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滋賀県湖南市 正福寺

Shofukuji,Konan city,Shiga

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Apr.6, 2014 中山辰夫

滋賀県湖南市正福寺町409宗派:浄土宗 本尊:大日如来(金粛大菩薩一刀三礼の彫刻になる秘仏) 743年聖武天皇の勅願を受けて良弁大僧正が開基した。当時は七堂伽藍を完備して、僧坊18、公衆12人を擁した大寺として栄えた。

元亀年間織田信長の兵火に遭い一山諸堂僧坊ことごとく焼失した。

しかし本尊大日如来、薬師如来、十一面観世音菩薩、子安地蔵菩薩(いづれも国指定重要文化財)は火難をさけ、一草庵に安置して守った。

その後浄土宗の念仏道場として再興がなされたが、度々火災を繰り返し、1762(宝暦12)年、本堂山門、鐘楼を最後としてようやく再興がなった。山門付近

本堂付近

大日堂・他

石仏とさつき

三十三観音石仏めぐりができる。

境内周辺の桜。他

重要文化財

本尊大日如来坐像:10世紀末 像高92cm 胎蔵界

薬師如来坐像:12世紀 座高141cm

獣一面観音立像:11世紀 像高215cm

獣一面観音立像 3?:12世紀

地蔵菩薩半跏像:12世紀 像高86cm

 


Dec. 2009 撮影/文: 中山辰夫

浄土宗JR石部駅から水口行き、東陶行きバス15分、東正福寺下車すぐ。

通りに面して、石の寺碑や「国宝大日如来」の碑も立っておりすぐに分かる。

爪先上がりの石段の参道を200mほど登ると山門に着く。

山門に立つと、これで下界から離れられた気分にもなる。

正福寺は、今から1200年ほど前に良弁僧正によって開かれた。

「興福寺官務牒疏」に寺名がみえ、花園里にあって法華大乗峰山と号し、僧坊十八宇、交衆十二人の金蕭菩薩の霊地とされる。

開基は良弁、中興は願安で貞観10年(868)伽藍を再建、文治元年(1185)に再興された。

比叡山に続いて信長の焼き討ちに遭い、その後、今の地に堂宇が再建されたものの、失火ですべてを焼失した。

兵火で衰退していたのを承応(1652〜55)の頃、寂誉が易行念仏の道場として中興した。

二度の火災に遭いながらもご本尊の大日如来と薬師如来、十一面観世音菩薩などの仏像は村人によって猛火の中を助け出された。

村人の信仰の篤さが今も続いている。

このあたり一帯の伽藍古絵図はいまも近くの西応寺に所有されており、それをみると往昔、このあたりの盛況がまのあたりに想像でき信長の焼打ちをうけるまでの一帯は壮大な仏教文化圏をなしていたことがわかる。

本堂厨子内の秘仏大日如来坐像(重文・藤原)は高さ75.7cm、法界定印の胎蔵大日で、一木彫、皆金色、衣文に飜波式のなごりがあり、腕と手首に環釧を彫出する。藤原初期の安定感のある古仏とされるが、30年に一度の開扉でお目にかかれない。

本堂西に建つ観音堂には、永厳寺の旧仏三体が安置されている。中央に地蔵菩薩半跏踏下げ像、向かって右に十一面観音立像、左に十一面観音立像である。

いずれも国重要文化財で藤原時代の作である。二度焼けている中で、奇跡的に難を逃れたとされる。近江は湖東から湖北にかけて、「観音みち」と称されるほど十一面観音が多いけれど、平安時代の優れた十一面観音四体が並ぶのは当寺と檪野寺の他にない。

他の永厳寺旧像の薬師如来坐像t重一面観音立像二体(いずれも国重文・藤原)は、琵琶湖文化舘に寄託されている。

寺は小さいがさすがに旧天台伽藍の古をしのばせる仏像群を所有している。

本堂裏、三十三石仏がずらりと並ぶ斜面にはツツジが植わっていた。開花の頃は美しいだろう。

境内墓地 大永2年(1522)造立の石造五輪塔

境内を出てはやしのの中を道を少し行くと永厳寺の跡となり、大きい宝塔が建っている。

総高:約4m、相輪は後補。塔身には扉形と勾欄を刻出する。鎌倉後期の堂々たる作とのこと。

残念ながら確認できなかった。

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