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滋賀県湖南市 吉御子神社
Yoshimikojinja,Konan city,Shiga

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湖南市石部2763 吉御子神社本殿 重文 近世以前/神社 江戸後期 江戸後期 三間社流造、檜皮葺 棟札3枚 19210430


March 22,2015 大野木康夫 source movie 参道のマンホール 参道入り口 参道 境内 重文本殿 賀茂別雷神社の国宝本殿が江戸末期の式年遷宮で建て替えられる前の建物を移築したもの。
賀茂別雷神社本殿は撮影禁止だが、吉御子神社本殿は撮影可。
瑞垣も目が大きいので、金網を飛ばせばほぼ自由に撮影できる。



Oct.2011 大野木康夫

吉御子神社 所在地 滋賀県湖南市石部西1-15-1 2011.3.13撮影  賀茂別雷神社の本殿は江戸時代まで式年遷宮で建て替えられていました。
現在は本殿の写真撮影はできませんが、現在の本殿の1代前の本殿が滋賀県石部の吉御子神社に移築されており、そこは撮影が可能なので訪問しました。 境内風景 すぐ近くに少し交通量が多い地方道が通っていて、静謐とまでは言えませんが、木々に覆われた厳かな雰囲気です。 本殿(重要文化財) 江戸時代後期の建築
三間社流造、檜皮葺 元治元(1865)年に賀茂別雷神社の本殿を移築したものです。
金銀の狛犬もそのまま持ってきたようです。
巴紋と木瓜紋が吉御子神社の神紋ですが、金具などには賀茂別雷神社の立葵の紋や意匠が見られます。 2011年10月9日に再訪し、細部や側面等を撮り足しました。
 

Dec. 2009 撮影/文: 中山辰夫


湖南市石部
祭神:鹿葦津姫命吉彦命、吉姫命、配祀神:応神天皇、猿田彦命 例祭:五月一日 石部駅の南約1km、国道1号線を山手に入る。周囲は人家に囲まれている。
崇神天皇の時代の創建と伝える古社で延喜式内社である。
社伝では崇神天皇六十八年に神降があり、垂仁天皇二年に宇加之彦の子、吉比古(よしひこ)・吉比刀iよしひめ)の神を谷黒の御前に祀ったのが創祀とされる。
弘仁2年(811)、災害により石部の町の東西に分社され、西側に鎮座したと伝わるのが吉御子神社である。
嵯峨天皇弘仁三年現社地に奉還し、承平5年(935)より社号を吉御子神社と称している。
古くは、石部・西寺・東寺・柑子袋・平松・針・夏見・吉永・三雲・岩根・正福寺・菩提寺などが、広く檜物下荘(ひもののしものしょう)とよぶ古郷に属していたという。
これらの荘園は平安時代には吉田中納言の所領であり、中世以降はおもに近江源氏系の武家の所領となっていたようだ。そうした古郷の歴史を語る神社でもある。
石部(いそべ)山を神体山とする古代的な民俗信仰に発する神社として、土地開発の氏族制度の歴史とともに歩んできた。
吉御子という名は、吉比古、吉比唐フ御子神「若宮」を指す名称である。
今の吉御子神社の位置は、昔の吉比古の社地である。
中世以前は社領及び宝物も多くあったが、長亨年間(1487~1489)に六角氏に押領された。
元治元年(1864)社殿が大破し、慶応元年(1865)上賀茂神社より旧社殿を移築したのが現在の本殿である。
古びた唐門の奥、鬱蒼と茂る老樹に囲まれて本殿が建つっている。
本殿と平安時代作である木造吉彦命座像がともに国重要文化財である。
参道には明治天皇行幸際の石碑が立っている。
拝殿、本殿以外の主な建物:中門、神楽殿、神饌殿、神輿庫、祭器庫、斉館、参籠所、手水舎、社務所 


拝殿
間口三間、奥行三間、入母屋造

本殿
1829:建築:1864:移築 
国重要文化財:建造物:指定:1921 04 30
三間社流造、間口三間、奥行三間、檜皮葺、
もと京都上賀茂神社の本殿であったが、幕末の慶応元年(1865)ここに移転されたもので江戸時代に建築されたもの。
柱は井桁組(いげたぐみ)土台上に立ち、身舎の柱間装置は正面中央間を板戸構えとするほかは板壁にし、歯周には高欄付の縁をめぐらし庇部分は浜床とする。


木造吉彦命坐像
国重要文化財:彫刻:指定
平安時代の作
同じ頃のものとされる木造随身坐像2対がついている。 木像随身坐像
国重要文化財: 参考資料:「滋賀県神社誌」、「歴史と文化 近江」「総覧 日本の建築」「近江歴史散歩」より抜粋
事務局用


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