 基準:造形の規範となっているもの
解説文
拝殿西方,神楽殿に相対する位置に建つ。入母屋造,平入,北端1間通りを踏込土間とし出入口を開き,これより南の床上部の西・南面開口部の外に刎高欄付木口縁を矩折れに廻す。
小規模ながら軸部は面取角柱,舟肘木で,開口部は半蔀を吊る本格的な造りである。
神輿蔵
構造:土蔵造平屋建、瓦葺、建築面積40㎡
建築:大正8年(1918) 基準:造形の規範となっているもの
解説文
神饌所の北に建つ。土蔵造,寄棟造,本瓦葺で,正面に桟瓦葺の庇を付け,2箇所の戸口を開く。内部は壁・床とも板張りで竿縁天井を張り,御輿,祭器を収める丁寧な仕事になる堅牢な造りであるとともに,出の大きな軒蛇腹,換気用の丸い小窓など特徴を持つ。
社務所
構造:木造平屋建、瓦葺、建築面積177㎡
建築:大正8年(1918) 基準:造形の規範となっているもの
解説文
社殿の南西に東面して建つ。入母屋造,桟瓦葺で、正面中央に向唐破風造の式台を付ける。内部は2列6室に分け、南端に土間を設ける。
内法天井長押を廻し、主座敷には床・棚・付書院を備え、端正な彫刻欄間を入れるなど、簡明洗練された意匠にまとめている。
木造神像(社伝 素盞鳴尊坐像)
国重要文化財:彫刻:指定 1908 04 23 平安時代
松材一木彫眼の彩色坐像である。笏の上に両手を供し、頭部は宝冠台を彫出している。菩薩形のように威容厳然として、厳しい中にも柔らかな趣を表現するとされる。
鉄湯釜
市指定文化財 慶長7年(1602)
当社の神事に用いられていた湯釜で、辻の鋳物師(栗東市)田中藤左衛門の手になる最も古い在銘遺品である。
種子三千仏
市指定文化財
応永33年(1426)に新書され、近江の銘をもつ種子三千仏である。
江州甲賀上郡大原河合寺什物とし、永禄8年(1565)に修復した墨書銘が記されている。
木造弥勒菩薩坐像
県指定文化財
河合寺に伝わったもの。ケヤキの一木造で、膝裏の墨書銘には暦応3年(1340)仏師法橋秀弁と僧長弁の手により大願主宗舜の勧進で造像されたとある。
大原祇園祭
滋賀県指定無形民俗文化財
7月23・24日
大鳥神社の夏祭りで、甲賀市を代表する祭りである。甲賀の祇園花行事の中で最大規模を誇り、奉納された造花を奪い取るハナバイで知られ、大勢の参拝客で賑わう。
7月23日の宵宮には氏子九地区より90人の若衆が、頭にろうそくをともした四角で大きな灯篭をのせ、宮入する。
太鼓・つづみの音と灯篭がぶつかり合う光景は夏の風物に花を添える。
翌24日は花奪神事が行なわれる。
各氏子から7・8才の踊り子と花傘の宮入がある。花傘は長さ約2.5mの芯竹に4本の篠竹を添え、麦わらを束ねて赤い造花を差した花笠を奉納。この花笠をとるもの、取られまいとするものが争うかなり荒らしい祭りである。
行なう。
「近江輿地志略」によると、疫病に無防備であった前代の民衆にとって、祇園の赤い花にすがる思いが、この行事を熱狂的なものにし、見方によれば、破壊の民俗とも受取れるような激しいものにしていったと思われる、
亀岡末吉
東京美術学校を卒業し、明治後期から大正前期にかけて活躍した文化財建造物保存修理の工事監督である。
宮城県・京都府・滋賀県を担当したが、多くは京都府であった。
明治45年(1912)の観音寺書院、祇園の八坂神社楼門、大正5年(1916)総見寺楼門(安土)・日吉大社西本宮本殿などの解体修理を担当した。
参考資料《甲賀市史、甲賀郡志、滋賀県の地名、郷土資料辞典、国文化財データベース、大原の祇園行事、他》
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