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滋賀県湖南市 西応寺

Saiouji,Konan City,Shiga

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January 2, 2023  野崎順次  source movie

 

滋賀県湖南市菩提寺1677
功徳円満山 西應寺


この地一帯には、もと奈良興福寺の別院で、円満山少菩提寺と呼ばれ、数多くの大伽藍が雄大な姿でそびえわたっていました。奈良時代、信楽の都を発願、建立された聖武天皇が、国家の繁栄と安泰を願い、良弁僧正が創設した古刹です。当時は、山上山麓の広域にわたって大金堂、三重塔、開山堂などを中心にして、7つの神社と36の僧坊を構えてその偉容を誇っていました。しかし、元亀2年(1571年)戦国乱世の世、織田信長の兵火によって全山は殆んど焼失し、それらの礎石を残すのみとなりました。このうち禅祥坊が現存の西応寺の前身であります。寺宝の明応元年(1492年)4月25日の記録のある古絵図には、盛時の状況が克明に描かれており、現在の山裾に禅祥坊があったことがうかがえます。

本庭園は山と樹林と空を背景として、大きい築山の間に枯滝・枯流れを設け、建物の前面から西の山裾にかけて細長い枯池をめぐらした、いわゆる枯山水の庭であるが、水を流せば谷川となり池に湛えられるような写実的な表現をとっています。多数の石組みには鈍穴流の手法が生かされており、枯滝石組や渓流に架けた上下ちがいの石橋、曲池西側の石橋、築山の飛石の分岐点に捉えられた3石を寄せた踏分石などは独特であります。形式を異にし、大小高低様々な石灯籠や石擬宝珠柱などが置かれています。東の一段高い台地には楼が建立されて、高さ33尺(約10m)もの巨大な十三重石塔が立っているのが目を引きます。それに続く山裾にも三尊石を中心とする石組や、降雨の折の排水を兼ねた枯流れがan設けられています。主庭のほかに客殿・書院・庫裡をめぐる小空間にも、それぞれに趣向をこらした庭が見られます。
(ぶらりこなんウェブサイト)

   

山門から本堂

          

本堂わきの巨石と池泉回遊式庭園

               

十三重石塔と楼閣のある高い台地に上る。

            

枯山水庭園

                            



滝石組と上下違いの石橋

      

 


Dec. 2009 撮影/文: 中山辰夫

湖南市甲西町菩提寺土深(どぶけ)町というバス停から1kmほどで境内に入る。爪先上がりの坂道を進むと、くの字形になった登り坂である。

あえぎながら登ると沢山の石仏が同じ姿、顔、真っ白なエプロン、新鮮なお花が供えられている様子からは、歴史と信心の深さが感じられた。

境内は静寂そのもので、俗塵から離れた気分に浸れた。

正面が本堂で、ご本尊は阿弥陀如来の立像である。平安末期の作と推定される。

  

    

少菩提寺36の僧房の一つ禅祥坊が西応寺の前身である。

寺宝の明応元年(1492)4月25日の記録がある古絵図には、盛時の状況が克明に描かれており、その古絵図にある巨大な庭園石−俗称良弁岩(ろうべんいわ)、この石上で良弁僧都が沈思黙考された−が現在も西応院にあることからも、現在の山裾に禅祥坊があったことがうかがえる。

     

西応院の庭園が素晴らしい。住職からは、「百済寺の喜見院の庭園を手がけた造園師が西応院の庭園も造園されたとのこと。

この造園師は生涯でこの二件の造園しか手がけられなかった」とのお話を伺った。

本庭園は菩提樹山と樹木と空を背景とし、大きい築山の間に、滝や石組、石橋を配した枯山水の庭で、時を刻むとともに趣向が生きる庭園と思われた。

      

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