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滋賀県甲賀市 田村神社

Tamurajinja,Koka city,,Shiga

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Oct.2010 撮影: 中山辰夫

甲賀市土山町469 主祭神:坂上田村麻呂公・嵯峨天皇・倭姫命

例祭:4月8日国道1号線のバス停を降りた所が田村神社の深遠な森である。鳥居をくぐり深い杉木立の参道を進むと規模の大きな社殿が顔を出す。

神社全体が、平成24年に斎行される「御祭神坂上田村麻呂公御鎮座壱千弐百年大祭」の準備に大わらわで、緊張さえも感じられる。

平成20年5月に着工された改修工事を終えた拝殿が見事な姿を現している。約270年ぶりの本殿の改築工事が目下進行中で、間もなくその神々しい姿を拝することができよう。

深い境内の一番奥に本殿がある。橋を渡った一番高い所でまさに聖域と呼ぶにふさわしい雰囲気である。今は工事中で参拝できない。

毎年2月17日〜19日に行なわれる厄除祭りは遠近からの参拝客数十万にも及び、境内の様子もガラリと変わる。露天の店がズラリと並ぶ光景だけでも圧巻である。境内は人の波で溢れる、そこには戦いに似た空気すら生まれる。大きな鳥居をくぐり、参道を進んだ正面に舞殿、その奥に拝殿や、本殿が静かに佇まいを見せている。

社宝としては、寛永15年(1638 )の後水尾天皇宸筆額一面がある。

拝殿、本殿以外の主な建物:神楽殿、中門祝詞舎、神饌所、祭器庫、儀式殿、手水舎、社務所 境内社:1社

その昔、鈴鹿峠で人々を苦しめていた鬼を退治したという伝説のある坂上田村麻呂を祀っている。

弘仁3年(812)に創建されたと伝えられる古社で厄除けの神として信仰を集めている。

巨大な森に囲まれた古社。土山集落の東、国道1号線沿いの北側にある。旧県社である。

垂仁天皇の時代の創建と伝え、弘仁3年(813)坂上田村麻麿の神霊を合祀したという。社殿では弘仁13年(822)社殿創立とある。

兵火にあったが、江戸時代に復興され、寛永15年(1638)後水尾上皇より正一位田村大明神の額を下賜されたという。

坂上田村麻呂を祭神とするため武家の崇敬を集め、とくにその末裔を称した奥州一関藩主田村氏は度々家臣に代参させ、毎年現米10石を寄進した。

田村麿が鈴鹿山の鬼神を退治した伝説は古くから有名で、神通無偏の神力を語るもので、この功をたたえて合祀し、社名が田村神社となった。

股、悪鬼を退治した田村麿が、もはや弓矢はいらないといって、残った一本の矢を宙天に放った。その矢の落ちた所が現在の

田村神社の場所とされる。

東海道に面する地の利もあって、厄除神として庶民の信仰を集めた。

拝殿

入母屋造、間口三間三尺、奥行三間三尺、拝殿の軒回りや天井下には花鳥の彫刻が施されて、見事である。

平成20年12月に改修工事が完工し、「拝殿竣工祭」が斎行された。

本殿の改築工事終了までの間、仮本殿となる。

本殿

三間社流造、間口三間、奥行三間、覆屋あり

本殿の御鎮座地は御手洗川の橋を渡った一番高いところで聖域の趣が深い。

本殿には、向拝に牡丹と孔雀、さらに鳳凰が彫刻され、県下の江戸時代の社殿としては、注目すべき建築と言われている。

本殿の改築工事は平成23年秋に完工の予定である。

厄除大祭(田村まつり) 2月17日・18日・19日

弘仁3年(812)正月、嵯峨天皇は、あらゆる農作物が実らず、疫病が流行して世の人々が苦しんでいるのを見かね「坂上田村麻呂公」の霊験をもって災厄を祓うよう「厄除大祭」斎行の命令を下された。

そして、三日三晩にわたる大祈祷が行なわれ、災いことは見事に治まったと伝えられる。

この神徳により、大難を小難に、小難を無難にと守護し給う「厄除けの大神」として広く厚く崇敬されるようになり、以来、毎年2月の3日間「厄除大祭」として、現在まで連綿と続けられている。

御木曳行事とは

御木曳(おきひき)とは伊勢の神宮で行なわれる式年遷宮における行事の一つである。

式年遷宮とは二十年毎に社殿や鳥居などを取替え新しいお宮へお遷りを願うことで、持統天皇4年(690)に始まり、途中延期や一時中断した時期もあったが、現在まで約1300年にわたって行なわれている伝統行事である。

式年遷宮の準備期間は8年以上にわたり、その間に様々な行事が行われる。

その中でも市民が参加して町全体で取り組む壮大な行事が御木曳である。「御用材」と呼ばれる社殿等の建築に使われるヒノキを境内に曳きいれる行事である。

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