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滋賀県甲良町 勝楽寺

Shorakuji,Kora town,Shiga

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Nov.2010 撮影/文:中山辰夫

臨済宗国道307号、池寺の村落から名神高速道路のガードをくぐり抜けると正楽寺の村落があり、その道の突き当りが勝楽寺である。

寺の前の大池のほとりに、織田信長の兵火をまぬがれたという古びた六脚切妻門が建ち、正面本堂の脇に宝物庫が建つ。

勝楽寺は佐々木道誉(どうよ 高氏)が歴応4年(1341)、東福寺の雲海禅師を招き建てた寺。のち、織田信長の兵火で焼き払われたが、井伊家により正保年間(1644〜48)に再興された。

道誉の歴史を物語る境内には、約400年以上と思われる切妻の山門や道誉の絵像をはじめ藤原時代の大日如来坐像の重要文化財や直筆の扁額などが残されている。道誉の雄大な宝筺印塔(墓石)も残されている。

この勝楽寺は、信長の兵火により焼失した天台宗・敏満寺(多賀町)と現在の湖東三山をあわせ、かつて湖東五山と称された。

佐々木道誉は、現在の滋賀県の佐々木京極家に生まれ、鎌倉幕府打倒の兵を挙げた足利氏に従い活躍した。

この功績により京極家は室町幕府で重要な職を担い繁栄する。

その後、現在の甲良町に移住し、勝楽寺寺城を築いた。

道誉の歴史を物語る境内には、約400年以上と思われる切妻の山門や道誉の絵像をはじめ藤原時代の大日如来坐像の重要文化財や直筆の扁額などが残されている。道誉の雄大な宝筺印塔(墓石)も残されている。

佐々木道誉は幕府の重責を歴任し、政治手腕を大いに発揮したが、反面、旧来のしきたりや朝廷・寺社の伝統的権威を無視し驕奢(きょうしゃ)・派手好みで、傍若無人の振る舞いをするものを「婆裟羅 バサラ」の異名で呼んだが、まさに道誉はそれを代表する人物であった。しかし他面、連歌・香道・花道・猿楽などにしたしむ当代一流の文化人でもあり、時代を先取りする鋭敏な感覚と行動力は、動乱の世を切り抜けるにふさわしい器量人であった。表門

四脚門、切妻造、桟瓦葺

見栄えのする門ではないが、極めて古い部材・技法をまじえている。軸部は親柱を棟までのばす禅宗様の門の形をとる。

親柱上の組物は大斗は円形で柱から作り出し、肘木は大斗に乗らず、大斗斗繰と柱上端にかみあう。

勝楽寺無縫塔(むほうとう)

町指定文化財 室町時代

勝楽寺墓地の中央に苔むした道誉の大きな墓塔があり、その後ろに卵形の塔が三つ並んで建っている。真ん中は道誉が招いて開山とした雲海の墓で、その右が二代目、左が三代目の墓といわれる。このような卵形の塔を無縫塔といい禅宗の僧の墓である。

宝篋印塔

本堂脇の墓地の中央にある、火災のために風化が著しい塔で道誉の墓といわれる。

京極家の歴代の墓は山東町の徳源院にあるが、道誉のみここに眠るのも面白い。(徳源院にも道譽の墓はある)

勝楽寺宝篋印塔

本堂裏の池を隔てて、小高い所に建っている。

この塔は花崗岩で出来ており完全にそろい高さは130.5cmあり、背が低く、幅が目立って広い。基礎の蓮の花の形式から、室町時代末のものと見られる。

この塔の主は佐々木十二世勝秀の墓塔でないかといわれる。

道誉の6代後の勝秀は応仁の乱で父持清と共によく戦った。近江の六角氏を観音寺城で攻め落とした後、36才で死去

佐々木高氏(道誉)画像

国指定重要文化財 南北朝時代の作

生前に描かれた僧衣姿の絵で、南北朝時代の(1333〜91)の数少ない似絵「似せ絵」と呼ばれる肖像画である。

どっしりとした曲?(きょくろく いす)にかけ、鋭い目つきの中に、厳しい南北朝を生き抜いた武将の、何者にも怖れないで、立ち向かってゆく気力が感じられる。

像は貞治5年(1366)道誉の三男高秀が父の姿を描き、道誉自身が賛(さん 画中の画や文)を書いたもの。

佐々木高氏(道誉)画像 その二

絹本著色佐々木高氏像

国指定重要文化財大日如来坐像

国指定重要文化財 平安時代後期の作

大日如来は密教の世界では、宇宙の中心におられる仏で如来に中の如来として、宝冠をいただき、手に環釧(かんせん 腕輪)をし、胸に瓔咯「瓔珞」をつけている。

如来は目を優しく伏せ、左手の上に右手を重ね両手の親指を合わせて静かに考える姿の仏像である。

像はヒノキの寄木造で彫眼(ちょうがん)である。

左右の眉から鼻に通る美しい線、やさしい口元、ふっくらとしたほほに、円満な仏の慈悲の相があふれ、参拝者を包み込む。

天冠台の下の一本一本の髪の毛や腕輪の細い彫刻も優れ、衣紋線も美しく、きらびやかな宝冠や金色の後背も体色の黒にマッチし座りの良く安定した仏像である。

この仏は一説に佐々木道誉の念持仏(守り本尊)であったのでないかともいわれる。

勝楽寺城探訪

勝楽寺城は道譽氏によって築かれた山城で、勝楽寺の裏山の山中に城郭遺構が残っている。

案内板の指示に従って登る。

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